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「………」




騒がしくするだけして帰った二人を寝起きの頭でぼんやり見送ってから、手元のコーヒーを啜る。
普段昼食に飲んでいるそれはいつもと変わらない味。




「…嬉しそうにしやがって」




じわりと広がる苦みを噛み砕く。
他人に起こされたのなんていつ振りだろうか。

もともと朝が得意ではなく、よほどのことがない限りは好きな時に起きて行動していた。起こしに来た奴は片っ端からバラバラにしていた記憶がある。
そして気付けば放置されている毎日。


しかし今日は違った。やけに揺れると目を開ければ、昨日現れた少女が居て驚いた。
どうやらわざわざ起こしに来たらしい。何も知らないからこそできる芸当だ。
なぜ誰も止めてくれなかったのかなんておれには分からない。もちろん起きるつもりは毛頭なくすぐさま目を閉じたが、その後も彼女は部屋に居座った。


朝食を食べろと一点張り、からかったのに諦める様子がなかったのは意外に感じた。すぐ逃げていくかと思ったのは誤算だったのか、はたまた火拳のせいでそういうことに慣れたのか。

からかいついでに抱き枕にでもしてやろうかと押し倒せばそいつはついに固まって。
ただ思った通り火拳は待機していて、彼女が名前を呼びかけたところで突撃してきた。ふと零した「失敗した」はその意図が自分でも分かっていない。一体何に失敗したのだろうと、問いかけても自分の中で答えは見つからなかった。どうせ大したことではないかと、思考するのはすぐに止めた。


彼女は朝食を食わせるだけ食わせて火拳と共に去った。とんだ災難だ。
バラさなかったのは火拳が一緒だったから。

コップの底に残るほろ苦い液体を喉に流し込んでから、のろのろとベッドを出た。




――




「船長!」




ドアを開ければ一斉にこちらを向く視線と大きくなるざわつき。
食堂に入るなり駆け寄ってきたコックは、おれとおれの手に載っていた皿を交互に見てぱちりと目を瞬いた。




「全部食べたんですか?」


「……悪いか?」


「そんなわけないでしょう!!」




大袈裟に歓声を上げたそいつは皿を受け取りすぐさま走って行った、と思ったら行き先は例の少女。
「咲来ちゃんありがとう!」と彼女の手を握って思いきり上下させる、おい、そんなことしたら。

ああ予想通り火拳に止められただなんて、いつの間にか意識を持っていかれていたことに気付いて故意に口角を下げた。




『ローさん、おはようございます』


「……火拳屋がいなかったらバラしてた」


『え゙』


「…冗談だ」




おれを見つけるなり笑いかけてくる咲来は船ではすでに人気者になっていて。
ころころ変わるその表情につい笑ってしまって、口角を戻した動作はさっきと全く同じ。

次から次へと他の奴に話しかけられていたそいつの隣では火拳が面白くなさそうにしている。
構ってもらえないのがつまらないのか、自分以外と楽しそうにする彼女が嫌なのか。




「楽しんでるところ悪いが…お前らにこいつの件で話がある」


『!』




咲来を指差して言えば、クルーは一斉に静まった。
指名を受けた彼女はくるりと体を反転させてこちらを見る。

朝飯後なら丁度いい、全員が一箇所にいる。




「変更はあるか?」


『…ありません』


「ならいい……率直に言う。
こいつをしばらく船に乗せることが確定した」


「「おおおおお!!」」


「火拳屋も一緒だがな」


「「ええー!?」」




歓声からの落胆。思うにこいつらも火拳と同じくらい単純な奴らだ。そんなことは分かりきっていたが。
クルーの至極残念そうな声を聞いた咲来は火拳を庇うように抱きついて、辺りに悲痛の叫びとやらが響く。こいつらは咲来が怒るツボをまだ分かっていない。




「こいつを乗せるにあたって、お前らに言っておくべきことがある。しっかり聞け」




そう促せば、クルーは一人残らず注目した。




――




「「異世界???」」


「ああ。こいつはここの人間じゃねェ…そうだろ、火拳屋」


「おう、間違いねェ」




事情を知っていたシャチとペンギン以外のクルーが一斉に首を捻り出した。

咲来に関してまず外せないのが「異世界から来た人間」だということ。
今は信じられなくていい、だがそこだけは頭に入れておけとクルーに叩き込む。




「詳しいことは後で聞き出しておく。
しばらく、っていうのはいつまで居れるかが分からねェからだ。突然いなくなるかもしれねェとのことだ」


「咲来ちゃんいなくなっちまうのか!?」


『…わたしにもまだ分からなくて』




クルーに苦笑いする咲来は少しばかり泣きそうに見えた。
それを察したのは火拳もだったのか、彼女の頭をくしゃりと撫でる。
撫でられた彼女はまた泣きそうな顔をして笑った。
あまりに小さいその姿がいくらか印象的に焼き付く。

