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『シャチ』




おれの名を呼びながら首に腕を回してきたのは咲来ちゃん。いや夢ではなく、現実。妄想とかではなく、現実。
一瞬真面目に酔いすぎて幻でも見始めたのかと考えた。でも数秒後に理解する、酔っていたのはなにもおれだけではないと。




「……、咲来ちゃん?」




クルーから聞こえるブーイングは火拳に向けてのものではない。おれに対してだ。
煩いはずのそれすらも耳に入っては抜けて行くあたり今の状況は相当キてる。


一言で言えば「咲来ちゃんが酒で酔った」。ただそれだけなのだけど、彼女のあまりの変わり様におれは何も言えなくなった。ここまで酒に弱い人間なんて見たことがない、一番低いのでこうなるなら他のを飲んでいたらどうなっていたのだろう。

とにもかくにもこの状況はまずい。というのも、今の彼女は平常ではないし上手くは言えないがとにかく後々大変なことになりそうなのだ。更に言うと、脳内ではそう思っているのに全く動こうとしないおれの汚さが一番まずい。




『ふふ』


「…っ!」




まさかこうなるとは思っていなかったので油断していた。缶を開ける彼女の隣で適当に酒を飲んでいたら急に抱きつかれて。
気付けばバランスを崩したおれの膝の上に彼女が座っていて、体勢を立て直す頃にはしっかりと首に腕が回っていた。
緊急事態に酔いは吹っ飛び、同時に周りにいた数人の酔いも覚ました。本人にその気はないだろうが、二日も過ごしていないと言えど影響力は抜群なのである。

目の前でとろんとした顔で笑う彼女はあまりに酷なもので、しかも至近距離なのだから本当にやめてほしい。




「咲来ちゃん、マジ勘弁してくれ……おれの理性が飛ばないうちに、」


『ねえシャチ、わたしのこと癒しにしてくれるんでしょう?』


「お、おう…?」


『何かしてあげたいの。何かない?』




――癒しになりたいの。
そう続ける彼女の瞳が潤んで揺れて、言葉に詰まる。




「おいシャチ、次の酒は………お前、どうした」




返事に困っていれば突如現れたのは酒を求めてきたらしいペンギン。酔いが回っていたのか陽気な声で近付いてきた彼はしかしながらおれらを見るなり固まった。
その姿をゆっくり振り返って確認した咲来ちゃんは彼の名を呼んで膝から降りる。




「あああ!!おれの幸せタイム!!」


「うおっ…!?ど、どうしたんだ咲来?」




ペンギンを見るなり同じように抱きつきに行った彼女。
人は酔うと本性を見せると聞いたことがある、もしかすると彼女はかなり人懐っこい性格なのかもしれない。

それはいいのだがせっかく幸せに浸っていたのに邪魔をされて少なからずショックを受ける。
伸ばした手は空を切って床に落ちた。ちくしょう、ペンギンこのやろう。




「おいシャチ、どういうことだ?」


「咲来ちゃん酔ってんだよ今……くそ、チャンスだったのに」


『…?シャチ、何かしてほしかったなら言って?』


「……キスとか

「やめろシャチ、後で死ぬぞ」

あああもう!うるせーペンギン!!」




まだ邪魔をするのかこいつは。
彼の言い分は普段のおれなら尤もだと思うだろう、しかし今に限ってはそうではない。


なぜなら。
このやりとりが見える距離にいるにもかかわらずあの火拳が何も言ってこないのだ。
まず最初に咲来ちゃんを引き剥がすであろうこの状況に、彼が何も言ってこないのだ。
ある意味今の咲来ちゃんよりも異常と言える。




「いいかペンギン、今は唯一火拳が敵に回らないという謎のチャンスタイムだ!だから咲来ちゃんに絡むなら今のうちだ!」


「…本人が正気じゃないとこでか?おれは感心しないな」


『ねえペンギン、わたしに何かできることある?』


「……、え?」


「癒しになりたいんだってよ。
なあ咲来ちゃん、キスとかしてほしいなーなんて」


「馬鹿お前、そんなこと…………、」




ペンギンの顎を人差し指で下から持ち上げるようになぞる彼女がいつになく色っぽい。


いいわけないだろ、今までのやり取りを聞いていなかったペンギンがそう言おうとしたであろうその時。
彼の腕の中にいた咲来ちゃんがこちらを向いて目を細めて、ふふっと笑って手を伸ばして。

――ちゅ。
軽いリップ音と、左頬に感じた柔らかい感触。




「…!!………!!」




ふわりと香った果実の香りは酒のものか。途端に頬がじわりと熱を帯びる。
おれが驚いたのはもちろんのこと、ペンギンも驚いているようで珍しく呆気にとられていた。




『ふふ、ほっぺだけ』


「……、お前案外こういうの得意な方?」


『んーん。わたし男の人きらい』


「「え」」


『でもみんなのことは好きよ』




にへらと笑う彼女。
酔っているせいなのか知らないが、言い分がよく分からない。




『ねえ、ペンギンは?』


「え、いや、…」


「お前満更でもないだろ、実は」


「……」




――図星か。
普段なら言い返してくるはずのこいつが何も言ってこないのを見てそう思う。

長く一緒にいるから何となく分かっていた、なんだかんだ言って咲来ちゃんに寄られて悪い気はしていないであろうことくらい。「何もないなら咲来ちゃん返せ」と言ったおれに黙ったまま抵抗するペンギンの様子を見ればそれが確信に変わる。




