06








「キャプテン!船に誰か近付いてくるよ!」




自室で書物を読み耽っていたのは午後2時頃。
どたどたという大きな音とともにドアが開いて白いもこもこした毛が顔を覗かせる。
一番気温が高いその時間に、クルーであるベポが緊急の知らせを届けた。

普段おれが部屋にいるときは滅多に誰も来ない、何故なら下手に機嫌を損ねたら後が面倒なのはクルー全員が知っているから。
ベポを寄越したのも彼にだけは比較的甘いのを分かってて誰かがそうさせたのだろう。


ゆっくりと書物からベポに目を移す。
彼が「誰か」と形容するのだから海軍ではないことは確か。
では誰か――まず海賊以外有り得ない。


仕方なく本を机に置いて腰を上げる、暑いのはあまり得意ではないから外に出るのが億劫だった。
大したことなければお前らで片付けとけと、ドアを開けたらそう言うつもりだった。




「船長!火拳です、火拳!」


「!」




おれを見つけるなり慌てて言ってきたクルーに喉まで出かけたその言葉は詰まる。
どうやら移動しているこの短い間にそいつは船に乗り込んでいたようで。
聞き覚えのある名前にすぐに愛刀に手をかけた。


数秒後、外の眩しさと共に視界に捉えたそいつは確かに新聞でも手配書でも見かけたことのある有名人。




「……お前なんかが、おれの船に何の用だ」


「あーいや、戦うつもりはねェんだ!」




“火拳のエース”と呼ばれているその男を実際見るのはこれが初めてだった。
トレードマークであろう明るい色の帽子はやけに鮮やかで目立つ。


自分の記憶が正しければ、この首には5億以上の賞金が掛かっている。思っていたよりもずっと若いそいつに少しばかり驚いた。
能天気そうなこの男は多分おれとそんなに相性が良くない。

戦意はない、そう伝えて両手を上げる男が「ほら」とその手で前に押し出してきたのは、彼の後ろに隠れていたであろう一人の少女。




「こいつがお前に会ってみたいって言っててよ、ちょっと寄っただけだ!」




気さくに笑う男に戦意は言葉通り感じられない。
何がしたいのかと思えばおれに会いたいと言う人物がいるようで。
しかしそう言われて出てきた少女は、少し姿を見せるとまた火拳の後ろに隠れた。




「咲来、こいつだろ?」


『う、うん……』




渋りながらももう一度出てきた少女と目が合えば、彼女はびくりと肩を震わせた。
何なんだと息を吐けば隣にいたベポが「キャプテン女の子怖がってる!」だなんて。お前は向こうの味方なのか。

溜息をつきつつも刀を仕舞って二人に近付いて行く。
一応他のクルーには「お前らは来るな」とだけ言い残して。


少女は最初こそ火拳の後ろに隠れ直していたが、覚悟を決めたのか再び隠れようとはしなかった。そもそも会いたがっているのに隠れる方がよくわからない。

手を伸ばせば届くくらいの距離でその少女を見下ろせば彼女はおれを見上げてきて、少し潤んでいる大きな瞳と目が合った。




「…こいつが………へェ、」




このガキがねえ。率直な感想はそれだった。
何故おれに会いたいのかなんて全く見当もつかなかった、どう見たって戦えそうもない一人の女。
歳は20もいってないくらいか。むしろもっと低いだろうか。

あまり見かけない濃い茶色という落ち着いた色の長い髪はゆるくウェーブしていて風に揺れる。
身にまとったワンピースはなぜか端が結ばれていた。

覗き込むように顔を見れば、さっと視線を外す少女。




「こら、あんまり怖がらせんなよ!」


「おれに会いたかったんだろ?なんで怖がるんだ」


「実物がいかついのが悪ィんだろ!」


「…あ?」




遠慮も考慮もしない火拳の物言いに思わず刀に手をかける。
周りではおれの機嫌を心配しているであろうクルーが騒ぎ出し、なぜか同様に少女も火拳の隣で慌て出す。
なんでお前が慌てているんだと心の中で零したところで少女の思考回路など分かりもしない。




『エ、エースさん…!
あ、あのごめんなさい、別にその、怖いわけじゃ』


「…じゃ、その男の手ェ離してみろ」


『……う』


「お前、咲来にあんまりな…」




怖くないと言い張る少女は口ほどにもなく火拳の手を握り締めたまま。
嫌味を吐いてみればそいつが彼女を庇う。
何故火拳が肩入れしているのかは知らないが、5億の男にこうまでさせるその小さな少女に少しばかり興味が募る。


