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──




「もしもし?」




シフトが終わり、店締めの途中に少し時間を貰ってポアロから電話をかける。
今日は僕の家より警視庁に近い沙月の家に泊まろうと思ったから、それの確認。




《メールなら見たわよ。今日はそっちに帰るから問題ないわ。…機嫌は直ったのかしら?》


「直ってない。後で何とかしろ」


《了解》




電話をしている間にも片付けを進めている梓さんを放置する訳にはいかず、手短に要件だけ済ませて電話を切る。
僕の子供みたいな言い分に、沙月は電波の先で笑っていた。




「(…迎えに来てもらえば良かったな)」




あんなにイライラしていたのにいざ声を聞いたら早く会いたくなった。それは恋からくるものなのか、友情からくるものなのか。
ワケも知らず一方的に八つ当たりしたのに沙月の態度は変わらない。それが心地良いのは確かだった。




「(あ、でも沙月あの格好でバイク乗るのかな……)」


「お電話、階川さんですか?」


「わっ…!す、すみません、今戻ります」


「大丈夫ですよ、そんなに急がなくても」




少しぼうっとしてしまったらしく、すぐ後ろまで来ていた梓さんに気が付かなかった。慌てて振り向いてスマホをポケットに仕舞う。
「階川さんでしょ?」と改めて聞いてくる梓さんには電話の相手が誰なのかすでにバレていた。


肯定の代わりに苦笑いで返すと、もう仲直りしたんですねと笑った梓さんが片付けの続きを始めた。




──




『おかえり』




久しぶりに歩きで沙月の家に来た。いつもなら沙月のバイクに乗せてもらっているから。

自分の家の鍵の隣に引っ掛けてある沙月の家の合鍵。当時は「持ってた方が便利だから」と軽い感じで渡されて軽い感じに受け取っちゃったけど、今思うとかなり異質だよな。
それくらい自分は男として認識されてなくて、僕も沙月を女だと認識してなかったんだろうけど。


出迎えてくれた沙月はもう風呂を済ませたようで、その姿は昼間見た姿よりもずっと見慣れていた。




『機嫌はどう?』


「答えを知るまでは変わりそうにない」


『答え?』




頭からタオルを被っている沙月の指にリングはない。
この家でアクセサリーの類を見かけたことがないが、普段どこにしまっているのだろう。そういえば今日の沙月が着ていたような女性らしい服もこの家で見たことがない。
彼女の部屋の引き出しを開けたら案外そういうものがたくさん詰まってたりするのだろうか。想像したことがなかった。


昼間の延長でややご機嫌斜めの僕に、沙月は困ったように笑う。




『貴方の機嫌が傾いたのはわたしが店に行ってから…そうね?』


「そうだな」


『心当たりはなくはないけど…』




「あれがそんなに貴方の機嫌を損ねるかしら」と、彼女はどこか言葉を濁す。なんとなく分かってはいるらしい。
違っても良いから言ってみろと先を促すと、沙月は右手の甲をこちらに向けた。




『…ここにしてた指輪』


「正解。じゃあ分かっててやったわけじゃないんだな?」




僕の機嫌を損ねるためにやったわけではないことは分かった。まあ、そんなことをして沙月にメリットがあるとはあまり思えないけど。
喧嘩がしたければ変に拗れるような話題ではなく、もっと別のことで吹っかけてくればいい。

しかし心当たりとして引っ掛かるとなると、やはり無意味につけていたわけではないらしい。
面と向かって聞くのは少々怖いが聞かないわけにもいかないだろう。「何か意味があったのか」と問い掛けると、沙月は静かに口を開いた。




『もちろん。ペアリングは大抵の人がここにするから』


「あれ、ペアリング…か?」


『そのつもりだったわ。ダミーのね』


「…ダミー?」




沙月の一言を聞くたびに酷く胸が騒がしい。
「ペアリング」、そんな言葉が沙月の口から出てくるとは。失礼だが、そのくらい僕は沙月を恋愛という事象と関わりがない人間だと思っていた。

一瞬彼女の言葉に背筋が凍ったが、その直後に引き戻される。ダミー。ダミーとはつまり、ニセモノ。
あのリングは確かにペアリングのつもりでしていたけど、ニセモノ?




