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ローさんの合図で船員さんたちが一斉に部屋へと戻っていった。
何故だろう、今日はやけに空気が重い時間が続く。
「で……お前にも一応聞いておくか」
「…賛成なわけねーだろ」
食堂に残ったのは私と、ローさんと、エースさん。
隣でずっと頬杖をついて不機嫌オーラMAXだったこの人。
ローさんからの許可は取れた。船員さんの許可もそれと連動して取れた。あとはこの人だけ。
「さっきも言ったが、たとえお前が反対したところで結局は咲来次第だ。
おれやお前が何を言ったところで咲来が帰っちまえばそれで終わりだからな」
「んなこと分かってる。何でお前はそうアッサリ諦めちまうんだよ……あれだけおれから咲来取ろうとしてたくせに」
「おれはお前に咲来を渡すつもりがねェだけだ。帰らせないと言った覚えはねェ」
ローさんが私のことをどう思ってるかは知らないけど、“貴重”とは言っていたしそういう意味で手放したくないのは事実だろう。
そもそもこの船に乗せておく理由がそれであったわけだし。
でも私が何らかの方法で勝手に帰ってしまえばそれで終わりだから、という最もらしい理由で彼はそう結論づけた。
「トラ男の言ってることはわかる。咲来が知らない間に帰っちまえばおれには何も出来ねェ。
でもおれ個人としては帰って欲しくない…って、さっきも言ったけど。
お前らはそれなりに一緒にいたかもしれねェが、おれはまだ咲来とあんまり過ごせてねェ。もっといろんなとこ行きてェんだ。全然足りねェよ」
「火拳屋…私情を挟みすぎだ。もう少しこいつのことも考えてやれ……こいつが今日までどれだけ不安だったか、お前はおれよりも知ってるハズだが?」
「…!」
「知らない世界に突然放り込まれたんだ。帰れるなら帰りたいと思うのが自然だろう」
腕を組んで、いつものように眉間に皺を寄せているローさん。
彼の言葉にエースさんは押し黙る。
「咲来。少し話が逸れるが…ドフラミンゴの言ったことだ。あまり信用するなよ」
『……うん、分かってる』
「あいつは自分以外の人間を手駒としか思ってない。“ニホン”を知ってるのは確かだろうが、着いて行って本当に帰り方を教われるとは限らない。
いいように使われて殺されるだけかもしれねェ。そういう意味じゃおれは反対だ。あいつに教わるより確実な方法が他にあるかもしれない」
『うん…』
「教わるんなら電話で教われ。間違っても着いて行くなんて真似はやめろ。交渉してダメなら、おれが別の方法を探してやる」
そう言っているローさんの表情も声色もさっきと同じはずなのに、何故かその変わらないはずの姿にじわりと視界が揺れた。
いつもからかってくるけど、時には怖いこともあるけど。
なんだかんだ言ってこの人は優しくて、私を助けてくれる。
『…ありがとう』
それなのに私は、毎回お礼を言うことくらいしかできない。
「おれは少し火拳屋と話がしたい……先行ってろ、咲来」
『うん、わかった』
「寝てていいぞ。おれも後で行くからな」
『ん…』
エースさんに頭を撫でられてから食堂を後にする。
残された二人はきっと、また私の今後の扱いについて話をするに違いない。
迷惑をかけまいと動いてるつもりなのに、私は最初からずっと迷惑ばっかりかけて。
『……(シャチ…)』
ふらふらと廊下を歩いて部屋を目指していれば前の方にシャチの背中。
駆けて行ったらあと数メートルのあたりで彼はこちらを振り向いた。
「…咲来ちゃん?どうした?」
振り向いた彼を気に留めることもなくその背中に縋り付く。
もう見慣れたつなぎの布を握り締めた。
『…帰りたくない』
「!」
『帰らなきゃいけないのに……』
「………」
何も言う気はなかったのに、ぽつぽつと口から漏れ出す本音。
帰りたくないけど帰りたいんだ。帰りたいけど、帰りたくないんだ。
それでも、帰らなくちゃ。わかっている。
「そうだなァ…おれも咲来ちゃんと、この先ずっと一緒に旅がしてえなあ」
『……!』
「みんなそう思ってる。咲来ちゃんもそうなんだろ?
でも咲来ちゃんが帰らなきゃいけないと思うんだったら、おれは止めねえ。残るって言うなら、もちろん歓迎する。
おれはどっちに転んでも受け入れるつもり」
ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。この人もまた、ローさんと同じようなことを言ってくれた。
「咲来ちゃん優しいから、これ言ったらきっと困っちゃうんだろうけど」
『…?』
――それでもやっぱり、一緒にいてえなあ。
素直に放たれたその言葉に思わず涙が落ちる。
「もしこのまま帰るんならそれまで一緒に過ごそうな。
もっといろんなとこ行って、いろんなことやろうぜ。また明日も遊ぶぞ!」
『うん、』
「だから……もう今日は、オヤスミ」
部屋の前。
不意にサングラスを外したシャチが、まるで子供を宥めるかのように私のおでこに口付けを落とした。
おやすみのキス
(良い夢見ろよと、彼が笑った)
END.
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