現を抜かす






「(ようやく来てはくれた……が)」




残り少なくなった洗い物の皿を手に取る。


今日の業務もあと数時間。客足は時間とともに減っていき、今は夕飯を食べに来た仕事帰りのサラリーマンや、二階に住んでいる某探偵事務所の二人組がぽつぽつと間を空けて座っている。

そんな中、カウンターを挟んだ真向かいに座っているよく見知った客人。ここを訪れたのはやはり仕事帰りで、夕方くらいだった。
その人は僕の選んだ服を着て指には僕の選んだ指輪をはめて、化粧を施した綺麗な顔でそこに座っていた。

ようやく来た待ち人。正確には「この姿」で来店したのが久しぶり。
平日なので彼女は今日も仕事だったが、早番で上がった後わざわざ着替えてまでここに寄ってくれた。

喜ばしいことだ。とても喜ばしいことだったのだが、ひとつだけ思ったのと違ったことがあった。




「(なんで女連れなんだ……!!)」




作業台を殴りたい衝動を抑え、代わりにギリギリと拳を握る。


さりげなくかつよく見える位置に座らせようと、わざわざ少し前から狙って空けておいた場所に座らせた沙月。
最初に入ってきたときは一人だった。が、日が暮れた頃に来店した女の子が言った「人と待ち合わせてて」の次の言葉が「王子!」だった。

今日の沙月は僕が選んだ小花柄のワンピースにややヒールの高い靴(よく似合っている)。いくら背が高いとはいえ「王子」とは程遠い姿の彼女を、何の疑問もなくそう呼んでいたのがショックだった。
風見どころか、僕以外には案外この姿は知られているらしい。


それはそれとして、沙月よりもいくつか年下に見えるその女の子はやっぱり沙月の熱烈なファンだった。たまたま連絡をしたのが沙月がここに向かっていたタイミングで(営業用の連絡先をお客さんにも開放しているらしい)、その場で夕飯を一緒に食べる約束を取り付けたのだ。
女の子に弱い沙月が断るはずもなく、その結果がこれである。

女友達が女友達を連れてきたことに対して“女連れ”と表現することは普通ないと思うが、




「王子が王子じゃないとこ見るの久しぶり〜!いつ見ても美人ですね!」


「でも、やっぱりいつもの王子がかっこよくて好きです」


「王子と二人でご飯食べれるなんて超ラッキ〜!」




…などとハートマークを散らしながら黄色い声を沙月に浴びせているので、これは女連れとしてカウントしておく。

そんな彼女は当然のように沙月のしていたダミーリングにもすぐに気付き、一瞬かなり慌てた様子だったが、沙月が何やら小声で話した後安堵していた。適当に上手く誤魔化したのだろう。
その後は女の子がひたすらマシンガントーク。沙月はよく喋る方ではないけどだんまりってタイプでもないから、時々言葉を返しながら楽しそうに相槌を打っていた。
ここまで着いてきちゃうくらいの子だから職場にもよく来ているのだろう。話し慣れた様子だった。


――せっかく沙月が僕のために来てくれたのに。
脳内で分かりやすく嫉妬が膨らんで、顔には出さないように気を付けたけど目はそっちを睨んでいた。




「沙月さんって、ほんとに女の子にモテるんですね…」


「ええ、まあ…」


「いつもあんな感じなの?」


「…いつもあんな感じだよ」




コーヒーのおかわりを注ぎに行ったら蘭さんとコナン君に耳打ちされた。さすがにプライベートで沙月がお客さんと何をしてるのかまでは知らなかったけど、今の状況を見るに職場と変わり映えしない。
相手が男ではないというのが唯一の救いだけど、普段男役を買っている沙月がああいうことをしていると正直イライラする。しかも、僕の目の前で。