視線を故意に逸らすこの感覚に覚えがあることに気付いて、同時に僅かな苛立ちを感じた。




「……早速だが、部屋に来い。聞きたいことがある」


「おれもいいか?」


「どうせ来るんだろ?」




立ち上がって背を向ければ、咲来と一緒に立ち上がる火拳。
何を言ったところで着いて来るのは知っていたので許可を出す。

聞きたいことを整理しながら、先程出たばかりの自分の部屋へと足を進めた。




――




『…結局尋問するんじゃないですか』




椅子がひとつしかない部屋のベッドに座りながら咲来が口を尖らせてぼやく。
ずかずか遠慮なく入ってきた火拳は、当然のようにどかりと彼女の隣に腰をおろした。




「尋問はしない…だから火拳屋がいるんだろう」


「おー、咲来に酷いことはさせねェぞー」




彼女の頭をぽんぽんと叩く火拳はさっきとは打って変わって上機嫌。隣に咲来がいるからか。

まあそんなことはどうでもいいと、目の前にいた彼女の手首を掴んで引き寄せた。




『な、なに?』


「気にするな。……お前の名前は?」


『…天羽 咲来』


「出身は?」


『神奈川県…あ、日本の……』


「…そんな地名は聞いたことないな……まずお前のいた世界について教えろ。何でもいい」


『……、』




ぽつりぽつりと、彼女は話し出した。


住んでるのは“ニホン”という国。
特徴といえば、とにかく平和だということ。刃物や銃は持っているだけで犯罪、殴り合いでも捕まる場合があるらしい。

それで生きていけるのかと問えば「海賊なんていないわよ」と返された。犯罪者はいるらしいが、事件に巻き込まれたのならよっぽど運がないとのこと。少なくとも咲来自身はそういう体験はないらしい。


「じゃあおれたちはそっちじゃすぐ捕まるな」と火拳が零せば「そうね」と咲来が笑った。
「おれらは怖くないのか」という問いに、彼女は「二人はそういう印象なかったから」と軽く微笑む。案外適当らしい。

“能力者”という概念も存在せず、そんなものは作り物の世界でしか有り得ないと言われた。




「……嘘を並べてるわけでも…記憶喪失の類でもなさそうだな…」


『? 記憶喪失?』


「ああ、何かをきっかけに記憶を失うのは珍しいことでもない。
初めは記憶喪失か何かかと思ったが、受け答えははっきりしてるし脈も安定してる…。
妄想が激しいのかとも思ったが、そういうわけでもなさそうだな。まずこの世界で海賊も能力者も知らないなんて有り得ねェ」


『妄想って…』




脈を調べるため掴んでいた手首を離す。
「妄想じゃないから困ってるの」と、咲来は若干不貞腐れている様子だった。




「ところでお前、家事全般できるか?」


『…出来ないことはないですけど』


「そうか…この船では主に食事掃除洗濯を当番で分けてやってる。食事はコックがやるから、やるとしてもその補助くらいだ。
おれはその枠に入ってねェがな」


『出来ることはやります。お金持ってるわけでもないですし、それくらいしか返す方法ないので』




そう言って笑う咲来は物分かりはいいらしい。
情報を漏らさないと口にしたあの時から、少なくとも馬鹿ではないと思っていたが。


雑用くらいにはなりそうだと“情報”以外での彼女の存在意義を見出す。
さて、次の問題は。




「火拳屋……」


「ん?」




こいつをどうするか、だ。
明らかにおれに使われるような人間じゃない、そもそもこいつを船に乗せる気はなかった。
第一海賊という立場では敵である。しかもあの白ひげの部下、更にそこの二番隊隊長。どうしてこんな厄介な奴がついてきてしまったのか。適当にあしらって降ろそうと思っていたが、こいつの咲来への執着を見る限り一筋縄ではいかなさそうである。

しかし今更嘆いても仕方ない、こいつが船から降りる時は恐らく咲来が降りる時。




『エースさんは当番の枠に入れないでくださいね』


「……」


『わたしが倍働きますから』




「それに多分エースさんに家事は無理です」と耳打ちしてきた咲来、やはりそんなものかと溜息をつく。
少なくとも食事は食べる専門だろう。
掃除を任せても、なんとなく想像はつく。




「…まァ、分かった。火拳屋には戦闘で声をかけるくらいにしておく」


「? おう」


「で……お前はクルーには気に入られてるみたいだから馴染むのは早いだろう。戦闘は起きても加わるな、おれらがなんとかする。
話は以上だ、また聞くことがあれば言う」


『…え?』


「……何だその顔は」


『い、いえ!なんでも!』




もっと何か聞かれるかと思ったと、目の前にいるそいつは気が抜けたような返事を寄越す。
聞いてやろうかと言えば慌てて首を振られた。

正直、聞き出したいことなど山のようにある。
まだ“異世界”なんて馬鹿らしい話を信じているわけではないが、常識に捉われるなとは周りの人間がよく言っていた。
世の中には常識を超える事物が存在すると。もし仮にそんなものが存在するとしたら、それはそれで面白い。

この世界の全てを“作り話”と形容するそいつは、今までその目で何を見てきたのか。どう生きてきたのか。
しかし焦る必要はない、そもそも一度に全てを聞き出す方が無理な話で。




「おれらに聞きたいことがあれば適当に聞け。最後に……お前、敬語やめろ」


『え』


「火拳屋には使ってねェからな…面倒だ、やめろ。いいな」




少し強めに言えば、「分かった」と頷かれた。






居候二名。
(追いかけるな、誘い込むのさ)





END.







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