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『ん……』
何とも言えない息苦しさを感じて目が覚める。が、どうも視界が暗い。
そして体全体で感じる、生温い温度。ゆっくりと目を開ければ必然的に飛び込んでくる、見覚えのある黄色。
『(エースさん……じゃない!!)』
思わず飛び起きる、途中で躓いた。自分以外の腕に体が引っかかって「ぐえっ」だなんて間抜けな声とともにベッドに逆戻り。
刺青だらけの腕に長くて細い指。先日まで隣にいた人とはまた違うその人。
思えば前回もこんな感じだったけれど、たったひとつ違うのは今は彼と向き合う体勢になっていること、だ。
『ローさん、起きて!離して!!』
「………」
『ねえ、ってば…!』
「まだ眠ィ…起こすんじゃねェよ……」
『……、っ』
気だるそうな声が頭上から降ってくる。腕を抜けるどころかむしろ力が強まって余計に息が詰まる事態。
それは物理的にも、精神的にも。朝からこんなのに堪えられない、私は。
なんで向かい合っているのだろうと考えても所詮寝返りを打っただとかそんなものなのだろう。寝てる間に寝返るくらいよくあることだ。では何故前回よりも距離が近いように感じるのか、というのは多分昨日の夜のせい。この人相手にもある程度の信頼を得たからだと思う。
かと言ってこの状況に慣れたかと言われれば全然慣れていない。エースさんにやっと慣れてきたくらいなのに、立て続けにタイプの違うローさんに慣れるにはまだ時間が要る。
どんどん速くなる鼓動が自分でも分かるから出来るなら早急に離して欲しいのだけども、「眠い」と言われてしまうと事情を知ってしまったためかどうにも動けなくなる。
『ローさ…お願い、まだ寝てていいから離し……』
「……臭うな…」
『…え?』
せめて脱出だけでもしようと試みたそのとき、唐突に彼はそう言った。
臭う、とは。あれだろうか、私が汗臭いとかだろうか。
『えーっと、…ごめんなさ、い?』
「イヤ…。お前じゃなくて…」
『…?
……!?ひっ、な、なに…!?』
目を瞑ったままの彼がなにやらくんくんと鼻をひくつかせ始める。
布団、シーツ、私の髪。そこまできたところで目をうっすらと開けた。
「…やっぱり香水臭ェ。こっちにも移ってたか……」
『へ?香水?』
「前の島で、とある女に……ちょっとな」
『……。ふーん…』
ウンザリとでも言いたげな彼は「起きたら洗濯するか」とあくびをひとつしてから再び布団に潜り込む。
臭う、と言い放った場所から何故かわざわざ私ごと移動した。私は起きたいのですけども、何故あなたは寝る体勢に戻ってしまうのでしょう。
“女”。聞こえた単語は聞き流したはず、だった。
「…ん、なんだ。妬いたか」
『……は!?』
「なんなら…」
『――!!?』
ニヤリとした彼は寝惚けているのだと思う。いや、絶対にそう。
でなければこんな。いくらからかってても、どんなに面白くても、あのローさんがこんなサービス、しないと思う。
「……あ、…」
『シャチ!!おはよう!!!』
「えっあっえっ!?おおおおはよう咲来ちゃん!?」
一瞬力が緩んだその瞬間に一気に起き上がって逃走する。
逃げた先はもちろん部屋の外。通りすがったのか起こしに来たところに遭遇したのかは分からないが、ちょうどいいタイミングでシャチに出会った。
寝巻きのままだとか、髪がぐしゃぐしゃだとか、昨日泣き腫らした目は大丈夫かとか。
そういうのを確認する余裕もなく、視界に飛び込んだシャチに文字通りダイブして縋り付いた。
「………、」
「あっせせ船長!おはようございます!!お早いですね…!?」
『………』
「………」
後を追ってきたのは我らがキャプテン。ちらっと目だけ向ければその人はゆらりと歩いてきてドアの前で立ち止まった。
目が合った瞬間、反射でシャチの後ろに隠れる。
私とローさんを交互に見た後、シャチが何かを思いついたように口を開く。
「…船長、もしかして咲来ちゃんに手ェ出しました?」
『なっ、ちょ、シャチ!?』
「誰が出すか。なんでこんなガキに…」
『………』
「わかってると思いますけど…。
咲来ちゃんは火拳のこと好きなんだから、あんまりそういうことしないであげてくださいよ」
「……!」
『!』
ぽんぽんと頭を撫でられる。
手を出すとか、そういうこととか。まさかそんな単語を並べられるだなんて思ってなかった私はただシャチを見上げることしかできない。
恐る恐る視線を前に戻せば、すでにローさんは背を向けた後で。
「…シャチ。後でペンギン連れてここに来い」
「了解、です」
『あ、ローさん、朝ごはん…!』
「要らねェ。今日は持ってくんじゃねェぞ…持ってきたらバラす」
――バタン!
勢いよく閉まった扉の音に思わずびくりとした。
表情は確認できなかったけれど。
誰がどう見たって――明らかに怒っていらっしゃる。
「あーあー…。えらくご機嫌斜めだなァ、船長。大丈夫か咲来ちゃん?」
『うん、わたしは大丈夫…』
「そっか。どう考えてもバラされるのおれだよなァ。まあペンギンも巻き込んだからいいや」
『ローさん…怒ってた…。ごめんねシャチ、わたしのせいで……』
「咲来ちゃんは悪くねーよ。むしろトドメ刺したのおれだし」
「あの人が短気なのは前からだから」といつもの調子で話すものだから、部屋の中まで聞こえたのではないかと少しヒヤヒヤ。
あの状態で更に怒らせたら多分二人揃ってすぐにでもバラされる。
朝食は食べて欲しいけど、今のあの人相手に立ち向かう勇気はどうやっても湧いてこない。怖すぎる。
何にしろ締め出されてしまったのでこのままシャチと朝食コースだろう。その前に顔くらいは洗っておきたい。
よく事情は分からないけど、怒らせてしまったからには謝るべきな気がする。だとしたら後で二人と一緒にローさんを尋ねるべきか、でも私は呼ばれていないし。
迷っていれば「一緒に朝飯食おうぜ」と言ったシャチにがしがしと無遠慮に頭を撫でられて、余計に髪がぐしゃぐしゃになった。
『…ねえ、そういえばわたし、目赤くない?』
「ん?別に何ともねェと思うけど……何かあった?」
『ううん、赤くないならいいの』
「そうだなァ…顔は赤い気がするけど」
『えっ!?』
バッと頬を両手で覆えば、シャチは「でも可愛いから大丈夫」なんて全くフォローになってないフォローをひとつ。
さらに頬が熱くなった気がして、下を向いて歩いた。
『(…揃いも揃って心臓に悪いんだから……)』
おでこに手をあてる。
じわり、数分前に薄い唇が押し付けられたそこが熱を帯びた。
「あつい」
(あの人に体温分けてあげたい)
END.
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