13
『あ、エースさん、そこのタオルいじらないでね。一緒に服干してあるの』
「お!? おう!」
部屋に戻ってから真っ先に指差されたのはなぜか四角く干されたタオル。
何でこんな干し方してんのかと思いきや、その内側に咲来の服が干してあるようで。
さすがに大っぴらに干すことのできないそれをどうするか考えた結果がこれなのだろう。おれは急いで目を逸らした。
「寝る」という名目で部屋に来たものの、視線の先の咲来はまだあまり寝る気配がない。
ガサゴソと何をやっているのかと覗きこめば何か探しているようで。
「…探し物か?」
『盗聴器とか、監視カメラとか…そのへん』
「一応ね」とそこにあったタンスの引き出しを片っ端から開けては閉じる彼女。
探し物は盗聴器、監視カメラ、その他もろもろ。電伝虫のことだろうと一緒になって探し始める。
真面目な顔で作業をする彼女は割と慎重派らしい。
一通り終わってから二人でソファーに座ればふと思い出されるのは先刻のあれで。
思えばあのせいで余計に心に乱れが生じたかもなんて、今更な話を蒸し返してみても隣の彼女の様子は出会った頃と変わらないのだから余計な考え事をしているのは自分だけなのかもしれない。
“探し物”は結局特に見つからず、安心したように咲来は息を吐いた。
『大丈夫そうね』
「ああ」
『疑ってるわけじゃないんだけど…聞かれてても嫌だしなあって』
「まァそうだな……。」
彼女の言葉は間違ってはいない。
二人だけでしたい会話くらいおれたちにもある。
今後のこととか、まァいろいろ。
そこまで考えて、ふと思っていたことをぶつけた。
「…なァ、咲来」
『なに?』
「咲来はおれのこと好きなんだよな?」
『…、うん』
「お前はどこまで知ってるんだ?」
急に真面目になったであろうおれの顔に、咲来は少しばかり驚いているようだった。
おれは今日風呂で話していたことをそのまま伝えた。
お前が異世界から来たことは今現在その場にいた4人が知っていること、トラ男が「咲来は情報を隠そうとしている」と言っていたこと。
情報を隠すこと自体は割とどうでもいい。それ目当てで咲来を連れているわけではないから。
ただ、その「情報」の中にどれだけ自分のことが含まれているのか。
「咲来はおれの誕生日とか、癖とか…そういうのまで知ってたって聞いた。
能力はもちろん知ってるだろうし、多分他にも知ってることあるんだろ。」
――ただ、それがどこまでなのか。
「もしそこまで深く知られてねェんなら……おれは、お前に好かれる資格はねェと…思うんだ……。」
もし彼女が、知らずに――おれのことを好きだと言ってくれているなら。
今ここで突き放しておいた方がいい、出来るだけ早い段階で。手遅れになる前に。
異世界から来たという彼女をおれの面倒事に巻き込むわけにはいかない。
いつか帰るかもしれない彼女の、ここで生きる予定のなかった彼女の、命を脅かすようなことが万が一にでもあれば。
それは“向こう”にいる誰かがきっと悲しむ。
もともと互いに出会うはずのなかった存在。いつどこで何が狂ってしまったのかはきっと誰にも分からないけど。
何も知らないならそれでいい。それでいいから、もうこれ以上好きだなんて言ってくれるな。
でないと、おれはきっと。
「その“漫画”とやらがどこまでおれを描いてるかなんて知らねェ。
ただな、そのうちの一場面を見て好きって言ってくれてるんなら…やめた方がいい。後でぜってー後悔する。
おれの代わりに、その言葉は他のやつに言ってやれ」
――な。
そう言って咲来の頭を撫でた。
こんな安定しない世界に一人で迷い込んで。よりにもよっておれみたいな境遇の人間とは関わらない方がいいとすら思える。“漫画”でおれを好きなのと、今ここでおれを好きなのとでは話が別だ。
今になって「一緒に行こう」なんて言葉を吐いた自分を呪った。
こんな少女に、おれはなんてことを言ったんだろう。
