07
「咲来ちゃん何飲む?ジュース?コーヒー?ココア?酒?」
『お、お酒はいらないです…』
よくわからないけど、ローさんに一目会いに来たらお邪魔することになったハートの海賊団の船。
“シャチさん”に上機嫌で案内された部屋の椅子に座り、頂いたココアを飲んだ。
甘いものが大好きな私は「よかったら使ってくれ」と一緒に渡された砂糖を丸ごと一本投入。普段からこういうことをしているから私の舌はきっと甘さに対しての感覚がおかしい。
ここにきて初めて口にしたその味は自分の知っているものと同じでほっとする。
しかしながらたくさんの船員さんに囲まれたこの状況下では、自分の好物でさえも飲みづらかった。
それでも彼らが嬉しそうに笑ってくれるものだからついつられて口角が上がる。
「あー、癒されるわー」
「咲来ちゃん天使だ…」
「ちょっとお前どけよ、見えねェだろ!」
「お前らな!咲来に変なことしたらただじゃおかねェからな!!」
戦闘は起きないはずだったのに今船内でそれに似たものが起きているのは気のせいだろうか。
力ずくで隣を陣取ったエースさんは近付いてくる船員さん達を遠ざけようと必死。
別にそこまでしなくても、なんて守ってもらっている張本人の私は他人事のように思う。
心配をしてくれるのはとても嬉しいのだけど、それが杞憂であるなんて分かりきった答えが出ている私には彼の努力が無駄に終わることが残念でならない。
しかしやれ天使だとか、可愛いだとか、ひっきりなしにかけられる気恥かしい言葉で顔が熱い。
私は天使でも何でもないし可愛くもない。それを言うならベポの方がよっぽど可愛い。
こういうとき一体どういった顔をすればいいのだろうか。
「悪いね、咲来ちゃん。大丈夫か?」
『…! ペンギンさん』
ふっと現れ声をかけてきたのは“ペンギンさん”。名前の入った帽子をかぶっているものだから何とも分かりやすい。
周りよりいくらか落ち着いていそうなその人は、斜め前のシャチさんの隣に腰かけた。
「お前かっこつけてんじゃねーよ!」
「そんなことはない」
「嘘つけ!いいか咲来ちゃん、こういう奴は優しいと見せかけて何考えてるか分かんねェんだ!気をつけろ!」
『は、はあ……』
「シャチ、変なことを吹き込むな」
ようやくゆっくりお話ができると思ったのになんだかんだで言い合いが始まり、やはり反応に困って口を閉じる。
再び口に運んだココアはいくらかぬるくなっていた。
『あ、…ローさん』
「……こいつらは気にするだけ無駄だ、放っておけ」
「「ちょっと船長」」
おい、と横槍を入れてきた人物に突っ込みを入れる二人。
「それはひどいっすよ」とシャチさんが反論したが彼が気にする様子はない。
どこからかふらっと現れたローさんは目の前で立ち止まったと思ったら私をまじまじと見つめ出した。
当たり前だがまだ怪しまれている、戦意がないのは確かだしそもそも戦おうだなんて微塵にも思わないのだけど、他人から見たらそんなことは分かるはずもない。
ただあまりにもまっすぐ見てくるので、視線のやり場に困って目を逸らした。
遠くない距離のその整った顔は心臓に悪い。
「…! お前、それ」
『?』
「少し腫れてるな…ぶつけたか?」
『……あ、』
前触れもなく額にローさんの指があてがわれてピリッと感じた痛みに視線を戻す。
細いながら骨張る長い指にどきっとするも、すぐに精神は隣に座っている人物に移った。
額が腫れてるなんて原因がひとつしか思い浮かばない。
『え、エースさんは!?大丈夫でした!?』
「!
お、おう、これくらいなんともねえって」
「……?
何で火拳屋が、」
「…あー、おれとぶつかったんだ…咲来が倒れてたから覗き込んだら飛び起きてよ」
エースさんが身振り手振りを交えて経緯を説明しながら、最後に「ごめんな」と私の頭を撫でる。
反射的に「悪いのはわたしだから」と両手を振る、どう考えても目の前に人がいたのに飛び起きた私が悪い。
話を聞いていた船員さんはそろって目を丸くした後で一斉に笑いだした。
それは意外にも、ローさんも同じだったようで。
「………クク、…ほら、手当てしてやるからこっち来い」
『え、これくらい別に何とも』
「おれは医者だ…怪我人を見つけたからには手当てしてやる」
「おいお前、そういうこと言って何かする気じゃねェだろうな…」
「おれはこいつらと違って興味はねェよ」
『……』
「こっち来い」なんてちょっときゅんとしたのに直後にすっぱり「興味ない」だなんて。当然ではあるけどそんなにはっきり言わなくても。
口をとがらせつつもローさんに連れられ、エースさんを残してその場から退場した。
――
「…お前、結局のところ何者なんだ」
私に貼る用のガーゼを用意しながらローさんが言う。
まさかちょっと腫れてる程度でと思ったが、治療してくれるというのは本当のようだ。
「火拳屋に拾ってもらえるようにはとても見えねェ。
訳ありだろう」
ビッ、とテープを切って先程のガーゼにくっつける。
そしてそれを私の額に冷却シートとともに貼り付けた。
淡々とした物言いで投げかけられたそれは間違っていない。
訳ありだろう、私は。大いに。
『…言っても信じてもらえない……エースさんは割と簡単に信じてくれたというか、受け入れてくれましたけど』
「何でもいいが、そんなに大きいものなのか?
