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『(“帰らないで”……ねえ)』




何度目かの早起き。腰に回る腕は今回も離してくれそうにない。
上半身だけ起こしてぼんやり外を見つめた。もうだいぶ明るい。

頭で反響していたのは昨晩言われたセリフ。
まだ一緒にいてえよ、なんて。私が言うならわかるけど、なぜ貴方が。




『(そもそも帰れるかが問題なんだけど)』




乱れた髪に指を通す。

――帰れるかどうか。
来たのだから帰れるとは思うのだけど。




「んん…咲来……」


『あら、起こしちゃった?』




もぞもぞするのを感じて下を見ればゆっくり目を開いたエースさん。
しかしまたゆっくり目を閉じた彼は眠いらしい。

しがみついたまま動こうとしない彼を撫でれば、嬉しそうに笑った。




「おはよ咲来……へへ…」


『随分ご機嫌ね』




目が覚めるなりにこにこし出す彼につられて笑う。何が嬉しいのかは知らないが、彼が嬉しいのなら私も嬉しい。




「なあ、咲来ってさ。優しいよな…」


『…なんで?』


「全部知ってて……それでもおれのこと、振り払わない」




ぎゅうぎゅう腰に巻きつかれる。
私が貴方を振り払うわけ、ないでしょうに。




『そんなの興味ないって言ってるでしょ』


「興味ねェ、か…。ハハ……んなこと言うのお前くらいだぜ…」


『…そうかもねえ』




――昔の夢、見てたんだ。
力を強める彼は言った。
その意味を理解して目を細める。




「なァ咲来、おれのこと好きか?」


『好きだけど?』


「へへ、そうか…。
おれ、お前の“好き”が好きだなァ…心地よくてよ……。嘘に…聞こえねェから……」




いつになくふわふわしてるエースさんはおそらく半分くらい夢の中にいるのだろう。
嘘に聞こえないなんて当たり前だ、嘘ではないのだから。




『お望みなら何度でも言うけど。どうしたら信じてくれるの?』


「んー、わかんねェ」


『…寝ぼけてるよね』


「んー。咲来、好きならこっち来い」




こっち、と仰向けになり腕を広げたエースさんは相当寝ぼけているらしい。
まあ命令には逆らわまいと大人しく身を屈める。すぐに背中に腕が回された。




「あー……おれも咲来好きだ…」


『……、それは恥ずかしいからやめて』


「なんでだよ。すーきーだー!」


『やめなさいってば…!』




まさか言い返されるとは思っていなかった。
不意打ちすぎる、思わず起き上がろうとしたが彼の腕が離してくれない。

すき、すき。エースさんが、わたしを。


もちろん深い意味などないのは百も承知。それでも効果が抜群すぎる。
調子に乗ったらしい彼は「好き」を連呼し始めて、やめてと言ってもやめてくれなくて。
反射的に頬をつねれば彼は「痛ェ」と笑う。



ああ、まずい、なんて。
じわじわ胸に広がる幸せに、無意識に唇を噛み締めた。




――




『エースさん、気をつけて』


「おう、お前こそな?……へへ、」


『?』


「いや、なんかいいな見送りって!」




聞こえる波の音はもう随分と慣れた。
晴れたその日はまさに船出日和、ストライカーの調整が終わったらしいエースさんは甲板へと一度戻ってきた。

見送りのため外に出れば案外大人数がそこにいた。
事情はすでに全員が把握済み。まさかローさんまでわざわざ起きて見送りに来るなんて、昨日までは思っていなかった。
本人に聞いてみれば「お前が逃げないようにな」と軽くあしらわれただけだったけども。




「じゃあこれ、子電伝虫」


『ひっ!?』


「……え?」




はい、とエースさんが手渡してきたものに驚いて思いっきり後ずさる。勢いで近くにいたシャチの腕にしがみついてしまった。


彼の手のひらに乗っていたのは電伝虫、の多分小さいバージョン。子電伝虫と言っていたから。
それにしたって大きい。私の知っているでんでんむしもといカタツムリというのはもっとこう、2センチくらいで紫陽花の葉っぱの上を歩いてるアレだ。アレと比べたら何倍も大きい、だって手のひらに乗ってる、手のひらに。しかも漫画みたいな目がついてる。有り得ない。いや、ここ漫画の世界だからそれでいいのか。




『む、無理!大きい!触れない!!』


「…咲来、これ見るの初めてか?」




エースさんはともかく、周りの人全員が自分を不思議そうに見るのがわかる。それもそうだ、きっとこれ日本で携帯電話見て騒ぐのと同じだ。いやでも、それでも無理なものは無理。なんでそんなに平然と乗せてるのか全くわからない。