ゆっくり、ゆっくり。
しんとした少女はゆるりと、目を閉じる。
しばしの沈黙の後、その口から不意に紡がれた言葉は想像を超えていた。
『……偽名のこと?』
「――!!」
はっきり言い切った彼女に目を見開く。
どくり、心臓が波打った。
――まさか、そこまで。
「……咲来、お前…」
『わたしは後悔なんてしない。
そんなに心配なら、フルネームで――貴方の名前、言ってあげようか、…エースさん』
落ち着いているようなその声はいくらか怒っているようにも聞こえて。
まっすぐ向けられた視線はおれを捉えて離さない。今日初めて見せた彼女の表情に動揺した。
『……ああ、でも、この名前』
「構わねェ、言ってみろ」
躊躇いを見せた彼女に口を挟む。
これで、今この時で、この後の彼女の言葉で。今後がはっきりすると瞬時に感じた。
おれの返事に咲来は目を伏せてから、ソファーに膝をついて立ち上がる。
両肩に置かれた手が震えていると思ったが、もしかしたらそれはおれの方なのかもしれない。
左耳に顔を寄せて囁くように。
しかしはっきりと、彼女は言った。
『……“ゴール”…
貴方の名前は、ゴール・D――』
言葉はそこでぷつりと途切れた。これ以上は要らないと判断したのだろう。
やはり震えているのはおれの方だった、離れた彼女の肩を掴んだ両手がガタガタして落ち着かない。
――本当にここの人間ではない。
あんなに残っていた疑心が溶けるように消えていく。信じたい一方で受け入れ難かった“異世界”という存在が、確かに大きくなっていく。
この名前を知っているのは、オヤジと、ジジィと、ダダンと、ルフィと――他に誰がいるだろうか。今生きてこの情報を持っているのは、他に誰がいただろうか。
少なくともこんな今日初対面の見知らぬ少女が持っているような情報ではない。それは確実であって、揺るぎ無い事実で。
「…咲来、」
『……分からないよ、エースさん。
わたしには、この名前の重さが……この世界で持つ、この名前の重さが…ここで生きてないわたしには、分からないよ…。』
少しばかり悲しそうにも見える彼女はその顔のまま微かに笑った。
おれは今、どんな顔をしているのだろう。
『でもねエースさん、わたし最初から知ってた…。知ってて、好きって言ってた…。
もしそんなことに怯えてるだけなら、心配しないで。わたしそういうの興味ないし、どうでもいいし。
ただ、エースさんっていう人が好きだっただけ』
──“これからも好きでいていいでしょう?”
『だから、…おれは生まれてきても良かったのかななんて、わたしの前ではそんなこと言わないでね』
「…──!!」
ふわりと笑った彼女は相変わらず悲しそうだった。
昔よく知った人によく呟いていたその言葉を、そのままの形で彼女は紡いだ。
“どこまで知っているのか”。
それはもう、今となっては愚問だったのかもしれない。
首に腕を回して抱き寄せる。
すっぽり収まるそいつはこの世界にいるにはあまりにも小さくてか弱い。
彼女の肩に顔を埋める、震えはまだ止まってくれていなかった。
「…!」
回された小さな手のひらは背中を撫でるように何回も往復する。
しばらく、その優しさから離れることができなかった。
――
『…落ち着いた?』
「ああ……わりィ、」
どれくらい経っただろう。
ようやく止まった震えに安心したのか、咲来は軽く笑った。
「情けねェとこ見せちまったな…。」
『そんなことない、わたしは嬉しかったから』
「エースさんと仲良くなれたみたいで」。
そう言って笑う彼女に、自分の中で諦めがついた。
――甘えちまう。
だからこそ突き放そうとしたのに。何も知らずに好きと言ってくれていたのかと思ってたから、そのまま突き放そうと思ってたのに。
生まれも事情も、全てを知った上で好きと言ってくれるやつなんて一体何人いるだろうかと。
指を折ったら数えられるくらいであるだろうそれには大切な人しかいなくて。もしかしたら、なんて。