“咲来”――火拳の口から出てきた名前はこいつの名だろう。




「お前、おれが怖いか」


『…い、いえ』


「怖いんだろ?」


『………ちょっと怖い、ですけど』


「けど?」




問い詰めるように迫れば彼女は一瞬言葉を呑み込んだように俯いて。
火拳が隣でぐちゃぐちゃ言い出したが聞こえないふりをしてやり過ごす。

刹那、彼女が小さな声で「かっこいいです」と呟いたのをおれは聞き逃さなかった。




「……クク、変な奴」


『っ!?』




予想もしていなかったセリフに思わず笑ってしまった。
「船長が笑ったぞ」とざわつきだすクルー、しかし「うるせェ」と一言言えばすぐに静まる。

特に意味もなくわしゃっと頭を撫でれば“咲来”は真っ赤になって固まった。無意識に近い感覚で伸ばした指に彼女の髪が絡んではするりと抜けていく。久方ぶりに触った女の髪は妙に柔らかく思えた。


しばらく撫で回しても固まったままの彼女に「これくらいで何赤くなってんだ」と言えば「慣れてないんです」と今度こそ火拳の後ろに隠れられた。




「火拳屋……お前んとこのクルーか?」


「いや、まだちげェな。これからそうするつもりだけど」


「じゃあこいつ戦えんのか?…とてもそうは見えねえが」


「戦えねェよ。ただ行く宛がないって言うからおれの船に乗せてやろうと思って」


「……何?」




至極普通に答える火拳に眉を顰める。

こいつほどのやつがわざわざ戦えない人間を船に乗せようと言うのか。
行く宛がない、ただそれだけの理由で人を助けるような奴なのか。
それともこの少女には何か秘密でもあるのだろうか。傍に置いておくことにメリットがあるような、何かが。




「…しっかし、女の子なんて久しぶりに見たなー」


「ああ、もう当分見てねえな…この前寄った島も人間いなかったしな」


「やっぱり可愛いねえ女の子は、細いし色白だし……あとスカートが短い」


「………」




近付くなと言っておいたはずなのだが、戦闘が起こる様子が微塵もないこの状況に安全だと判断したのか気付いた時にはクルーが体を乗り出していて。
男ばかりのこの船に、決して味方ではないものの女が存在するという事実が彼らには喜ばしいことであったらしい。
しかも歳を食った女というわけでもない、10代であろう若い女。

ここにはそれなりに異性に興味があるだろう年齢のクルーは数多くいる。
その中にぽつんと居座る彼女は注目されても仕方なかった。


視線に気付いた火拳が「お前らふざけんなよ!」と彼女を抱きしめるように守れば周りからはブーイング。抱きしめられた本人は耳まで真っ赤に染めて固まっている。火拳相手にもその反応は変わらないらしい。


しかしいつからそんなに仲良くなったのか。慣れ合っている場合ではない。
戦意こそないが、こいつは紛れもなくあの火拳のエースであるのに。




「ねえ船長、その子おれらの船に乗せるってのはどうっすか!」


「……酔ってんのか、シャチ」


「でも行く宛がないんでしょう!?」




「じゃあ乗ってもらえばいいじゃないですか!」と突発的にとんでもないことを言い出すシャチに呆れる。バラすのはまずあいつからにするか、そう思って離した手を再び刀にかければ一瞬にして固まるシャチの姿。

火拳の連れてきた女だ、能力者でない保証なんてどこにある。
さっきの「戦えない」が本当だという確証は一体どこにある。
呆れてものも言えなかった。


しかし、予想以上にシャチの言葉は周りの同意を得ていたらしく。




「じゃーちょっと遊んでってもらうのはどうっすか!火拳も戦う気はなさそうですし!」


「おっ、おれもそれに賛成します船長!戦意がある奴とない奴くらいおれにも分かります!」


「………お前ら……」




本人と保護者、そしてこの船の船長であるおれを置いてわいわい盛り上がり出した船内にいよいよ呆れを通り越した。力が抜けた手の重みでカチャリと刀が鳴る。


しかしながら船長という立場からして、どんなに馬鹿らしい内容であっても船員の意見を丸ごと無視するのはいかがなものである。
――どうしたものか。




「…お前、どうしたい」


『え?』


「うちのクルーはお前と遊びたいらしい……このままバラして黙らせてやってもいいが、お前の意見も聞いておく…戦う気はないんだろう」


『ないというか、わたしそもそも戦えないですし…』


「咲来、ここ危ないぞ?間違いなく」


『…でも皆さんがそう言ってくれるなら……エースさん、時間ある?』


「え?おれか?うーん……まァ暇ってわけじゃねェけど、なくはない…ぞ?」


『じゃあ、』




ちょっとだけ、お邪魔します。
そう彼女が言った瞬間に湧き上がる船内。

これは面倒なことになったと、おれは深く深く溜息をついた。







お客様二名。
(そもそもどこの誰なんだ、こいつは)





END.








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