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「……らしくねェ、か」




――確かにな。
誰もいない部屋に一人。吐き出した言葉は空気に溶けて消える。


自分のことを共に旅をする仲間以上に深く知っている謎の人間。記憶にない、けれど実際に色々な事実を知っている詳細不明の人間。

気味が悪い。一言で言えば、そう。
一方でそんな人材を手放すわけにも行かない。奴の情報量は未知数。
相手は若い女。ならば話が早い。落とせば勝ち、だ。


感情の入っていない恋愛ごっこなどいくらでもしてきた。暇つぶしの、形だけの男女関係などいくらでも築き上げてきた。
“それっぽい”ことをすれば女はいつだって簡単に手に入った。どこの誰が相手だろうと。今回もそのハズ、だった。


――からかうのもいい加減にして!

――咲来ちゃんは火拳のこと好きなんだから、
――あんまりそういうこと、しないであげてくださいよ





「……」




拒否をされたのは初めてだと、おれはあいつに言った。間違いではない、女相手に拒否をされたのはこれが初めてだった。
理由は明確だった。向こうから寄ってくる女はいても、自分から寄っていく女はいなかったから。
今回だって始まりは向こうからだった、だからいつも通り手に入るものだと思っていた。




「………」




今朝。確かにあいつは自分から逃げたがっていた。「離して」と、あいつは言った。
一目散に逃げた先にはシャチがいた。あいつはおれよりもシャチを選んだ。

自惚れているわけではないが、初期は自分の方が好かれていたと思う。でも今は違う。
出した結論は簡単で単純。あいつは自分よりも先にクルーに懐いた。どこかで、好感度メーターが逆転したのだ。
ならば現時点では自分が動くよりあいつらが動いた方が確実。ただそれだけのこと。
おかげで面倒事も減った。ガキのお守りならシャチやペンギンの方が向いている。


なのに何故だろう。
どこかやけに、落ち着かない。




「……、チッ」




組んでいた足を組み替える。

他人任せなのが原因だろうか。でも仲間のことは心から信頼している。
自分が動けないことがもどかしいのだろうか。そんなことはない。面倒なことが減ってむしろ良かったではないか。



――随分弱気なこと言うんですね、




『…あの、』


「!」


『ローさん、…今、大丈夫ですか?』




コンコン。
不意に響いたノック音と、ある程度聞き慣れてきた女の声。

理由こそ分からないが十中八九イライラの原因となっているそいつ。
溜息を吐きながらドアへ向かう。押し開ければ眉をハの字にしている咲来の姿。




「どうした?」


『ローさん、まだ怒ってる…?』


「あ?……」




ちらちらとこちらの様子を伺うそいつに、今朝のことを思い出した。寝起きの低いテンションで若干冷たく当たった、気がする。あまり詳しく覚えてはいないが。
クルーだったら大して気にしないようなことでも日が浅いこいつにはそれなりに堪えたらしい。




「別に怒っちゃいねェよ……あれくらいいちいち気にすんじゃねェ」


『…ごめんなさい、』


「で、何の用だ」


『ローさん怒ってると思ったから……コックさんに頼んで、ローさんが好きそうなもの用意させてもらったの』


「……、は?」




視線を下げれば、小さめのトレーに紅茶とおにぎりと、焼き魚。確かにそろそろ夕飯の時間ではあるが、夕飯は全員で一斉にとることになっている。それくらい分かっているはず。何故わざわざ。




『あの、ホントだったら差し入れは甘いものとかだと思うんだけど……わたしローさんがそういうの好きなのかよく分からないし、好きな食べ物って焼き魚とおにぎりしか知らないし…。
他に好きそうなものとか特に知らないし、知ってても用意も出来そうにないから…その……これくらいならわたしにも作れるから…』


「……」


『要らなかったら要らないって言ってもらえれば…シャチにでも食べてもらうから、……』




それだけ言って黙り込んだ咲来。返事を待っているのだろう。

要するに、だ。こいつはおれの機嫌をとるために食い物を持ってきたらしい。おれを何だと思っているのだろう。




「……お前な…」


『一応聞いてみたの、普段ローさんに怒られたらどうするのかって…。そしたら大体気付いたら元に戻ってるって言われて、…でもそれじゃわたしはダメなの』


「…?」


『わたしはいつ帰るか分からないから。極端な話、3秒後にここにいるか自分でも分からない。
だからローさんと気まずくなってる暇なんてなくて。ローさんと一緒にいる時間は1秒でも無駄にしたくないから』


