36


 




「お疲れ咲来。…眠そうだな」


『うん、どっかの誰かのせいで』




ローさんに文字通り抱き枕にされてから一夜明けた。おかげさまで浅い眠りを何度か繰り返すことしかできなかった、それなのに朝起きたらあの人は「久しぶりによく眠れた」とか言い出すからもう本当にわからない。私は安眠枕ですか。

今日の仕事は昼食と夜食の準備。お昼ご飯をベポと一緒にのんびり食べて、夕食までは特に用事がなく手持ち無沙汰。
昨日遊んでくれたシャチは外で甲板を掃除しているから私に構う暇はない。ベポはお昼寝タイム。寝不足だし一緒に寝ようかと思ったけど、珍しく食堂で一人本を読んでいるペンギンを見かけてそれはやめることにした。




『お仕事は?』


「今日は非番なんだ。久しぶりに」


『あ、…ご、ごめん邪魔して……』


「そんなことない、おれも咲来と話したかったんだ」




ふわり。微笑んだペンギンは隣に椅子を持ってきてくれて、それに腰掛ける。
彼は読んでいた本を閉じてそばに置いた。




『この前はメモとカレンダー、ありがとう』


「ああ。役立ったか?」


『うん』


「……、帰れそうなのか?」


『え』




前触れもなく言われたことに顔を上げる。帰るなんて、この人には一言も言ってないのに。いつ感づかれたのだろう。
そんな私に気付いたのか、理由を話し始めるペンギン。

――「カレンダー」でなんとなくそう思った。
――帰る目処でも立てているのか、と。




「何か急ぎの用があるのか?」


『え、ああ、まあ……。課題やらなきゃって…』


「課題?」




首を傾げるペンギン。先生から夏休みの課題がたくさん出てるの、と言ってみたが反応を示さない彼に「学校」「授業」「先生」の説明から試みる。彼らには馴染みがないのだろう。




「なるほどな。咲来も大変なんだな」


『わたしのとこでは当たり前のことだから…』




学校へ通って、その後は生活のために就職する。自分が何も疑問に思わずに続けてきた日常と常識がここでは通じない。私に彼らの常識が通じないのと同じように。




「どう協力すればいいかは分からないが、おれも何か出来ることはしよう。
ただ…あまり、帰ってほしくはない」


『どうして?』


「フフ……おれにとっても癒しなんだ、お前は」




目の前で微笑む彼。漫画では隠れて見えなかった目元は優しくて、唇はゆっくり弧を描いて。その顔に思わず頬が熱くなる、シャチならまだしもこの人にそんなことを言われるとは。

