包装紙の下に


 



「あ、沙月さん!」




それなりに聞き慣れてきた「いらっしゃいませ」の声が私を出迎える。
喫茶ポアロ。この店に足を運ぶのも、もう両手の指の数を超えた。

季節は冬。それも真冬。一年で一番寒いこの時期は外と室内のギャップが激しい。ここも例外ではなかった。冷気に晒されていた肌が、暖房の風に当たってじんわりする。


私の入店に駆けつけてくれた店員“梓さん”は、私の姿を見るなりはたと動きを止めた。別におかしな格好はしていない。男によく間違われるこの仕事着を見せるのも、今日が初めてではない。
では何を見てそうなったか。答えは彼女の視線の先にあった。




「…もしかしてそれ、全部バレンタインのチョコですか?」




両手に引っさげた大きめの紙袋と、そこから覗く色とりどりの包装紙。
この時期は道を歩けばピンク色の装飾、デパートに行けば特設コーナー。一ヶ月も前から各所でさんざん見せつけられているそのイベント当日に、こんなものを持っていれば察するのは容易い。

バレンタインのチョコレート。この袋の中身は紛れもなくそれだった。


職場で「王子様」と呼ばれるようになってから数年。
今まで自分とは大した縁のなかったその“バレンタイン”というイベントは、一年の中でも大きめのイベントに成長した。ほとんど自分は受け取る側なので、一般的な女性の感覚よりかは男性側の感覚に近いと思うけども。それでも楽しいイベントであることには違いない。

一体いくつあるんですかなんて首を傾げる梓さんの後ろから、不意にぬっと別の人影が現れた。




「全く…去年より増えたんじゃないですか?」




「相変わらずですね」と呆れたような顔で登場したその人。同じくここポアロの店員、“安室透”。
彼に気付いた梓さんが「毎年こんな感じなんですか」と聞き返し、安室が知ってて当然ですといったような顔をして「そうみたいですよ」と返す。勝手に人の情報をばらまかないで頂きたい。

沙月さんって本当にモテモテなんですねとか、そんなにあったらお返しが大変ですねとか。
閉店間際の人の少なくなった店内でしばらく談笑した後、梓さんがふと思い出したように「席に案内しますね」と顔を上げたのでやんわりと断った。今日はお茶をしている暇がない、また今度出直すと。

お茶をする気もないのになぜここに寄ったのか、それはもちろん今日がバレンタインであることに関係している。




『梓さん、これはわたしから』


「え、わたしに!?」


『ええ。いつもお世話になっているから』




──今日はこれを渡しに来たの。

紙袋の上の方に退避させておいたプレゼントを手に取り、目の前にいた梓さんに手渡す。彼女は彼女らしいオーバーなリアクションで喜び、それを受け取った。続けて「私も用意したんです」と言い始めた梓さんがカウンターからプレゼントを持ってきたので、私も礼を言って受け取る。




『…梓さんから本命を貰える人が羨ましいわ』


「えっ……?」


「ちょっと、梓さんのこと口説くのやめてくれません?梓さんも沙月に絆されちゃダメですよ!」




本気と冗談を半々に混ぜたような声で梓さんに言い放てば彼女は見事に顔を赤くして固まってくれた。その可愛らしい反応にくすりと微笑むと、入れ替わりで彼女の隣にいた安室が怒る。

「だって沙月さんほんとにイケメンだから」と困ったように照れた梓さんに最後に一度だけ微笑むと、荷物をまとめて帰り支度をした。




「え、あれ?安室さんの分は…!?」


『…欲しい?どうせたくさん貰ってるんでしょ?』


「有難いことにいくつか頂きましたが、貰えるなら貰っておきますよ。貴方、無駄に料理上手いので。
でもファンの子に嫉妬されちゃいそうで怖いですね」


『その言葉、そのまま返すわ。義理でも気を遣わないといけないなんて…』




面倒くさいことしてくれたわね、と。溜息を吐きながら紙袋を漁る。梓さんにあげたものと同じラッピングの施されたプレゼントを手に取り、安室に手渡した。
相も変わらず私には平気でぶすっとした表情をする彼はきっと常連さんからしたら見慣れない姿だろう。いつもニコニコ、文句の付け所がないイケメン店員として名の通っている彼だから。彼の言う“いくつか”が嘘であることくらい聞かなくても分かる。

用事が終わったのでさっさと店を出ようとしたら、「ちょっと待って」と安室に引き止められた。
振り返ると、営業スマイルなんてまるでする気のなさそうな彼が立っている。




「これ、新メニューの試作品。
せっかく荷物減ったところ悪いですけど、ついでだから持って帰って感想聞かせてください」


『…それはどうも。それじゃ』


「ありがとうございました!」




あまり良いとは言えない私達の空気を払拭させようとしたのか、梓さんが元気良く見送りの一言。
いつもながら気を遣わせてしまっている彼女に申し訳なさを募らせつつ、外へと続く扉を押し開けた。




──




再び冷気に晒されてから数分。
ポケットの中に入れていた携帯電話のバイブを感じて立ち止まる。


“気を付けて帰れ”
届いたメッセージに、淡々と既読をつける作業。




『…バカね』




思わず漏れた声は、白くなって空気中に溶けていく。


ポン、ポン。
既読をつけてすぐに新しく追加されるメッセージ。

“試作品って嘘だからな。それ、ちゃんと沙月のために作ったから”
“冗談でも義理って言われるとつらい。後で慰めろ”

「ゼロ」と一番上に表示されたその画面に並ぶ文字列は、電波の先で今あの人が打ち込んでいる。




『(いつになったら…それらしいバレンタインが迎えられるかしらね)』




ショーウインドウに並んだハートの形をしたチョコレートを眺めながらそんなことを考える。
とりあえず、次回からは嘘でも「義理」と表現するのはやめにしようと思った。

真冬の寒空の下、
“早く帰ってらっしゃい”とだけ送信して、そっと携帯電話をポケットにしまった。







(包装紙で隠すしかない)




END.







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