『さ、寝ようエースさん』
「あー…おれここで寝る」
すっかり暗くなった窓の外をちらりと見てからベッドに移動した咲来。
ソファーを指さしながら言えば、途端に「何で?」と首を傾げられる。
そろそろ頭が痛くなってきた。
「あのな、おれが咲来と一緒のベッドで寝るのは問題があると思うぞ、おれは」
『…エースさんって意外とそういうの考えてるよね、ルフィと同じでてっきり興味ないものかと』
「意外とって……あのなァ、」
「でもまあルフィより礼儀あるし」と首を捻り出す咲来、咲来の中でおれは一体どういう印象なんだ。
借りられる部屋が一部屋しかない時点で予想していたが、ここには一人用ベッドが一つしかない。
どう考えてもおれがソファーで寝るのが妥当だろう。体が痛くなりそうだが仕方ない。
しかしながら、ごろんと寝転がれば数秒後に真上には不満そうな咲来の姿。
『エースさん、エースさんがそこで寝るくらいならわたしが寝るからベッド使って。
もともとここに来たいって言い出したのはわたしなんだから』
「そういうわけには……」
『それにエースさん、背高いんだからそこじゃ狭すぎるでしょ』
並べられる正論にだんだんと返す言葉が無くなる。
確かにおれの足ははみ出してしまって、行き場をなくしているけども。
「とにかくベッド使って」と腕を引っ張る咲来はよっぽどおれをベッドに寝かせたいらしい。
諦めそうにない彼女に渋々起き上がった。
「…でもなァ、咲来をソファーに寝かせるわけにはいかねェんだ」
『何で?』
「何でって、そりゃ…おれが男だからだ」
『……エースさんかっこいい…じゃあわたし一緒に寝ればいい?』
「…だからそれじゃふりだしだ」
一緒に寝るのはまずいと、何度言ったら。
一人溜息を吐き出していれば、ぴしゃりと遮ったのはあまりにも予想外な言葉。
『…ところで今思ったけど、どうしてまずいの?』
「は?」
『そりゃあね、可愛い女の子とか綺麗なお姉さんとかだったら分かるよ。
エースさん意外とその辺考えるみたいだし…でもわたしなら別にいいんじゃない?』
「………」
「どのみちエースさんそういうことしないでしょ」と大真面目で話すこの少女にはどうやら本当に危機感というものが皆無らしい。
自分なら大丈夫というその自信は一体どこからわいてくるのだろう。
同時に良くも悪くもかなり信頼されていることが分かり嬉しいやら悲しいやら。
ペンギンの言っていた通りだ。大変だ、おれも。
「……あのな咲来。そういう根拠のない自信は捨てろ。もっと危機感を持て。
ただ今日に限っては寝る場所に困ってるのは事実だ…お前がソファーで寝るのを許してくれないなら床で寝ようとも思ったが」
『絶対にダメ』
「…だろ。逆に言うとおれもお前をベッド以外で寝かせる気がねェ。
となると最終的に二人ともベッドに辿り着いちまうわけだ」
『だから一緒に』
「………はー……。
…分かったよ、お前がいいって言うんなら…それでもいいけど……。」
『…嫌?』
「そうじゃねェよ、だから…お前はほんとに危機感が足りなさすぎる…。
いいか、おれだからまだいいけど、他の奴にはぜってー一緒に寝ようとか言うんじゃねェぞ?」
『言わないわよ、エースさんだから言ってるに決まってるじゃない』
さあベッド行きましょと咲来に腕を引っ張られる。
今の意味深な言葉は何だと聞きたかったが咲来が電気を消しに行くのが先だった。
布団に潜り込んだ途端に「おやすみ」と腕を彼女側に引き寄せられて、一瞬何か誘ってるのかと思ったがこいつに限ってそれはありえない。
月明かりでぼんやりとだけ分かる幸せそうな顔に、何度目かの溜息をつきながら目を閉じた。
思った以上に大きくなりそうな存在。
(…寝れねェ)
END.
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