「…沙月の奴、よく女の子連れてるけどまさかうちにまで連れてくるとは……」


「でも、見た感じあの子が沙月さんに着いてきたんですよね?」


「許しちゃう時点で一緒ですよ。お客さんが増えるのは良いことですけど…」


「嫌なの?安室さん」


「嫌っていうか……面倒なことにならないといいんだけど」




かわいい女の子見つけるとすぐ寄ってっちゃうからなあ。

溜息交じりにそう吐き出せば、蘭さんが「そうなんですか…」と苦笑いする。
そのうち蘭さんも声掛けられると思いますよ。絶対絆されちゃダメですからね。そう続けたら、完全に他人事だと思っていたらしい彼女はぽかんとした。

蘭さんには工藤君がいるから大丈夫だとは思うけれど。
でもやっぱり、心のどこかで心配になってしまう。




「あいつがかっこいいのは……本当なので」




それこそ、男の僕でも悔しくなるくらい。

そう小さく付け足した僕の横顔を二人がどんな顔をして見ていたのか、このときの僕は知らなかった。




「…あ、帰るみたいだね」


「沙月!」




二人が立ち上がったのを見て追い掛ける。結局沙月とはほとんど喋れなかった。
お代を払おうとする女の子を当たり前のように静止してさっさと会計を済ませた沙月が、後ろから近付いた僕に気付いて振り返る。




『ごちそうさま。また来るわ』


「ごちそうさまでした!安室さんのお料理美味しかったです!」


「…ありがとうございます」


『じゃあまた。…さあ、どうぞ』


「ありがとうございます!」




先にドアを開けて女の子を通し、続けて沙月も外に出て行く。その流れるような動作は慣れたもので、自然だった。
二人して同じ方向に消えたから沙月はあの子を駅まで送り届けるのだろう。沙月の家は反対側からバスに乗った方が早いから。

その様子をレジから見ていた梓さんが、ぼそっと「最後までキメてきますね」と呟いた。




「あのルックスであんな感じか〜…。モテるに決まってるわ…」


「ええ…モテますよ。何せ、僕の選んだ自慢の人ですから」


「そう言う割には不満そうに見えましたけど?」


「…バレました?いっつも僕、相棒を横取りされないか心配してるんです」




――あいつを助手にするの、結構苦労したので。

笑顔を貼り付けて梓さんに返せば、彼女は「ヤキモチかと思った」と言って笑う。そういうんじゃないですよ、なんて言いながら心の中では肯定していた。梓さんの言うヤキモチがどういうものかは知らないけど、多分同じものが僕の中で蠢いていた。


夜の街に溶けてすっかり見えなくなった後ろ姿を思い出しながら、ポケットに入れていたスマホを取り出す。




《彼女とのデートは楽しかったか?》

《せっかく、一緒に帰れると思ったのに》




隠したつもりが結局周囲にも伝わっていたらしい不満をたっぷり字面に込め、送信ボタンを押す。
人と歩いてるなら返事はしばらく来ないだろうと思っていたが、案外すぐに既読マークがついた。




《そうだったの?悪いことしたわね》

《埋め合わせなら今度するわ》




画面に並ぶコンピュータ文字の羅列から申し訳なさそうな顔が思い浮かぶ。きっと僕の機嫌が傾いてたことには気が付いていただろう。文章を読む限り、理由はたった今分かったようだけど。悪気はなさそうだし、やっぱ肝心なとこで鈍いな。

にしても、埋め合わせか。何をして貰おう。ていうか、ここに来るのもやっとなのに“今度”なんていつ来るんだ。




「(…でも、嬉しい)」




気に掛けて、動いてもらえることが。忙しい中に「僕」という予定を組み込んでくれようとしていることが。
つい口角が上がりそうになって慌てて片手で隠す。僕は思ってたより感情を隠すのが下手らしい。こんな職業に就いてるんだから、もう少しどうにかしないと。恋愛事に振り回されるなんて僕らしくもない。


…なんて考えていたら無意識にぼやっとしていたみたいで、結局また梓さんの僕を呼ぶ声で我に返ったのだった。






現を抜かす


(しっかりしろ、降谷零)






END.







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