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「乗馬体験は終わり?」


「うん。沙月さんが、ちょっとだけ別のお客さんの相手をするから待っててくれって」




「楽しかった」と笑う二人に笑みを返しつつも横目で沙月の姿を追う。あっちは厩舎の方面だから馬を返しに行ったみたいだ。
それでその後は……ああ、あれが「お客さん」か。施設の入り口に駆け足で来た女の子を視認して、同時に厩舎から戻ってきた沙月の姿も確認する。

予想通り沙月が女の子に話しかけて、その声に女の子は嬉しそうに振り向いて、それから。




「…あれもサービス?」


「まあ、営業のためなら結構いろんなことやる奴ですから…」




せがまれたのか、突然女の子を横抱きにしてくるりと一回転した沙月にその場にいた他の三人が驚いた顔をした。
…お姫様抱っこ、か。沙月を好きな子にはさぞかし喜んでもらえるサービスだろう。

園子さんが「あたしも言えばやってもらえるのかな」と呑気なことを言い出したのを「やってもらえると思いますよ」と受け流しながら、内心面白くなくて悪態をつく。
ポアロに女の子を連れてくるのもそうだけど、明らかに“分かっててやってる”サービスってどうなんだろう。ラブレターの件と同じ、今まで気に留めていなかったことが妙に癪に障る。
僕ってこんなにめんどくさい男だったっけな。一応自覚はあるけど、これくらい笑って流せるようなものだと思っていた。




「あ、あの子もしかして新しい飼い主さんなのかな?」


「そうみたいだね」




施設から別のスタッフさんが出てきて、連れていた犬のリードを女の子に渡した。引き渡しをするために来てもらっていたようだ。
別れ間際、沙月が屈んでその犬に顔を寄せる。いつも彼女がやっている儀式のようなもの。

――“幸せになってね”




「(沙月は沙月なりに頑張ってるって、分かってるつもりなのになあ)」




視線の先、笑い合う沙月と女の子の姿を見つめる。

ここにたくさんの人に来てもらおうとして、あいつが一生懸命“王子”をやっていることは知っている。過剰ともいえるサービスも一応あいつの中で限界は決めてあって、それを超えるようなことはしないとも分かっている。
甘い言葉も、気障なセリフも、手を取ったり抱き上げたりするのも、恋には発展しないと明言している女の子相手にしかやらない。


それでもずるいと思ってしまうのは、僕の心が狭いからなんだろうか。




『お待たせ。さ、続きを案内するわ』


「沙月さん、あたしのこともお姫様抱っこできますか!?」


『もちろん。そうね…安室くらいまでなら余裕よ』


「えっ!?安室さんもできるんですか!?」




突然会話に自分の名前が出てきたので驚いて顔を上げる。なんでお姫様抱っこの話で僕が出てくるんだ。確かに沙月に姫と呼ばれたことはあるけども。
会話に参加するか悩んでたら、何故か園子さんが「じゃあ安室さんのことお姫様抱っこしてみて!」と言い始めたので思わず抜けた声が出た。
いやいや、だから何で僕が。童顔とは言われるが、一応29歳の男なんだけども。するとしても逆なのでは。

しかしながら、もしかしてこれは自分からは絶対に言い出せないレアなシチュエーションなのではと頭の隅で考えてしまったのもまた事実だった。




「ま、そうですね……できるものならやってみてくださいよ」


『…意外ね』




僕の分かりやすい煽り文句に、くすりと笑った沙月がこちらへ向かってくる。

人前でお姫様抱っこなんて普段の僕なら絶対に頷かないけど、今のこの流れなら不自然ではないかも、なんて。
さっき目の前で別の子にやられたからかな、むしろやって欲しいとまで思ってしまった。

やけに慣れた手つきなのが気に食わないけど、背中に手を回されると一気に距離が近付いてドキリと胸が鳴る。




「わー!すごーい!沙月さん力持ち!」


『王子だもの。これくらいはできないと』


「…相変わらず、女性とは思えない馬鹿力ですね」


『それは誉め言葉として受け取っておくわ』




ぱちぱちと拍手の音が遠くに聞こえる。

顔が近い。横抱きにされたら必然的にしがみつく形になるから、どうやったって近くはなるのだけど。
ほんと、ムカつくくらい綺麗な顔立ちだな。その顔でこんなサービスしてたら女の子でも惚れるに決まってる。
――どうしたら、こいつは僕だけを見てくれるだろう。




『して欲しいならいつでもしてあげるのに』


「…別に、さっきお前が他の子にしてたから」


『あら、妬いてくれるのね』




あの女の子にやっていたようにくるりと回転して、その隙に僕にしか聞こえないボリュームで囁かれる。
ただえさえ近かったのにさらにぐっと顔を近付けられた。それが他の人に声が届かないようにするためだと分かっていても息が詰まる。

すぐそこにある唇に、できるものならこのまま、と思ったけどそれは叶わない。




「次あたしね!」


『どうぞ。蘭ちゃんは?』


「わ、わたしは大丈夫です…他の子に怒られちゃいそうだし…」




数秒もしないうちに足から地面に下ろされて、沙月が園子さんの元へ向かう。考えてた傍から別の子のとこに行きやがって。
思わずむっとしそうになったけど、人前だから顔には出さない。




「すごーい!ちょっと蘭、写真撮って!」


「はいはい」




仮にも僕に脈があるなら、少しくらい考慮してくれてもいいと思うんだけど。…なんて言葉は、楽しそうな女子高生を目の前にしたら口には出せなかった。
あれをやめろと言ってもきっと断られるんだろうなあ。お客さんからの評判が良い限りは。

…ああもう、本当こいつ相手の恋は厄介だ。
結局その日のうちに上手い打開策は見つからず、胸にもやもやしたものを抱えながら職場見学を続ける羽目になったのだった。






おモテになられるようで。


(こんなことになったのは初めてだ)






END.






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