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一瞬。
ほんの、一瞬。


無我夢中で戦場に雪崩れ込んだ私は、

気付けば敵の頭を思いきり殴り飛ばしていて、
気付けばその手からローさんを引っ張り出していて、
気付けば彼を後ろに庇うように抱き寄せていた。


それは――何もかも、一瞬のことで、
まるで、時でも止まったかのように。




「……っ、咲来…?」




ぐらりと足元を崩してその場に倒れこんだ見たこともない大柄の男は、きっと私がやったんだろう。
その手に持っていた刃物はカランと乾いた音を立ててその場に落下した。
男の頭からどくどくと流れ出す赤黒い液体。

前の私なら――いや、今の私でも、その血溜まりとナイフには途轍もない恐怖を覚えるはず。はず、だった。


でも、
今腕に抱えているこの人と天秤にかけたら、そんなものは無に等しかった。




『ローさんに……っ手ェ出すな…!!』




今まで感じたことのない怒りに自分が呑まれるのが分かった。
それを止める術など知らず、ただただ相手を睨み続ける。
男の周りにいた数人の仲間であろう男たちは怯んでいるようだった。




「…咲来、よくやった」


『!』


「隙さえできればこっちものだ…あとは任せろ」




――“ROOM”!

私を優しく引き寄せたその人は刺青の入った手を下に向ける。




「目瞑っとけ」




胸に私の頭を押しつけるようにしながら、彼は穏やかに言った。
手にこもっていた力がそこでようやく抜けた。――落ち着く。


“シャンブルズ”。
そう聞こえた後に響いたのは、敵の断末魔だけだった。




――




『…! ローさん!』




私を抱き寄せていた腕がずるりと落ちる。それに気付いて顔を上げれば息の荒い彼。




「咲来……悪い、少し、寝る…」




それだけ言って、彼は意識を手放した。
ずしりとのしかかってくる重さを受け止める。




『みんな、』




周りを見渡せば一人残らず倒れ伏している船員。
あれだけいた敵はもう誰一人として姿がなかった。ローさんが私に考慮してくれたのか――海にでも落とされたのだろうか。
そんなことは、きっと考えなくていい。


目を瞑るローさんの腕から抜け出してその体をそっと床に寝かせる。
辛うじて勝った、と言っていいだろうか。おそらく意識があるのは私だけ。




『(包帯と、消毒液と、水と、布団と、それから)』




立ち込める血生臭さとか、足元に残っている血溜まりだとか。
なるべく気に留めないように努力するしかなかった。今はみんなの手当をしなくてはならない。
私が気分を悪くしている場合ではない。そんなのは後だ。


一人で船内を駆け回る。
これだけの人数の男を私一人でそれぞれの部屋に担ぎいれるなんて不可能だ。
だったらせめて、床ではなくて布団へ移動させて、出来る限りの手当をして。
船の舵は後で考えよう、幸いにも今は天候が安定していて波も穏やかだから。

私しかいない――普段大して役に立てない私が、今動かなくていつ動く。




『…!!』


「――よォ、お嬢ちゃん」




両手いっぱいに包帯を抱えて船の外に出たら、さっきまでなかった人の気配がして振り返る。
その勢いで転がった包帯のロールを拾い上げながら、“その人”は口角を上げた。




『どうしてここに……?』


「フフ…咲来、良い判断だった……上出来だ」


『え…?』




どこからやってきたのか。
この人は能力で空を飛ぶからそんなのは分からない。


ピンク色の羽織り物がバサバサと風で揺れる。
ついこの前見かけたその人は、まだ記憶に新しかった。




「ローの能力を知ってるのなんてそんなに人数いないだろ?すぐ見破れるものでもなし……なァ…咲来」


『……!』


「フッフッフ…まさかお前がローの船にいるとは思わなかった……驚いたよ」




人間と呼ぶにはあまりにも高い身長のその人は、口角を上げたまま戻そうとしない。


ドフラミンゴ。
全てに合点がいった。そうだ、この人ならローさんの能力を知っていて当然だ。
だから敵はあんなに上手い具合にローさんを追い込むことができたんだ。




「これだけの怪我人、一人で診るなんて無理だろう?」


『……、自分でやっておいて…』


「フフ…なぁに、誰一人死んじゃいねェはずだ」




――おれが操ってたんだからなァ。


一歩一歩、こちらに近付いてくる。
手に持っていたロールを私の包帯の山の一番上に乗せて、彼が私と目線を合わせるように屈む。




「おれは試しただけだ…おかげで良い収穫があった。
おれはお前に嫌われる訳にはいかねェから、今ここでこの船の人間の命を奪うつもりはない」


『…わたしに?』


「そうさ。
お前に信頼される必要がある…お前が自分からおれに着いて行きたいと思えるくらいにな」


『じゃあなんでこんなこと…!』


「言っただろ?試したのさ。
これでも最低限の被害に抑えたつもりなんだがなァ」




気分とは裏腹によく晴れた青い空が彼のサングラスに反射した。


私に信頼されると何が良いというのだろう。私はこの人に“帰り道”を教わりたいけど、彼は私に何か望むのか。
帰り道と引き換えに出された「一緒に来い」という条件の真意が未だによくわかっていない。




「フッフッフ…話を戻そう。手を貸そうか、咲来?
おれだったら手当くらい数分で終わらせられるが…どうする?」




包帯の山を指さしながら彼が問う。
助けてくれるらしい。そもそもこうなったのは彼のせいなのだから、それを“助ける”と呼んで良いのかは分からないが。


頭の中で考える。
信じて良いのだろうか。みんながこれ以上危険に晒されることはないだろうか。
でも私一人で手当をしたら、全員分を終えるまで一体何時間かかるだろう。後回しにされた人はその分、苦しむことになる。




『……、お願いします』


「フッフッフ…お嬢ちゃんのそういう素直なとこ、嫌いじゃねえな」




――信じてみよう。どのみち、この人相手に私に勝ち目などないのだから。
言い分通り手当をしてくれようがしてくれまいが、この人がここで暴れた時点で私もみんなも命はない。
そもそもみんなを殺すのが目的ならばとっくに実行していてもおかしくないのだ。




「包帯を貸せ。警戒なら必要ない。
一人でも死なせたら……お嬢ちゃんは、おれを一生憎むだろう?」


『………』


「そうなっちゃ困るわけだ。フフ…」




分からない。この人の考えていることが全体的によく分からない。
信じて欲しいという割には私の大切な人を傷付ける。傷付けたと思ったら助けようとする。
きっと何か目的があるのだろう。しかしそれを聞き出すのはまた後で。

包帯の山を手渡せば、彼の動かした指に合わせて包帯が宙を舞った。






怪しげなひと

(何がしたいの……?)




END.










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