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その日は船内がざわついていた。
原因は自分だって、誰かに聞かなくても分かっていた。

みんなしてやけに私を気遣ってくれる。何か食べたいものはないか、飲みたいものはないか、やりたいことはないか。
怪我は大丈夫か、他に痛いところはないか、しばらく無理せずゆっくりしてくれ。
ローさんでさえそうだった。ふざけ半分の絡み方はしてこなかった。

初めて船に乗った時とはまた違う、気の遣い方だった。



ローさんの部屋でひとしきり泣いた後、全員で今後の戦闘についての会議をした。
よっぽどのことがない限り最低一人は私の近くにいること。それができなかった時のために、武器をいくつか常にそばに置いておくこと。
使いこなせるかは別問題として、ひとまず銃と鉄パイプをもらった。初めて手に持った、ホンモノの武器。

みんなは私に「気にしないでくれ」とか「女の子守れるって燃えるな」とか言って笑ってくれたけど、やっぱり足を引っ張っている感じは拭えない。




『(わたしが戦えないから、)』




海賊船に乗っているくせに戦闘ひとつ出来ず、挙句人質にされて迷惑をかける。
戦うような世界に生きてなかったから仕方ないといえば仕方ない。下手に出ていけば多分人質になる以上に迷惑をかけるだけ。
分かっているからこそ何もできない。どうやっても、私はこの世界に生きるにはふさわしくない。




「…咲来?」


『!』




休憩がてら食堂でぼうっとしていれば、不意に声をかけられて顔を上げる。




「一人か……珍しいな」


『ローさんこそ、珍しい』




食堂には滅多に来ないと言われているローさんが視界に入って驚く。
冷蔵庫を漁り始めた彼はお酒とジュースの瓶を取り出すと隣に座った。




『……、ありがとう』




無言でジュースの注がれたグラスを置かれた。つい数日前まで変な絡み方をしてきたのに、昨日の件から大人しくなった。夜に部屋に連れ込まれるのは相変わらずだけど。




「嬉しくないのか?」


『?』


「この後だろ、合流は」




ごくりとお酒を喉に通すローさんは漫画と変わらない色気で、つい見とれてしまう。このままでは余計に惚れ込んじゃいそうだなと、ふとそんなことを思った。


聞かれたのはエースさんの話。昨日の通話によるとこの後島で合流できるらしい。
また会えるのはもちろん嬉しい。嬉しいけど、それだけ時間が経ってしまったのは事実だった。
十日間――夏休みが始まって、十日間。そろそろ本格的にまずい。

慣れない場所で慣れない生活をしてきたせいで、時間はまさに飛ぶように過ぎた。
この先もそうだとしたらそれ以上に危ないことはない。タイムリミットは限界まで見積もってもあと一ヶ月。夏休みが終わってもまだ帰れなかったら、きっと向こうで私は「行方不明者」になってしまう。

その時になってもまだ帰れる気配がなかったら、それこそ私はどうすればいい?




『(エースさん)』




怖い。先の見えない未来が、怖い。

感情を紛らわすように流し込んだ液体の味は、あまり感じることができなかった。




――




「あれじゃね?」


「なんつー分かりやすさだ…」




島も見えてきて、もう数分もあれば着くってところで岸に見覚えのあるオレンジ色。
せわしなくうろうろしてるそれは遠目から見てもやっぱり彼で。時々目印のつもりなのか火炎放射みたいなことをするからすぐにわかった。


人気のない場所を選んで島に船を近付ける。
止まった瞬間に目の前で火の粉が舞った。




「咲来〜〜〜!」


『ぉわっ……ぷ』




「会いたかった」とすごいスピードで一直線に走ってくる彼。それがあまりにも全力すぎて、思わず身構えたというか若干引いたというか。周りも絶対引いている。でもそんなことはエースさんは気にしてなさそうで。
飛び込むように抱きついてきた彼をどうにか受け止める。体格差を考えていただきたい。

抱きしめられて擦り寄られて、久しぶりに感じた感覚にもちろん悪い気はしない。でも心のどこかで、今回初めて生じた違和感。




『(逆なんだ、)』




そう、逆。逆なんだ。彼と私の立場が。


こんなに嬉しがるのは本当だったら彼じゃない。私であるはずなんだ。




「咲来!すげェ会いたかった!
元気だったか?具合悪くねェか?さっき街で美味そうな飯屋見つけたんだ!後で一緒に行こうな!」


『う、うん』


「…?」




この人が嬉しがってくれることがこれ以上ないくらい嬉しいはずなのに、未だ「帰れない」という恐怖がそれを半減させる。

昨日わかったはずだ、このままここにいてはいけない。帰らなきゃ、私は私が生きていくべき世界に。でももしも、もしもエースさんがそれを悲しむのなら、――




「咲来。首、どうした?」


『…!』




ふ、とエースさんの空気が変わったのを感じて顔を上げる。

なるべく下を向いて隠しているつもりだったけど、やはり限界があった。あまり目立たないタイプのテープを貼ってもらっていたけど至近距離では意味がない。




『ちょっとドジしちゃって…別に何ともないの、もう傷も塞がってるから……』


「ドジ?…首を?」


『ほんの少し切っちゃっただけ…大丈夫、痛くもなんともないから』




私の目線まで屈んだ彼はその指で私の首をなぞる。
咄嗟にした言い訳に彼は怪訝そうに眉を顰めた。




「昨日襲撃に遭った。それはその時にやられたものだ」


「――!」


『!
待ってローさん、わたしは』


「傷が深くねェのは確かだが…おれのミスなのも確かだ」




エースさんの背後からローさんの気配。
気付いたエースさんが振り向いて、その言葉に私の首から手を離すと立ち上がった。




「要するに…海賊に咲来が襲われたってのか?」


「……そうだ」




背を向けた彼の表情はわからない。でも確かに、本能的に「まずい」と思った。


数秒。
そのほんの数秒の間に、鈍い音が響いた。


――バキッ!




『エースさん!!!』


「キャプテン!!」




エースさんがローさんを殴り飛ばした。避けられなかったのか、わざと避けなかったのかはわからない。
殴られたローさんは倒れ込んだ先で船員さんに囲まれる。殴ったエースさんは見るからに興奮状態だった。




「傷が深くねェだと!?たまたまだろうが!!万が一深かったらどうするんだよ!!」


「……っ、」


『やめてエースさん!!』


「咲来は黙ってろ!!」


『違うの!!そもそも捕まったわたしが悪いの!!
傷の深さを言うなら!ローさんが助けてくれなかった方が酷くなってた!!』


「……!」


『わたしを助けてくれたのはローさんなの!!』




急いで彼らの間に割って入ってエースさんを止めにかかる。この人を止められるのは自分だけだと直感で感じた。
時間と共に徐々に落ち着きを取り戻す彼だったけど、周りから刺さる視線は痛い。


私のせいだ。
私が捕まって怪我なんてするから。私が間違った世界にいるから。だからこんなことになる。




『わっ!』


「…部屋行こう、咲来」




静かになったエースさんが近付いてきて、ローさんを背に思わず身構えたけど彼は私を抱き上げると体を反転させた。
急な出来事に彼の首にしがみつく。




「本気で殴っちゃいねェよ。おれは謝る気はねェからな、トラ男」


「………」


「おれだったら…咲来に怪我なんて、絶対させねェ」




抵抗しても無駄なことくらいわかってるから大人しく彼に掴まる。
静かに放たれたその言葉に、誰も何も返すことはなかった。






ざわめき

(………)




END.










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