おれが信じられないような、」
『じゃあわたしがこの世界に生きてる人間ではないって言ったら、ローさんはどうしますか?』
「…は?」
「ほらやっぱり」。
続けてそう言えばローさんが眉間に皺を寄せる。
『わたしの世界では、ここは漫画の…本の中の世界で、作り話の世界で。
ローさんに会いたいって言ったのも漫画で知ったローさんの船が見えて、一目でいいから会いたいと思った……そう言ったら、信じてくれますか』
「…本気で言ってるのか?」
『……、ローさんの情報でも言ったら信じてくれますか?』
「情報?」
更に皺を深くするローさんに分からないよう小さく溜息。
信じてもらいたいわけではない、でもきっとこうでもしないとこの場は逃れられない。
エースさんは何かと純粋だから詳しく言わなくても大丈夫だったが、この人がそうとはとてもじゃないが思えない。嘘をついたところで逃げられる自信もない。
「お前が何か知ってるのか?」
『知ってますよ…それなりに』
「……言ってみろ」
怪訝そうな顔をするローさんに「あくまでもわたしの世界にあった本に書いてあったことですし、記憶を頼りにしてますからね」とだけ前置きを言っておく。
万が一間違っていても私に文句は言わないでほしい、いくら愛読者と言えど私も人間なのだから間違えることくらいある、と。
『……ローさん、通称“死の外科医”。本名トラファルガー・ロー。北の海出身。オペオペの実の能力者。
ここまでは、あってますか』
「……それくらいなら、まァ知ってる奴もいるかもな」
『じゃあ…身長191センチ、誕生日は10月6日、苦手なものはパンと梅干』
「………何で知ってる」
眉毛をぴくりと動かした明らかに不機嫌オーラ全開のローさん。その雰囲気に圧倒されかける、しかし私も引くわけにはいかない。
『本で読んだから…って、言ってるでしょう。
エースさんの情報もそこそこ…誕生日とか身長とかくらいなら』
知ってますよと言いかけて気付く。
ローさんが、秘かに口角を上げていたことに。
「……さっきの言葉は訂正する」
『え、』
「お前に興味がある」
そう言ってにやりとするローさん、今のどこが面白くてどこに興味を持ったのかはよく分からない。言い逃れができそうならばそれでいいのだが。
ただ、目の前で綺麗に笑う整った顔に場を弁えない心臓がどきりと鳴った。
交わった暗い藍色の瞳は深くて吸い込まれるような感覚。――逃げられない。
「誕生日ならまだしも、身長なんてクルーでも把握してる奴はいねェ…かと言って目測でそこまで正確に出るとは思えねェ。
それもあるが、すでに心当たりがあった」
『え』
「…お前、シャチとペンギンとベポは知っていただろう」
『え……は、はい』
「最初にあいつらの名前を聞いた時、お前…知ったような顔してた……。
あの時は分からなかったが…こういうことなら筋が通る。ちなみに、火拳屋の身長と誕生日は?」
『…1月1日、185センチ』
「……。
お前、おれの船に残れ」
『…、え?』
エースさんの情報なんて聞いて何が楽しいのだろうと思ったが、鋭い目つきに負けて記憶の中の情報を呟く。
そして降ってきた予想外の言葉。思わずローさんを二度見したが、「残れ」というセリフで気付いた。
――ああ、なるほど。
この人の考えていることがなんとなく分かった。
『…尋問でもするつもりですか?』
「されたいか?」
『……
わたし、余計なことは話しませんからね』
他人の情報を聞き出そうとしている。
誕生日と身長なんて伏線だ、どちらかというと欲しいのは敵になるであろう海賊の能力や戦力。そしてその信憑性。
ここまで来ないと気付かないだなんて、ローさんが計算高いことくらい知っていたのに。完全にペースに乗せられている。
『他の人の情報はもちろん持ってます、でも口は割りませんから…そのせいで物語に何か影響あったらわたしが嫌です』
「…へえ、おれに逆らうのか?」
『逆らうつもりはありません、でも大好きな人たちに、大好きなこの世界に迷惑はかけたくない』
視線は逸らさない。口から出た言葉は紛れもない本心。
数秒の無言の後、ローさんは静かに立ち上がった。
見上げた彼はエースさんよりも高い。
斬られるだろうか。彼の能力を使えばきっと尋問ぐらい容易くできる。
漫画の中でも海のど真ん中に首だけ置き去りにしたりと好き勝手やっていた。
でもそれをされたところで――たとえ死ぬことになっても口を割るわけにはいかない。
そのせいで原作にもし影響が出たら、私は。
しかし背を向けた彼は特に何もすることはなく、何事もなかったかのように道具を片付け始めた。
「…分かった。
何でもいい、もう少しおれの船に残れ。お前の情報とやらに興味がある」
『……わたし…、』
「お前はあいつに着いて行くのか?…ああ、そういえば惚れてんだったか」
『!! え、え』
「……その反応、誰に対してもだったな。なら…」
『!』
にやりと笑ったローさんがこちらを振り返り、屈んで右頬に手を添えてくる。
逃げようとしたのに体が動かない。じわりと感じた熱に呼応するように頬が熱を帯びたせいでもうどちらのものか分からない、ただだんだん顔が熱くなっていくのは確かで。
彼は徐々に距離を縮めてきて、目の前で色素の薄い唇が綺麗に弧を描いた。
「……おれが落とせば、…その気になるか?」
『…っ!』
ぞくりと背筋に何かが走って、一気に椅子から立ち上がってその場から逃げ出す。
――あんなところにいたら、確実に心臓が持たない。
私も訂正させてもらいたい。
(心臓が高鳴ったなんて、)
END.
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