59
「咲来ちゃん」
銃声と、金属のぶつかる音と、人の呻き声と叫び声と。
そんなものが壁越しに響いてから何分経っただろう。
ただ肩を抱いて縮こまることしかできない私には、それが数分なのか数十分なのかも分からなかった。
「いいか、よく聞くんだ」
戦況を見守っていた船員さんが、ふと私の名前を呼んでこちらを振り返る。
恐る恐る見上げると、彼はその両手で私の肩をゆっくりと両端から掴んだ。
交わる視線。
その口調からありありと“嫌な予感”が伝わってくる。
「今回の敵は様子がおかしい」
『え…』
「あの船長が、圧されてる」
肩を支える彼の手が一瞬震えたように感じた。
「船長の技は体力の消耗が激しいんだ……相手はそれを狙ってるようにしか見えない…」
――まるで最初から、知っていたかのように。
「おれは今から加勢してくる。隣にいてやれなくて本当に悪い」
『え』
「でもこのままだと本当に不味そうだ…おれ一人加わってどうにかなるか分からないが、ここにいたら二人まとめてやられるだけかもしれない」
『待っ、』
「敵は大きい船を持ってるからこの船自体に用があるとは思えない。宝の有無を確認したら出ていくだろう。だからしばらくここで隠れてじっとしておくんだ。
もし火でも着けられたら、その時は緊急用のボートが奥の部屋にある。見たことあるだろう?それを使って…」
『待って、』
古びたクローゼットを指さしながら彼は一方的に話を進める。
突然のことに頭がついていけない。でも、緊急事態だってことくらいは簡単に理解できた。
「咲来ちゃんは火拳の大事な女の子だからな。あいつらが引き上げたら連絡すると良い。
無事を祈る」
『!! 待っ、て……行かないで…!』
最後にふわりと微笑んだ彼は、私の頭を力任せに撫でたと同時に駆け出した。
彼を追いかけた右手が空を切った後にズルリと床に落ちる。
足が動かない。
立ち上がることができない。
体の震えが徐々に加速するのが自分でも分かった。
『……、っ!』
一人になった部屋に外の音がより一層不気味に響いた。
呼吸が荒い。手に力が入らない。
血の気が引いていく。
上手く力の入らない足でなんとか立ち上がって窓の外を見ようとしたら、ガツンと足元に転がっていた鉄パイプに足が引っかかった。
乾いた音を立てて転がるそれに目をやる暇などない。
背伸びをせずとも余裕で見える位置にある小窓がとても遠く感じた。
『…!!』
子窓から見えた光景。
血を流して倒れている敵であろう人間。
同じく倒れている、さっきまで一緒に笑ってた船員さん。
その奥で、敵を薙ぎ払うローさんと足元に散らばる無数の体のパーツ。
思わず足が崩れてその場にへたり込む。
こんなのをフィクション以外で見ることになるなんて誰が予想しただろう。
それでも何とか踏ん張って、必死に子窓から外の様子を窺った。
脳裏でローさんの声が再生される。
――“いいか、戦闘が始まったとしても”
“お前は来るんじゃねェ。絶対だ”
受け取った武器はあくまでも護身用。決して自分から進んで敵と戦うための武器ではない。そう何度も釘を刺された。
『…ハァ、……、っ、』
窓枠にかけた指が震える。
みんな…みんな、倒れて行く。
このままいけば自分にも何か危害が加わるかもしれない。前回の人質以上に危ない目に遭うかもしれない。
でもそれ以上に、みんなが傷ついて倒れていくこの光景が今一番怖かった。
暗い部屋に一人。宝の気配などしない小さな部屋に、女一人。
静かにしていれば気付かれずにやり過ごすことができるかもしれない。
この劣勢の中、出て行かない船員などいないはずだから。
私なんか敵にとっては存在すらしていないようなものだ。
「あのトラファルガーがこのザマ!くーっ、気持ちいいねェ!」
遠くで高々と敵の男が声をあげるのが聞こえた。
あのローさんが追い込まれてる。
船員さんの言った通り、確かに敵はローさんの間合いを知っているように見えた。
一人一人、交代でローさんの射程圏内に入っては切られ、入っては切られ――しかし時間と共にだんだん動きが鈍くなっていくローさんに隙ができた瞬間、攻撃を仕掛ける。
あんな大人数相手にローさんはたった一人。しかも能力の弱点を知っているかのような攻撃の仕方をする敵の男達。
『(負けない…よね?だってローさんは二年後もちゃんと……)』
彼らはここから二年後の世界を舞台にした物語に登場している。こんなところで死ぬはずがない。
そう考えて、ふと自分の存在の意味に気付いた。
『(――違う、)』
違う。
私がここにいる限り、何かが狂う可能性が出てくるんだ。
私がここにいることで、物語とは違う何かを引き起こす可能性があるんだ。
『……っ、』
その自覚は、わずかに抱いた希望が消えたのと同意義だった。
窓越しに見えるローさんの後ろ姿にギリリと奥歯が鳴る。
私が戦えれば。私にこの状況を変える術があれば。
ローさんはここで死ぬべき人じゃない。それを知ってるのは私だけなのに。
――カラン、
足元で、細い鉄パイプが転がった。
『…!』
そのとき窓から見えた光景に、私の中で何かが弾け飛んだ。
咄嗟に右手に握りしめた鉄パイプは無意識で。
立つのもやっとだった私の両足が勝手に動いていた。
小さな窓から見える外の景色。
頭から血を流すローさんの胸倉を掴んで、敵が今にも振り下ろそうとしているのは――。
『…――ローさんに………ッなにしやがる!!!』
「――!!」
怒りで頭が真っ白になる。
びっくりするぐらい、それ以外は何も感じなかった。
のまれる
END.
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