顔を隠すようにそっぽを向いて机に項垂れれば、ペンギンはくすっと笑って私の頭を撫でて。なぜだろう、安心する。




『ほんとは……帰りたくない…。』


「………」


『でもわたしはここの人間じゃないから……。
それにね、この先に見たくないものがあるの』


「見たくないもの?」


『そう。きっとここでは、わたしの読んだ本の通りに話が進んでる。
このまま進んだら…わたしの見たくない未来が来ちゃうから』




――少なくともその前に、帰る。
漠然とした不明瞭な未来を何も知らないペンギンに語る。




「その本とこの世界がつながっている保障は?」


『…ない』


「ないなら……ここでお前が生きればいいじゃないか。
嫌な未来があるなら、話ごとねじ曲げればいい」


『………、ダメだよ。わたし、その本のファンだから。そんなことできないよ…。
他にも理由があって』


「…他にも?」




物語に変な影響を出さないこと。本来の自分の生活も考えなきゃいけないこと。
他に、もうひとつ。




『――怖いの。
わたし、本当にみんなのこと大好きで。ずっとずっと前から、ずっとずっと好きだった。
怖いの、こっちの世界に慣れきっちゃうのは……怖いの』




夢、見たこと。
そんなの、もう数え切れない。




『今わたしが正気を保ててるのは奇跡に近いの……ちょっとでも油断したら持ってかれる。
だから後戻りできるうちに…帰り道、探さなきゃ』




無理やり笑ってみせる。気を抜くと泣きそうだ。
でも泣くわけにはいかない、そんなことしたらきっとペンギンは困ってしまうから。


ぽんぽん、と。乗せられてた大きな手が、私の頭を軽く叩く。




「……火拳がお前を信じてる理由が…なんとなく、わかった。
異世界なんて信じられないが、お前を見てたらそうも言ってられないな」


『ペンギン、』


「お前が帰りたいと望むなら協力しよう。…でもな咲来、自分に正直になってもいいと思う」




撫でる手を止めたペンギンの言葉に思わず顔を上げる。

ふわり。この人の笑い方は本当に柔らかい。




「おれはその本のことは知らないし、お前が見たくない未来がいつ訪れるかも知らない。でもそれまではお前がしたいことをすればいいんじゃないのか?
好きなら好きなりにそうすればいいと思う。少なくともここにいる人間なら応えてくれるさ。
伝えられる時に伝えないと……帰った時、後悔する」




――そう思わないか?
交わった瞳は鋭くて、逸らせなくて。




『……、そういう考え方もあるんだね…』


「おれの勝手な考えだけどな。課題とやらはおれにはどうしようもないから、それに関しては何も言えないが。
咲来はおれ達にはそこまで神経質にならなくてもいいと思う」


『……そうかな…』


「もっと力抜け。もっと頼ってくれていい。おれ達にも、火拳にも」


「咲来ちゃ〜ん!!」


『! わっ!?』




突如、ズドドドという音とともに食堂に突っ込んできたシャチ。
なぜか彼は私めがけて走ってきて、しかも背中側から抱きついてきた。
思わず前のめりになるも持ちこたえる。




「……、真剣な話をしてる最中にお前は…」


「あれっ?そうなの?」


『ど、どうしたのシャチ?』


「え!?い、いや、なんでも!特に意味はない!」




こちらから手を繋いだことはあるが彼から突っ込んでくるなんて初だ。疑問に思って聞いてみるも彼はへへっとはにかむだけ。

甲板の掃除は、と聞いたらさっき終わって片付けて手を洗ったところらしい。石鹸の香りがしたと思ったらそのせいか。




「ペンギンだけずりーぞ!おれ昨日ほとんど遊べなかったんだからな!」


「おれだって珍しく非番なんだ。これくらいいいだろ」


「良くねえ!」




ぎゃあぎゃあ言い合う二人。二人揃ったおかげでうるさくなった、とは言っても心地よい程度のうるささで。

さっきのペンギンの言葉が蘇る。――好きなら、好きなりに。




「……!」




顔のすぐ右隣にあったシャチの頭。ペンギンと言い合いをしてるのもお構いなしに右手で引き寄せて、その左頬に口付けをひとつ。




『…ふふ。何でもない』




分かりやすく動きを止めたシャチに笑う。


帰りたくない、帰らなきゃいけない。わかっている。
ここの人たちを好きな気持ちは変わっていない。伝えれば伝えるほど気持ちは膨れ上がって、その分帰るときつらいだろう。
でも伝えなかったら、確実に後悔する。

つまり私がどっちをとるか、だ。




「………やばい。咲来ちゃん可愛すぎておれしぬかもしれない」


「…ヘタレ」


「うるせェ。羨ましいくせに」


「そうだな。否定はしない」


『え』




“人生にくいは残さない”。
大好きな人がそう言っていたのを、今になって思い出した。






きっと貴方なら、実行して後悔する方を選ぶのだろう。

(なあ咲来ちゃん、もう一)
(おーい咲来ちゃん、夕飯の準備手伝ってくれー!)
(はい、只今ー!)
(あああ咲来ちゃぁあああん………!!)
(フフ…おれも後で頼もうか)




END.








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