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――カラン。
“closed”。そう書かれた札がついていたドアを押し開けると同時に鈴の音が響く。
夜の道をバイクで走ってきた自分には、店内の明かりはいささか眩しく思えた。
「あれ!?お客様、もう閉店…」
中で掃除をしていたらしい人物が驚いた顔をしてこちらを見る。
それもそうだろう。閉店と書いてあるのにわざわざ入ってくる客はそういない。
しかしながら私が見知った顔であることを確認したからか、すぐに表情は驚きから疑問のそれへと変わった。
『ごめんなさいね…姫を迎えに来ただけだからお構いなく…』
「階川さん!……姫?」
「沙月!」
私の言葉を復唱した“梓さん”が首を傾げる。
その奥からひょっこり姿を現した姫ことこの店の店員安室透は、「出先でそう呼ぶなよ」と顔を顰めた。
「気にしないでください、こいつが職場で王子と呼ばれてるもので…」
「階川さんが王子様で、安室さんがお姫様ってこと?うーん…確かに……」
「納得しないでください…」
着けたままだったグローブを外してカバンに仕舞う。
私達の顔を交互に見たあと頷いた榎本さんに安室が苦言を呈した。が、当事者の私としてもどちらかというと彼女寄りの考えだ。
少なくとも私は姫と呼ばれるような見た目ではない。一方の安室は年齢の割に童顔で可愛らしい顔をしているから、その呼称は似合うとさえ思う。まあ、体つきは全然可愛くないけど。
「こいつはいろんな人をそう呼ぶんですよ」と一言付け加えると、安室は途中だったらしい店じまいの続きをしに部屋の奥へと歩を進めた。
「適当に座って待ってて。梓さん、そいつに絆されちゃだめですよ」
「え、もしかしてわたしもそう呼んでもらえたり?」
『…姫が望むのなら』
「やだ、ほんとに王子様みた〜い!!」
「沙月!!」
一度目を伏せて、微笑みながら彼女の方へゆっくり視線を向ける。声色は優しく囁くように、口調は丁寧なものを心掛けて。
まるで演劇のような立ち振る舞いをここまで自然にできるようになったのはいつからだっただろうか。
もちろん理由もなくこんなことをしているわけではない。
とある女の子が職場で私をかっこいいと褒めてくれ、私を目当てに友達を連れて来てくれたことがあった。その結果、うちにいた保護猫の引き取り手がその中の一人に決まったのだ。
「王子」を演じるようになったはそれ以降。つまりは営業の一環である。実際ウケが良く、今では女の子のお客さんがだいぶ増えた。
喜んでもらえるのは素直に嬉しいから、そういう意味もあるけども。
はしゃいだ様子の榎本さんの声を聞いて安室が怒ったように私の名を呼ぶ。どうやら気に入らなかったらしい。
その怒声にびっくりしたらしい榎本さんに、「気にしないで」と人差し指を立ててウインク。安室透は降谷零とは違って穏やかな男だ、怒鳴るようなことはしないのだろう。うちに客として来ている彼と同じように。
この場所で安室と目立って仲良くするのは良くないが、あまり気に障ることをするのも良くないようだ。
ここは言いつけ通り大人しく待っているか。
そそくさと掃除に戻る榎本さんを見送ってから、空いていた隅のテーブルに腰掛けてしばらくの間ぼんやりと窓の外を眺めていた。
――
「お待たせ」
15分くらい経っただろうか。
作業が終わったらしい安室が声を掛けて来たので、置いてあった荷物を手に取る。
「じゃ、行こうか。梓さん、お疲れさまでした」
「お疲れさまでした!お二人とも、お気を付けて〜」
手渡したヘルメットを受け取った安室が、先にバイクに乗っていた私の後ろに跨る。
私も軽く榎本さんに会釈をしてから車を発進させた。
『…それで、なんて言い訳してきたの?』
「普通に飲みに行くって言っといたよ。
まさか宅飲みだとは思ってないだろうけどな」
店を出て少し走ったところで赤信号に捕まり、ブレーキ。完全に止まったところで腰に回されていた腕の力が緩くなる。
この年齢、それも男女でわざわざ迎えにまで来たとなると相応のことを疑われて当然。
そんなことくらい分かっているのに回避策も取らなかったところを見ると、どうもこの人は私の存在をあの店周辺の人間にアピールしたいらしい。見られたら面倒なことになりそうだから別の場所での合流を提案したのに断られたし。
どういうつもりなのかは知らないが、この人は知らない間に私のことを自慢することがあるみたいだから今回もそうだろう。
今の関係に落ち着いたのも彼からのスカウトがきっかけなわけで、気に入られているのは確かだし良いことだとも思うけど、変な方に話が拗れないことを祈るばかり。特に、ああいう若い女の子はすぐに恋愛話に繋げたがるから。風見さん相手とかなら別にいいのだけど。
『コンビニでいい?』
「うん」
信号が青に変わる。
回された腕の力が強くなったのを確認してから、ゆっくりとバイクを加速させた。
――
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