「咲来ちゃんの世界にはないのか?」


『ない。カタツムリで電話とかできない。カタツムリはそんな生き物じゃない』


「電話ってことは知ってんのか。うーん…でも使えるようになっといてくれ。じゃないとおれと連絡とれねェから」


『じゃあ代わりにシャチが持ってて』


「おれ!?おれが火拳と電話しても何も楽しくねーぞ咲来ちゃん!」




ごもっとも。ごもっともだとは思うけど。

「そんな気持ち悪いもんじゃねェよ、生きてるけど大人しいぞ」と近付けられたがやっぱり悲鳴をあげてシャチの後ろに隠れることしかできない。どうしよう、私こっちでは電話もまともにできない。




「うーん…参ったな。とりあえずシャチ、お前が持っとけ。後で咲来に何とか渡してくれ。
いいか咲来、心配だから寝る前に一回コールしろよ。あとは何かあったらすぐ連絡。
おれからもたまにすると思う、頼むな」


『が、がんば…る……多分…』


「寝る前に一回って……過保護だなァ火拳は」


「お前らが何かしそうで心配なんだよ!!
いいか、変なことしてみろ…おれが直々に喧嘩売りに来てやる」


「「ヒィイ!」」




ギロリ、睨んだと同時に震え上がる船員さん。さすが隊長。
寝る前にコールということは今夜までに私はこのカタツムリと戦わねばならないらしい。




「じゃ、」


『エースさん』


「ん?」


『怪我とか、しないでね…?』




行ってくる、と片手を挙げかけた彼の言葉を遮る。

彼が駆り出されるのだから戦闘員不足とかそんなものだろう。
この人が怪我をするような強い相手なのかは分からないが、それでも心配なものは心配。


控えめに言えば彼は笑って、その後思いついたように口を開いた。




「なァ咲来。見送りついでにちゅーしてくれねェ?」




とんとん、と左の頬を指で小突きながら。
太陽みたいに笑った彼にどきりと心臓が鳴る。

ずりィぞと言い出したシャチから手を離して、屈んだエースさんの肩に手をかける。




「……へへ。ありがとな、咲来」


『ねえエースさん』


「?」


『わたしにも……ごめんやっぱり何でもな、』




不意に口をついて出た頼みごと。
半分無意識だったらしくすぐに我に返ったが、数秒もしないうちに彼の手が私の頬に添えられていた。


――ちゅ。
左耳近くで、小さなリップ音。




「…へへ」


『あ、ああありがとう……ございます…』


「何改まってンだよ」




へらっと、頭上の彼が笑う。


何を言ってるんだ私は。そしてなんで躊躇いもなく実行するんだこの人は。
どうしよう、あのエースさん、から。ほっぺにキス、頂いてしまった。




『、っ…!!』




――どうしようどうしようどうしよう。

嬉しいやら幸せやら恥ずかしいやらで頭が爆発しそうだ。最初に抱きしめられた時も大概だったけど、比にならない。ハグとキスじゃレベルが違う。
反射的に両手で顔を覆ったが隠しきれない、しかもよく考えたらここ甲板だった。人前で一体何をしているのだろう。


くしゃりと頭を撫でられたが顔を上げられない。「そんなかわいい反応すンなよ」と、どこか呆れたような照れたようなその一言が正直とどめだったのは多分分かってもらえない。




「うっし!じゃ、行って来る!なるべく早く戻るからな!」


『…うん、行ってらっしゃい』


「ゆっくりでいいぞー」


「あァ分かった、全力で帰って来てやるから待ってろシャチ」




それだけ言って勢いよく甲板から海に飛び降りたエースさん。慌ててその後を追って、船の柵から身を乗り出す。炎が上がったかと思えばストライカーは一気に加速して、数分もすれば小さな点となって消えた。




『……、行っちゃった』




見えなくなるまで見送りして、見えなくなった頃にぽつり、呟く。あっという間、だった。

さっきまで隣にいた大好きな人。もしかしたらもう二度と会えないかもなんて、ゼロではない可能性に滲んだ涙を腕で拭った。




『さてと!シャチ、今日もわたし頑張るからお手伝いさせて?』


「おう、よろしくな咲来ちゃん!」




寂しくないわけがない。追いかけたくなかったわけがない。
でも今はそんなことを言っている場合ではないから。

そう、だから。もしこの一週間の中で帰る方法が見つかったら、私はきっと、会いたいと泣きながら“帰る”という選択をするのだろう。






望めない帰り道を探す

(甘えてばっかじゃ、だめだ)







END.





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