「咲来ちゃん、おれも出来ることならするぜ?」


『んーん。わたし、お世話になってるから』




「何かしなきゃいけないと思って」。
そう言う彼女の言葉は実に至極普通。




「…お前ら、何してんだ?」


「「!」」




酒瓶片手に現れたのは再びの我らが船長。
「楽しそうじゃねェか」と笑うその人はまだまだ酔い潰れるには酒が足りなさすぎる。

ああこれは取られたなと思った次の瞬間、予想に反して咲来ちゃんはペンギンにしがみついたのだった。




『……、ローさん、いや』


「…あ?」




ぎゅっとペンギンの背中に腕を回す彼女は船長の機嫌を大いに損ねたようで。
上げていた口角を一気に下げた船長の顔が怖い。しかしそんなことは酔った彼女には全く効果がなく。




『ローさんやだ、ペンギン』


「…咲来?船長に会いたがってたのはお前じゃ、」


『好きだけど、』




いやなの、と縋りつく彼女をペンギンは困ったような顔をしながら抱きしめる。
船長が屈んで咲来ちゃんの顔を指で自分に向けさせればびくついて、明らかに彼女は拒絶していた。




「…咲来嫌がってんだろ。やめろ」




聞き覚えのある声に振り向けば、ここにきてようやく動いたらしい火拳。不機嫌なのは見ればすぐに分かった。
船長の手を払うとすぐさま間に割って入る。




「咲来のしたいことをおれが邪魔する権利はねェ。
…でも嫌がることはさせねェ」




船長とそれを睨む火拳は比喩するなら火花を散らせている状態。
怒りを含んだそのセリフはしかしながら静かに放たれ、その内容になるほどと頷く。
要するにこいつは彼女からする行動に関して何も言ってこないだけで、さっきまで黙っていたのはそのせい。

馴染みのある声に反応した咲来ちゃんはそいつの名前を呼ぶとするりとペンギンの腕から抜け出して、ああ今度こそ取られたなと思った。




『エースさん!』


「こいつはおれが貰ってく、本人に拒否られてんだから諦めろよトラ男」




それだけ言うとまだ酔いが覚めないらしい彼女を、火拳は軽々と抱きあげて去って行った。





――




「追わなくて良かったんですか、船長」


「…、何で追わなきゃならねェんだ」


「………いや」




手に持っていた瓶からごくりと酒を喉に通した船長の隣に座る。
周りには酔い潰れるクルーがごろごろ、割と酒に強いペンギンは反対側の船長の隣。




「ずっと思ってたんですけど、ほんとに咲来ちゃん乗せて良かったんですか?」


「あ?そもそもお前が原因だろうが」


「それはそうなんですけど」




ふと言葉になったのは昨日から考えていたこと。
この二日間で冗談で言ったことが本当になってしまったのはさっきの咲来ちゃんの件で二回目。
一回目は彼女をこの船に乗せてみないかという提案。

場の勢いで他のクルーが乗っかったとはいえ、まさかこの人が頷くとは思っていなかった。




「改めて考えてみたんですけど、やっぱ引っ掛かってて。船長が女の子…それも会って間もない子を乗せるなんて」


「……おれが何の考えもなしに見ず知らずの人間を乗せると思うか?」




「あいつをここで逃がしたらどうなったと思う?」と続ける船長。
それに何も返さなければ淡々と理由を返す彼。




「詳細は知らないがあいつは相当情報を持ってる…おれたちのも例外じゃない。
漏らされる危険なんて十分ある。それに火拳屋……上手くいけばあいつも手玉に取れるかもしれねェ」


「…それだけですか?」


「何か不満か?
真偽なんて今更関係ねェ…実害が出たわけでもなし、異世界なんて馬鹿げてるが面白ェだろ?お前らにとっても良い条件のはずだが……不満でもあるのか?」


「……、いえ」




こちらに向き直る船長にそれ以上の言葉は出なかった。

気付いたら吐いていたセリフは普段反論しない自分に似つかわしくない。酔いがまだ完全に覚めていなかったのだろうか。
ただ――ただ、なんとなく。
今まで一緒に海賊やってきて、この人がそれだけで海賊でもない少女を船に乗せるとは考えづらくて。
居候と言っていたにもかかわらず新しいクルーが増えたときにする歓迎会まで開くなんて。

もし本当に情報が漏らされたくないだけなら消せばいいだけの話、この人が今更女子供に同情するとは思えない。
そんなことを言ってみたところできっと得られる情報が無駄になるとでも言い返されて終わるのだろう。


ただ、それでも。実際にそう言い返されたとしても。
それでも、なんとなく――この人が宴の最初に見せた柔らかい表情が今でも脳裏に焼きついていて、並べられた理由が些か薄すぎると感じていたのは確かだった。







募る感情。
(……あ、おれの方こそ咲来ちゃん追うべきだったかな)





END.








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