03
「そういや咲来、おれにのこのこ着いてきて大丈夫なのか?」
海に突き出た橋から下を見下ろせば透き通った水の中には魚が何匹も泳いでいて。
きらきらした水面を綺麗だと眺めていれば上から声が降ってくる。
見覚えのある小型の乗り物をいじりながらこちらを向いた彼に尋ねられた。
「いくら知ってるからと言って、出会ったばかりの男に着いて行くのはどうなのか」と。
呑み込んだ質問を噛み砕く。まあそうだろう。
向こうからすれば私は見ず知らずの女の子にすぎないわけで、自分のことを知っていると言われても真偽は不明、着いて行ったところでどこに連れていかれるかもわからない。小さい頃、知らない人には着いて行くなときっと誰もが教えられている。
でも“異世界”らしき場所に一人迷い込んだ私にはそれらは割とどうでもよくて、いや決してどうでもよくはないのだけど、彼に絶対的信頼を置いている理由は明確にあった。
『大丈夫だと思う、エースさん見てたらそう思った』
「そんないい加減な…」
『ほんとよ。それにわたしエースさん大好きだったし』
「え」
作業をしている手が止まる。
「漫画では一番好きだったの」と言い直せば驚いた顔をされた。
『あ、過去形じゃなかった。今も好き!』
「…、お前な……」
だんだん赤くなっていくのが見てて分かる。立ち上がって覗きこめば顔を逸らされた。
漫画では見せることのない照れた様子の彼に、私の口角は下がる気配がない。
「結局さん付けなんだな」と話題を切り替えられて「まあね」と適当に返す。
呼び捨てにしてみたはいいもののしっくりこなかった結果がこれだった。
『エースさんこそいいの?見知らぬわたしを連れて行って』
「んー…どうだろうな、でもお前敵には見えねェし…」
「もしそうだったとしてもおれが負けそうにはねェし」と続ける。
確かにたかだか一人の女にエースさんが負けるはずがない。でも案外見た目によらず強い人とかもいるかもしれない、私は違うけど。
そんなことを思ってたら「実は超強かったりしてな!」とシンクロしたらしい彼が隣で笑った。
「さ、準備出来たぞ。咲来は前に乗れ!」
『…これ一人用だよね?大丈夫?』
「咲来ちっちゃいし大丈夫だ。ちょっと狭いかもしれねェけど勘弁してくれ」
ほら、と言うエースさんにさらりと気にしてることを言われて思わずむっとする。
「どうせわたしはチビですよ」と不貞腐れながら返せば案外素直に謝ってきて少し驚いた。見上げるより先に彼の手が私の頭を軽く叩いて、「小さい方が可愛いぞ」と続けられる。そのさり気ないフォローに顔が熱くなる、幸いにも気付かれてはいないようだったけど。
「じゃ、出発するぞ」
後ろに乗りこんだエースさんは能力で炎になっていた。
それに驚いてる暇もなく、気付けばボートは発射していた。
――
『……!…!!』
物凄いスピードで進む“ストライカー”に声にならない悲鳴をあげてもエースさんは気付いてくれない。
日本に住んでいた私がこんなものに乗ったことなんてあるはずもない。そもそも船に乗ったこと自体が数えるくらいしかない。
掴まる場所の用意はされておらず、頼りは肩を支えるエースさんの腕だけ。
それは何よりも力になっているはずなのだけれど、飛ぶように変わる視界がスピード感満載過ぎて我慢できずに目を強く瞑った。
『え、エースさん…っ!もうちょっと遅く出来ないの…!』
「ん?どうした、速すぎたか?でもこれくらいで行かねえと…」
『一瞬緩めて!一瞬!』
振り絞った声は何とか彼の元へ。
わかったという言葉通りに徐々にスピードが落ち、タイミングを見計らって勢いよくぐるりと半回転した。
「うお!?」
視界が一気に暗くなる。というのも、回転すれば必然的にエースさんの方を向くからで。
背中にかかる風圧も手伝って、視界はゼロに近付いていく。
エースさんはなぜかいつも上半身裸だから、体勢的にその何も纏っていない胸に頭を押し付ける形になってしまったのだけど今は恥じらう暇もない。下心などないのだ。いや、完全にないと言えば嘘だけれどこうでもしないと身が持たないのは事実。
振り落とされはしないと思うが、どうしても恐怖感はぬぐえなくて彼の腰にしっかり抱きついた。
「っ、咲来」
『ご、ごめんなさい…!でもこの速さは無理…っ』
大好きなエースさんに抱きついてるなんて幸せ以外の何物でもないはずなのだが、恐怖が勝っていてそれどころじゃない。二次元を夢見たことなどいくらでもあったが、まさかこういう形で実現されるとは。
どうにか、船に着くまで。そういえばどのくらいかかるのだろう、しかし質問をする余裕はない。こんなことなら乗る前に聞いておくべきだった。目安くらい知っていて損はなかっただろうに。
「………」
その頃彼が別の何かに耐えていただなんて、知る由もなく。
すでに瀕死。
(これはあれだ、掴まってなかったら精神的に死ぬ感じだ)
END.
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