1


 



「そういうわけで、シッポは掴めないままなんですよ〜…」


「う〜ん、残念ねえ……」




お客さんのいなくなったテーブルを拭いていたら、背後からそんな会話が聞こえてくる。

本人たちは内容をぼかしつつ声も控えめにしているようだが、残念ながら僕にはそれなりに伝わっていた。…いや、あえて聞こえるようにしているのか。声の主である園子さんと梓さんの顔は見えないが、なんとなくそんな気がする。


先日園子さんたちと一緒に行った海。
言い出しっぺが誰なのかは知らないが、僕は彼女らに誘われて沙月と共に同行した。
夏だから友達と海に遊びに行きたい――その気持ちはもちろんあっただろうが、だったら特別仲が良いわけではない僕や沙月はそこまで必要なかったはずで。むしろ気心の知れた友人のみの方が思い切り楽しめる。

案の定、実際のところは僕と沙月の関係を探るために立てられた計画だった…というのが、今背後で繰り広げられている会話から想像できること。梓さんまで絡んでいるとは思っていなかったけども。




「ところで安室さん、ちょっと気になったことがあるんですけど」


「(結局振ってくるのか…)…はい?何でしょう?」


「階川さんの背中の傷って、具体的にどんなものなんですか?」


「え?ああ…左肩の後ろあたりに、首の近くまでざっくりと…」


「……見たことあるんですか?」




じとっとした視線を梓さんから受けてその意味を考える。傷ならこの前水着だったし他の人も見たと思うけど、と考えたところであの日あいつがほとんど僕のパーカーを羽織って過ごしていたことを思い出した。…そうか、ちゃんと見た人間はいなかったか。
そもそもあいつは傷を隠したがるから、水着自体も首元が見えづらい飾りのついたものだったな。
質問の答え方を間違ったような気がして口籠る。こんな簡単な誘導尋問に引っ掛かるとは。

僕があいつの傷を見たことがあるとして、じゃあそれがどんなタイミングかって話だ。
素直に「見せてもらったことがある」で通してもいいだろうが、服で隠れて見えづらい背中側の傷だ。せっかく園子さんたちに余計なことを話してまで追及を諦めてもらったのに、下手なことを言うとまた話が拗れそうだな。どう答えるのが正解か。

悩んでいるとそれはそれで怪しく見えたのか、「ここでは言えないようなことなんですか?」と言われ慌てて首を横に振る。




「ち、違いますよ!ちょっと特殊な事情があるので、どう言えばいいかと…」


「特殊な事情?一体どんな…」


『楽しそうね。何の話で盛り上がってるの?』




後ろからよく知った声が割り込んできて一斉に振り向く。
声は完全に女性のそれだが背はそのへんの男よりも高い。そいつは被っていたキャップを取ると、空いていた片手で乱れた前髪を直した。

よりにもよって、このタイミングでご本人様の登場だ。




「あ…あれ?もうそんな時間か?」


『あんなに短い夏休みだったのにボケたの?店に入っても気付きやしないし』




さっきの優しい声は何処へやら、溜息と共に悪態をつかれる。いつから聞いていたのか知らないが、本当にいつの間にかそこにいてびっくりした。
誰かが入ってきたら鈴が鳴るから分かると思うのだけど。鳴らなかったなんてことはないだろうし。
今日こいつが来ることは事前に知っていたから時間には気を付けていたつもりだったのに、それも知らないうちに過ぎていたとは。沙月の言う通りこの前の夏休みでボケたのかもしれない。




「沙月さんかっこいーーーっ!!イケメン!!噂通り!!」


『ふふ、ありがとう園子ちゃん』


「…王子の知り合いですか?」


『ええ、園子ちゃんよ。その隣が園子ちゃんのお友達で、ここの二階に事務所がある毛利探偵の娘さんの蘭ちゃん。
こちらが、安室がお世話になってる店員の榎本さんよ』


「ふーん……」




はしゃぐ園子さんとは対照的に面白くなさそうな顔をしたのは、沙月の横にいた“お客様”。ご丁寧に手まで繋いでいる。
これも事前に知ってたけど、また女連れか。しかもこの前来たのとは別の子。こいつのファンが何人いるんだか知らないが、何も言わないと毎回別の子を連れてきそうで怖い。

園子さんや蘭さんよりもいくらか年下に見えるその女の子は、少しの間黙り込んだかと思えばツンとした顔と声を「王子」こと沙月に向けた。




「安室さんに仕事の話しにくるのはいいですけど、これ以上モテないでくださいよ。ただえさえファンが多いんだから」




見るからに不機嫌な女の子を前に、まだそれを見慣れていないであろう園子さんたちが固まる。僕からすると割といつも通りの光景だけど。




『あら、そんなんじゃないわ』


「どーだか。言っときますけど、沙月さんがその気かどうかは関係ないんですよ?」


「お、お席ご案内します…」




沙月にも強気なその子は多分相当通ってるタイプのお客さんなんだろうなと思う。最初はこいつの見た目に圧倒されて控えめに話すお客さんが多いから。
入り口付近で痴話喧嘩を始めた二人を梓さんがたじろぎながら案内する。こいつほんと、あんまり適当なこと言ってるといつか過激なファンに刺されるんじゃないか。

席に座った二人は揃ってメニューを眺めて、その途中で沙月が梓さんに「さっきは何を話してたの?」と質問を投げた。







<<prev  next>>
back