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『やっぱり怒られた』
「まァそうなるだろうな…」
昨日と同じ時間に起こしに来たキャスケット帽子をかぶった彼に案の定エースさんが怒鳴られた。
最初からこうなるだろうとは予測していた、だからこそ「エースさんに怒らないで」というセリフを私が吐いてみたのだが、今回は大した効果がなかった。私に甘いと思っていたのは単なる自惚れだったか。
ただもうシャチには悪いがこれからもこういうことには多々なりそうであって。
彼のしたいことはさせたい、一緒の部屋でないと安心できないと言うのならそうするし、抱き枕代わりになるならどうぞいくらでもして頂いて構わない。私もそれで嬉しいのであって。
『わたしのこと心配してくれるのはありがたいけど、毎回エースさんが怒られるのはイヤね』
「怒られるのは別にどうでもいいけどよ……いい加減あいつも諦めるべきだ」
『…ふふ』
手を繋いで食堂へ。エースさんの言うとおり日常の一部となれば諦めてくれないだろうか、そうしたら堂々とできるのに。なんて隠れて付き合っているわけでもないのに考えてしまう。
『おはようシャチ』
「おはよう咲来ちゃん!…そしてまたお前か」
「そのセリフそのまま返してやる」
『…シャチ、何ならこっち空いてるわよ』
顔を合わせるなり不機嫌になり出したシャチに、「ほら」とひらひらさせたのはエースさんと繋いでいない左手。
シャチは私がエースさんと仲良くしているとご機嫌斜めになるから、同じことをすればいいのではないかと。
でもエースさんと手を離すのは嫌だし前回そうしたら本人に止められたし、ならばこの際二人共まとめてしまえばいいじゃないという結論。
一瞬何の事だか分かっていなかったらしかったシャチは数秒置いてからぱっと顔を明るくする。
うん、やっぱりこの人も可愛い。
「じゃーお言葉に甘えて!」
ぎゅっと握られた手に感じたのはエースさんとはまた違う男の人の手。
エースさんより低いといえど、私よりもずいぶん背の高いその人。
見上げればちょっと頬を染めて嬉しそうにしていて、釣られて私も笑った。
「………」
その一方で反対側から感じる不機嫌オーラ。どっちかがご機嫌だとどっちかが不機嫌になるのは仕様か何かか。
でもエースさんが喜んでくれるのを嬉しいと感じるのと同じように、シャチが喜んでくれるのを嬉しいと感じるのも事実。
『あー…えーっと、エースさんの言ったこと忘れたわけでも無視したわけでもないのよ?』
「……無視してんじゃねェか」
『してないしてない!今回エースさんの手は離さなかった!』
「………、そういう問題じゃねェんだけど…」
「なんだァ?また妬いてんのか火拳?」
「は!?ち、ちげェよ!?」
「…ふーん?まーとりあえず飯食おうぜ咲来ちゃん!」
慌てるエースさんにさほど興味を示さなかったシャチはご飯を取りに行くべく歩き出し、それにぐいっと引っ張られた結果、自動的に反対側のエースさんも巻き込んだ。
突然のことによろめきながら歩く彼にごめんなさいと言いながらも前を行くシャチに着いていく。
「お前らもう仲良しか」と、キッチンで料理をしていたコックさんに三人揃って見送られた。
――
「さて咲来ちゃん、早速で悪いが手伝い頼む!その後は掃除だ!」
朝食を終えて着替えを済まして船の外。
日陰になる場所を選んで待機しているとシャチが桶と洗剤を持ってきて、「ここから一枚取ってくれ」と服の山を指差される。
今日の仕事は洗濯の手伝いと甲板掃除。エースさんは働かせるつもりがないので隅に座らせておいた。部屋にいていいと言ったのだが見張るだとかなんとか。
すぐ隣にシャチが座って、汚れが目立つとこ中心に適当に洗ってくれという大雑把な説明と共に洗濯開始。
私の世界で言う夏日くらいの気温があるだろうこの場所では手にまとわりつく水も冷たくて気持ちいい。
『やっぱり結構汚れてるのね』
「まあなー。でもここのとこ戦闘がないからこれでもかなりマシなんだ。