「………」




顔を上げた咲来の眉は相変わらずハの字で、それでも声に芯は通っていて。
本心なのだとは思う。




「……ハァ」


『………』


「そう思ってる割にはよく逃げるじゃねェか」


『え?』


「…まあ、いい。入れ」


『!お、お邪魔します』




ドアを目一杯開いて両手の塞がっているそいつを招き入れる。
分からない。寄ってきたかと思えば、こちらから寄った途端逃げ出して。逃げたかと思えば、またこうして寄ってくる。




「お前はおれを嫌いなんじゃないのか?」


『え?…どうして?』


「近付けば逃げる。出会った時からそうだ。今朝も逃げられた」


『そ、それはローさんがあんなことしてくるからで…!』


「火拳屋にも似たようなことやられてたと思うが?
…おれは火拳屋と同じようにしてたつもりだったんだが」




火拳の言ったことが本当ならば条件はほぼ同じ。出会ったのも、過ごした時間も。
ならばその間をどう過ごすかによってこいつが居座る方が決まる。ここに残るか、火拳と共に出て行くか。

火拳とこいつの距離が急速に縮まっていたことくらい見ればわかった。このままでは持っていかれると思った。
だからこそあいつと同じように振舞ったのに尽く逃げられる、それも自分だけ。せっかく火拳が留守だというのに、距離は一向に縮まらない。




『エースさんと…?』


「夜も抱き合って寝てたとシャチから聞いた」


『!! は、はあ!?ちょ、ちょっと待って』




ガタン、と。分かりやすく咲来が慌てる。
顔も真っ赤。なんて分かりやすいのだろう。




『あれはあの部屋のベッドが狭いからで!ここのは広いんだから真似しなくていい!』


「……」


『ほんとにもう……わたしはローさんと違ってちゃんと恥ずかしく思う心を持ち合わせてですね…』


「…お前今、おれを馬鹿にしただろ」


『心が強いって言ったんです。…ねえ、美味しい?』




持ってこられた“差し入れ”。夕飯という量ではない、しかし間食にしてはメニューがおかしい。夕飯の足しにするにしても、まさか食堂に持っていくわけには行かない。かと言って食べなければ無駄になる。仕方ないから手をつけてやった。




「そうだな……悪くねェ」


『ほんと!?』




焼いた鮭があるのにおにぎりの中身まで鮭。正直意味がわからないが、心底嬉しそうに喜ぶこいつにはあえて何も言わなかった。




『わたしね、思ったの…わたしが知ってるのはあくまでも本に出てくるローさんのことで、ローさんのことじゃない』


「………」


『確かに色んなこと知ってる。でもそれが本当かどうかも分からない。
いつまでか分からないけど、帰る方法が分かるまでは“ここ”で生きてるみんなのことを知りたい。色んなことを見て、知って…それから帰りたい』




――もちろん、帰る方法が分かったらすぐにでも帰るけど。
小さく付け足してから、咲来は貼り付けたような顔で笑った。


この世界では異端であろう存在に自分達が動揺しているのは確かだ。
でも一方でこいつもまたそれを自覚して、戻れるかも分からない不明瞭な現実に動揺している。




「お前もおれも、知らないことが多過ぎるってことか」


『そうだね。この世界のこと、たくさん知ってるようで何も知らないって改めて思った』


「これから知っていけばいい。おれもお前のことはまだ何も知らない」




ならばきっと、これもまた同じ条件。

“火拳に勝率があるとすれば船長くらいでしょう?”




「まだ間に合う……な」


『? 何が?』


「お前にゃ関係ねェよ。お前、おれを嫌ってるわけじゃねェんだな?」


『まさか。嫌いなわけない』


「そうか…なら、」




――落とした方が勝ちなのは変わらねェんだな?

そう言って喉の奥で笑えば、「もう落ちてるんだけどね」と悪戯っぽく少女は笑った。






まだ互いに、スタートライン

(ゴールがどこかなど誰にも分からない)




END.








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