「なんでまたそんな…?」


『初日に貴方が突っかかってきたでしょう?
貴方は気付いてないかもしれないけど、周りの子の嫉妬の目が凄かったんだから…』




話を聞けば、沙月は僕のせいで普段着けない指輪というものをはめようと思ったらしい。

僕がアクセサリーをしないことは経験上知っていた。だから自分だけリングをしていれば、僕以外の恋人がいると周りに思わせられるのではないかと考えた。
左手にしなかったのは、さすがに尋ねられたときに結婚云々の言い訳をするのは面倒だったから。右手なら適当に誤魔化せられるから、と。


事情を知って肩の力が抜ける。というか全身の力が抜けた。
ソファに項垂れると、沙月が「ごめんなさいね」と眉を下げた。




『ダミーであることくらい貴方なら分かるだろうし、言わなくても問題ないと思ったのよ』


「そりゃ分かってたつもりだったけど…」




正直なところ、確信が持てなかった。そう言えば沙月がもう一度「ごめんなさい」と謝る。


沙月の恋人の有無は契約日に確認事項として聞いていた。もしいた場合、僕との仕事をすることで影響があるかもしれないからと。
彼女の答えはNOで、少なくともしばらくは作る気がないから問題ないとのことだった。しかしもうあれから数年が経過しているし、事情が変わっていてもおかしくはない。

沙月曰く「それでも見れば分かるでしょ?」とのことだが、近くで見ていても分からないことなんかたくさんある。つい先日思い知ったところだ。
女性としても美人であることが判明した今、もはや沙月に彼氏がいない方が不可解だった。同性にすらラブレターを貰うような奴だ、なんなら彼氏ではなく彼女がいてもおかしくない。
本人は恋が分からないとは言うけれど、僕への言動を見る限り全く分からないわけでもなさそうだし。


一方でもうひとつ別の疑問が出てくる。恋愛感情が分からないくせに、女の子からの嫉妬の目だと?
恋を知らないのにそれは察知するのか。あまり話したことのない話題であるためか、今更聞きたいことがふつふつと湧いてきた。




『質問ならひとつずつお願いしたいわね…。まず、人と付き合うには双方の同意が必要だと思うわ』


「…まあ、お前の見た目じゃ嫌でも寄ってくるよな」


『貴方ほどじゃないと思うけど。
それと、女の子を恋愛対象として見たことないわよ。前に言ったことがあるような気がするけど』


「じゃあなんで口説くんだよ?」


『口説いてるつもりはないわ…可愛い子の可愛い顔が好きなだけ』


「…お前、もしかしなくても嫉妬される側だろ」


『……』




じとっと睨みつけると彼女は目を逸らして口を閉じた。ノーコメントってところか。
大方、お客さんの女の子絡みだろう。こいつはあの職場ではアイドルみたいな奴だ。
嫉妬の視線を感じ取れることについてはひとまず納得する。


何はともあれ指輪がダミーで良かった。僕のために沙月が考えてくれた策で僕が一番動揺してしまった。
もう一度長く息を吐いた僕の隣に沙月が座る。なんだか無駄に疲れた。




『不安にさせてごめんなさい。…貴方、ほんとにわたしのこと好いてたのね』


「まだ言ってるのか…」


『ゼロの凄さはよく知ってるからどうも信じられなくて……今、ようやく実感してきたところ』




「300円でここまで貴方を動かせるのね」と沙月が笑う。あれ、300円だったのか。こっちは真剣に悩んだのに。
むっとしていたらまた彼女が笑って、それを見て更にむっとする。他人に振り回されるのはどうも面白くない。それも恋愛感情で振り回されるなんていつぶりだ。もしかして初めてなんじゃないかとも思う。しかも相手がこいつなんて。

また傾き出した僕の機嫌を取るかのように、沙月が「もし良ければ」と口を開いた。




『あれの代わりの指輪を、今度ゼロが選んでくれないかしら』


「……、え」


『アクセサリーはそれなりに好きでいくつか持ってるんだけど、指輪は買ったことなかったのよ。
ああそれと、できれば次にわたしがポアロに行くときの服も選んでくれないかしら』




――貴方の“友達”として遊びに行くから半端な格好で行けないんだけど、どんなのがいいか分からなくて。

昼間の「美女」ではなく、「男友達」として見慣れた沙月がそんなことを言い始める。




「…なんだよ、僕のために気合い入れたってそういう意味?」


『あら、あれでも結構悩んだのよ』




どうにか返した言葉は可愛げがなかった。隠すにも隠せない頬が熱を帯びる。


あの真面目で仕事にストイックな沙月がまさか、そんな。
僕の選んだ服で僕の選んだ指輪を着けて、またポアロに来たいなんて。

とは思ったものの、普段と全く態度の変わらない彼女を見てああこいつ無自覚だと。
この恋を公にできない以上に、沙月という人間に恋をするのは厄介なことかもしれないとその顔を見て思い始めた。




「今度ポアロのシフトどっか休みにするから、そのとき連絡する」


『忙しいのに悪いわね』


「お前からの頼み事なんてレアだからな…」




いつもワガママ言うのは僕ばっかだから。

そう小さく付け足せば、沙月は「ゼロのワガママには好きで付き合ってるのよ」と笑った。






事件発生?


(まあ、いろんな意味で)




END.













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