戦闘後は酷いぜ、そりゃあ血みどろ泥まみれで」
手を動かしつつ、笑いながらさも当然のように放たれるシャチの台詞。
ここは知る限り漫画の世界。刺されたり撃たれたり――きっと普通にそういうことが起こるのだろう。私がここにいる今、それらはドラマや作り物ではなくなる。
やっぱり、自分には場違いなんだ。
ぐるぐる考えていればいつのまにか手が止まっていて、「どうした」とシャチに声を掛けられて慌てて作業を再開する。
「…咲来の世界では泥まみれにはなっても血みどろにはならないんじゃないのか」
「!あー…、そっか」
ふとした声に振り返ればそこにはペンギンがいて。
様子見に来たようだったその人は「無理はするなよ」とだけ言い残して、自分の仕事に戻って行った。
「咲来ちゃんのとこは平和なんだってな。船長から聞いたぜ、刃物も銃もダメだって」
『うん、わたし刃物は包丁とカッターくらいしか……銃なんて見たこともない』
「そうかー、じゃあおれら怖がらせちゃうかもなァ…」
「気をつけよ」と呟くシャチはとてもそうは見えないけど海賊であって、戦うこともあるわけで。
馴染んできたとは思ったもののそういうことに関しては全くと言っていいほど慣れていないことを思い知らされた。
戦闘には加わるなと言ったローさんに今更ながら感謝したい。
黙々と作業すること30分、水洗いした服を干すというので場所を移動。
物干し竿代わりのロープに服をかけていくという簡単な作業、のはずだった。
『……シャチごめん、届かない』
「ははは!咲来ちゃんちっちゃいからな!」
「おれがやるからいいぜ」と笑う彼に自分の身長の低さを呪う。小食と運動嫌いのせいで早期に止まった成長がこんなところで仇となるとは。いつもならむっとしているセリフにも今回ばかりは何も言えずただ謝ることしかできない。
「よお咲来、終わったか?終わったなら遊ぼうぜ!」
『…エースさん』
「おいおい火拳、咲来ちゃんはもうちょっと借りるぞー」
手際良く服を干していくシャチの隣でおろおろしている私に仕事が終わったと思ったらしいエースさんが声をかけてきた。
その場の状況を数秒見た後で察したような彼がにかっと笑う。
「なるほどな、じゃあおれがやろう」
『えっそんな…!』
「二人でやれば早いだろ?その分遊べる!」
「咲来がいないと暇なんだ」と見よう見まねで服を干していくエースさんの身長は仕事をするには十分すぎる。
働かせまいと思っていたのに結局仕事をし始める彼に私はさらにおろおろ。
背が足りない私は二人に服を渡すくらいしかできずに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。せめてあと10センチ身長があれば。
全部干し終えたのを見て「ごめんなさい」と頭を下げる私に、シャチは笑って「気にすんなよ」と頭を撫でてくれて。
「次は甲板掃除だ、火拳はもうちょっと待ってろー。
あとな、咲来ちゃんはお前のものじゃないんだからいちいち縛んな!咲来ちゃんだって迷惑すんぞ?」
「え、…そ、そうか…?……そっか…。」
「そっか」だの「そうだよな」だの、ぼそぼそ言っているエースさんは珍しく言い負かされたらしい。
あからさまに眉を下げる彼に慌てて首を振る。
『あ、あの!わたしそんなこと全然思ってないから!』
「そうか…?でも迷惑だったら言えよ…?」
『絶対迷惑になんかならないから!』
だからそんな顔しないでと彼に手を伸ばす。その頬を包むことを躊躇ったのはついさっきこの手で洗濯をしていたから。
迷惑だなんてとんでもない、むしろこちらがかけっぱなしなのに。
『じゃあわたし、もうちょっと仕事してくるね。暇させてごめんなさい』
「おう、待ってる!」
にっと笑ったその人は、まるで頭上の太陽みたいだった。
非日常に溶け込む
(決して日常にしてはいけないと思いながら)
END.
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