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“その日だけの限定メニューがあるから良かったら来てくれないか?”
とても潜入中の警察官からとは思えない文章のメールが届いたのは先週のこと。
潜入先に上手く溶け込んでいると言えば良いのだろうが、あまりにも馴染みすぎてあの人の本業が何なのか時々わからなくなる。それくらい自然なんだろうが、事情を知っている私からすると少し気の抜ける文章だ。
とはいえ特に断る理由もなかったので、仕事終わりにそのまま送り主の潜入先である喫茶店に向かった。
『こんばんは…』
「あ、沙月いらっしゃい!」
「トリックオアトリート!」。
扉を開けると鈴の軽い音が鳴り響く。入店するやいなや出迎えてくれたのは、メールの送り主である安室。
日付や店の前に置いてあった看板でなんとなく予想はしていたが。
『仮装までしてるのね……』
「そうなんです、どうですか?」
まさか仮装までしているとは。せいぜい限定メニューとやらがあるくらいだと思っていたが、案外気合が入っているらしい。
今日は10月31日。いわゆる“ハロウィン”というやつだ。
そもそも日本のイベントではないし詳しいことは知らない。先程は完全にスルーしたが、本来なら「トリックオアトリート」と言われたらお菓子をあげないとイタズラをされるはずだ。カフェに来るのにお菓子など持参するはずがないが。
ややテンションが高く見えるその男は見たところ吸血鬼の仮装をしているようだった。黒がベースの衣装に裏地が赤色のマント、よく見れば爪も黒く塗っている。今日のためだけに仕入れたのなら大したものだ。
『梓さんは魔女なのね。すごく可愛いわ』
「ほんと!?嬉しい〜!」
『いつものエプロン姿も可愛いけど…そういう格好も似合うのね』
「やだもう、沙月さんったら褒めすぎよ!」
「あの〜…僕は?」
『アンタは何着たってだいたい様になるでしょ…元が良いんだから…』
「雑な褒め方ですねえ……」
「そんなものだろうと思ってましたけど」と安室が不満そうな顔をして私を席に案内した。ただえさえテンションがいつもより高そうなのに、これ以上上げられてもめんどくさいからあまり褒める気はない。
私が来るよりも前に来ていたらしい蘭さんとコナン君が奥の席に見え、安室はその隣のテーブルに私を座らせた。二人に「こんばんは」と挨拶をすると揃って返事をくれる。
「今日の限定メニューはね、梓さんの案を元に僕が味の組み合わせを考えたんです。
梓さんが沙月にも食べて欲しいって言うから」
安室から手渡されたメニューの写真には、黒猫をイメージしているであろうチョコレートケーキ。
傍にはクリームと“HappyHalloween”の文字が入ったプレートが添えられている。女の子が喜びそうな可愛らしいケーキだ。
視界の隅にちらちらと様子を伺ってくる梓さんの姿が見えたから後で感想を伝えておこう。
少し遅めの夕飯と、それとは別にデザートとしてハロウィン限定ケーキを注文してからメニューを閉じた。
「今日仕事は大丈夫でした?」
『多少早く切り上げたけど問題はないわ』
「すみませんね、わざわざ…」
閉店時間に間に合わせるために急ぎ気味で仕事を終わらせてきたことを察していた安室が小声で話しかけてくる。別に今日一日くらいどうってことはない。
「ごゆっくり」と注文の準備に向かった安室を見送り、ぐるりと店内を改めて見渡す。
時間も時間なので客はまばら。壁にはハロウィンらしいお化けやかぼちゃを象った色紙が貼られている。安室はそういうタイプではないから、きっと梓さんが飾ったのだろう。
仕事のメールを確認しながら料理を待っていると、ものの5分ほどで安室がお皿を運んできてテーブルに並べた。
マカロニグラタンと付け合わせのサラダに、今日に合わせたのかかぼちゃの冷製スープ。ケーキは後で持ってくるのだろう。やけに早く用意されたのは実は事前に安室に食べたいものを聞かれていたからだったりするが、もちろんそこには触れない。
「閉店まではまだ少しありますから、急がなくて大丈夫ですよ」
『どうも。
店入って早々にトリックオアトリートって言うくらいだから、お客さんにイタズラでも仕掛けてるのかと思ったわ』
「あれは沙月だから試しに言ってみただけです」
『…それは何より』
「誰かさんは見事に聞こえないフリしてくれましたけどね。そうですね、イタズラか……」
「うーん」と考える素振りを見せる安室。客が少ないせいでやることがないのか、私が食事を始めても構わずテーブルの横に突っ立っている。
やがて何かを思いついたのか、「そうだ」と手を叩いた。
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