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『ローさんってばほんとに…よりによってマルコさんもいるとこで……』


「クク…腰、弱いのか」


『ちょっと聞いてるの!』




夜の電話アット死の外科医の部屋。
すぐ終わるだろうし大丈夫かと思いきやそんなことはなかった。




『もう!わたしやっぱり部屋帰る!』


「まァそう機嫌損ねるな」


『誰のせいだと……』




そろそろ寝ようとしたところを捕獲された。どうやら今日も安眠枕係に抜擢されたらしい。
あの途轍もなく心臓に悪い睡眠妨害をされた昨日の夜はもちろんまだ忘れていない。このままだと隈ができるのは私だ。が、この人相手に断れる術が自分にはない。

再び引きずり込まれたこの人の部屋。電伝虫を移動させるという条件をつきつけると案外あっさり引き受けてくれて、この部屋から電話した。
会えないだけあって今日の出来事をぐだぐだ話すのは幸せで、ローさんのことも忘れて数分エースさんと喋り続けていたがそれが良くなかったらしい。暇になったローさんはごろごろうだうだした挙句こちらにやってきて早くしろと言わんばかりに腰に巻きついた。通話中だからと無視していたら、背中をつーっと指でなぞられた。残念ながら効きません、とそれを更に無視していたら背中を触りだして。腰まで来た時にとうとう堪えられなくなって逃げた。




『あんまりセクハラするならエースさんに言いつけます』


「ああそうだな、悪かった。ちょうどいい遊び道具に見えた」


『…反省する気ないでしょ』




ごろごろしながら医学書のようなものを読んでいる彼に反省の色は見えない。
ため息をつくもあんまり怒る気がない自分が確かにここにいるから、もう。


ふと目をやったのは彼が手に持っている本。英語が羅列された、年季の入っていそうなそれ。
少し気になって中を一緒になって覗いてみれば、何やら体の部位の図が書かれていたが私にはよくわからなかった。




『これ、昨日夜中に読んでたやつ?』


「……、起きてたのか」


『あなたのせいで眠れなかったとも言う』




というか、八割方そうなのだけども。




『数時間おきに起きて本読んでたよね…。やっぱりまだ、あんまり眠れないの?』


「…、まだ?」


『子供の時から……隈、酷かったから』




寝転がって頭だけ彼の方に向ける。整った顔のせいか、余計に目立つ目の下の隈。
それこそ寝不足なんて初めて見た時から明らかだったけど、毎回朝食を抜くくらい寝ていると聞いたからある程度睡眠はとっているものだと思っていた。

でも実際、隣にいてわかった。この人、ちょくちょく起きては本を読んで時間を潰して、また布団に潜り込んでを繰り返している。




「……。
お前はおれの子供の頃まで知ってるのか」


『うん、まあ』


「どこまで知ってる?」


『…!』


「お前は……どこまで、おれのことを知ってるんだ」




――ぱたり。本を閉じてこちらをゆっくり振り返る。
「いい機会だ」と、脳を揺らす低めの声はそう呟いた。


綺麗な顔立ちも、読み取りにくい表情も。
今までと何も変わらないはずなのに、何故だろう。交わった藍色の瞳は少し揺らいで見えた。




『…嘘ついてたことは謝る、ごめんなさい』


「……嘘?」


『ローさんの名前も、ちゃんと全部知ってた。
でもあんまり言っちゃダメだと思って、…思い出したくないことも、あるだろうし』




視線を天井に移してから目を閉じる。
つい最近読んだこの世界の原作である漫画は、ちょうどこの人の回想を連載しているところだった。




「なら咲来…もう一度問う」


『!』




――“おれの、名前は?”


色素の薄い唇が一文字一文字を丁寧に紡ぐ。
反射的に映した視界に、先程までおふざけをしてた彼はいなかった。




『トラファルガー……D、ワーテル・ロー』


「――、」


『…あってる?』




ゆっくり、ゆっくりと。彼がそうしたように、自分も丁寧に言葉を紡いだ。
一瞬だけ目を見開いた彼は、またいつものように目を細める。

なるほどなと、それだけ呟くように吐き捨てると彼は視線を外した。




「火拳屋とも、今と同じようなことがあったか」


『……』


「確かに、お前がこの世界の人間じゃないと考えた方が都合が良い。
…お前はどこでその名前を知った?本は物語形式なんだろ?」


『ベビー5達に名前教えろってせがまれた場面、…』


「…!」


『生まれた町のことも、ざっくりした生い立ちも、……コラさんのことも知ってるよ、…ローさん』




細められた瞳が、今度こそ揺れた。
脳裏に描いたのは記憶に新しい大好きな漫画の一場面で、焼き付いて離れないあの人の顔はきっとこの人の瞼の裏にまだ鮮明に残ってる。




『そのあたりでこっちに飛ばされたから、続きはわからないけど…それまでの話の範囲ならわかる。
ついこの前読んだばっかりだけど、コラさんのこと、わたしも大好きだった』


「……」


『だからね、…』


「……、…どうした?」


『…っ、』


「おい、」


『コラさんが泣いてるとこ、…思い出した』


「…!」




話しているうちに思い出した。


――“痛ェのはお前の方だったよな…”
――“可哀想によォ…!!!”




「……、お前が泣くことねェだろ」


『だって、…つらかった、泣いてる二人のこと見てるの、』




“ほんとに、つらかった”
最後の方は嗚咽で声にならなかった。




「あんまり擦るな…腫れる。
電気、消すぞ」


『…ん、』




ごそごそとローさんが起き上がったのを気配だけで感じる。数秒後にパチリと照明が落ちた。

暗闇で涙を拭っていればすぐ隣に彼の気配。数秒もしないうちに引き寄せられて、相変わらず私は背を向けていたけれど昨日ほどの抵抗はなくて。黙って抱き寄せられれば、真後ろから彼の息遣いが聞こえた。




「お前がただの人間じゃないことはよくわかった。
…悪かったな、思い出させて」


『ごめ、なさ、……わたしが慰められてる場合じゃ、』


「咲来はコラさんのことが好きなのか?」


『うん、』


「そうか…おれも好きだった」


『知ってる』


「……、フフ…。
昔話をしてやってもいいが…多分お前が泣くだけだろうな」




軽く笑いを交えた彼はおそらく、いつものように口角を上げていることだろう。
背中側の彼の表情は、私からは見えないけれど。

でもそれもほんの一瞬で、ふっと空気が変わるのを肌で感じた。




「なあ…咲来」


『…?』


「おれはもう……泣き疲れた…。涙なんて、とっくの昔に枯れてる」




後ろから回っている骨ばった手。
それが不意に、ぎゅっと力を持った。




「もう十年以上も昔のことだ……あの人がいなくても周りは静かなはずなのに」




顔も見えてないのに、どうしてだろう。
聞こえる声があまりにも切なくて、止まったはずの涙が再び滲むのがわかる。




「何故だろうな…まだ眠り方を思い出せない」




私にはただ、その手を握ることしかできない。






確かに熱は感じるのに

(その手はあまりにも、冷たい)




END.









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