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食欲をそそる匂いが辺りに漂う。




「そうそう、真ん中に寄せる感じで……」




二人しかいない店内で、客に出すわけではないナポリタンを指定の皿に盛りつける。
完成品を隣にいた人に手渡すと、「上出来だな」と言ってその皿をトレーに載せた。




「料理はなるべく僕がやるけど、簡単なのはすぐにでも任せられそうだな。助かるよ」


『初出勤ぶっつけ本番の人にやらせることじゃないと思うけど……』


「大丈夫だよ、お前の腕を知ってて呼んでるんだから」




「じゃあお昼にしようか」とトレーを持ち上げて彼が移動する。
トレーの上には、ナポリタンの他にも別で試作したサンドイッチやサラダが載せられていた。


今日は仕事は休み。…のはずだったのだが、昨夜突然安室から呼び出しが掛かったために朝早く起きて支度をした。
呼び出された先は喫茶ポアロ、用件は「一日限定アルバイト」。なんでも、今日一緒に入る予定だった梓ちゃんが発熱でお休みだそうで。

安室も安室で先日具合が悪そうだったから少し心配はしたものの、いざ現場に着いてみたら至って元気で普通だった。体調不良が理由の呼び出しではないらしい。
一人なら一人で捌けるだけのお客さんしか入れないとか、待たせる可能性を伝えた上で通すとか、急遽閉店にしちゃうとか、いろいろやりようはあると思うのだけど。
あえて私に声を掛けてきたのは、多分この人が今この状況を面白がっているから……なんじゃないかと勝手に思っている。特別なことでもない限り、私がこんなアルバイトをすることなんてないから。




『(こっちのナリなら、来るのは別に構わないけど)』




借り物のエプロンは安室が持っていたスペアの男物。
普段の職場でやっているのと同じように髪を結び、黒のシャツの袖を捲る。

大人気店員の安室透と一緒にバイトなんて面倒なことになりそうで正直気が乗らないが、「王子」としてなら、まあ。ぱっと見は男二人組にしか見えないだろうし、女だと気が付かれたところで安室透の彼女だとはまず思われないだろう。
彼が変な絡み方をしてきたら冷たくあしらっておけばいい。




『(そもそもこの人、バイト中に急に帰って梓ちゃんを困らせてる側なんじゃないかしら……)』


「…うん、お前の作るサンドイッチも美味い!パスタも少しもらっていいか?」


『お好きにどうぞ』




二人掛けの席で早めの昼食にする。さすがに全く何も教わらない状態で店を開くのはあれだったので、午前は「準備中」として店を閉じて軽く業務を教わった。
私の担当は主に席への案内、食事の運搬、後片付け。一応いくつか料理は作ってみたが、そこは慣れている安室に基本丸投げするつもりだ。
いつも二人で回してるからそんなに心配せずとも大丈夫と彼は言うが、飲食店のバイトそのものが初めての人間にそう言われても。諸々の責任は彼に全部押し付けるが。


バイト代として“お金”以外に得た権利のためにポケットに準備したものを確認し、エプロンの紐をきつく結び直す。




「さて、そろそろ開店するか……。今日はよろしく頼みますね、“王子”?」


『こちらこそ。頼りにしてますよ、“安室さん”?』




皿を片付け、テーブルを拭く。
看板を立てるため外に出て行った安室を見送りながら、もう一度この店のメニューに目を通した。







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