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「一体これは誰が得をするんでしょうか……」




まさか“安室透”としてこんな格好をする羽目になるとは思わなかった。


最初に誰が言い始めたのか、何をきっかけに広まったのかは知らないが、今日は「メイドの日」らしい。
5月を英訳して、10との語呂合わせでメイ・ド。読めなくはないが、若干無理があるんじゃないかと思う。
公的な記念日などではなく、世間一般的にもおそらく認知度は低めな方。僕もどこかで聞いたことがあるようなないような、そんな程度の日だ。

少なくとも意識した試しは一度もないこの「メイドの日」にいつも通り出勤したら、ポアロで梓さんがとんでもないものを持って待ち構えていた。




「かわいい〜!! 安室さん、やっぱりかわいい系もイケますね!!」


「ハハ……(よくあったなこんなサイズ…)」




いつにも増してやけに楽しそうな梓さんと、対照的に苦笑いしかできない自分。
いくら褒められたところでこんなものを着せられていたら、大抵の男は苦笑いするだろう。

視界の隅に映るフリルたっぷりのその衣装は、普通なら男が着るようなものではない。が、サイズだけは男用だった。
男用と言っても絶対に着られると決まったわけではない、僕は比較的身長が高いし筋肉もある方だから、もしかしたら小さくて着られないかも――なんてことを期待しつつひとまず袖を通してみたところ、なんとうっかり着れてしまった。
こうなったら仕方がない、次の手として「似合わないですよね、やっぱり辞めましょう」を使ってみたところ、逆に梓さんに絶賛されてしまったのがつい先程の出来事である。


退路はいとも簡単に断たれ、結局このコスプレ衣装のまま仕事をすることになってしまった。せめてもの条件として、「着用は昼まで」というのを勝ち取ったけども。




「(何でも似合うのも考えものだな…)」




金属製のお盆に自分の姿が映り込む。


ハーフであることも相まって、もともと顔立ちが整っている自覚はある。潜入捜査官としてこの顔は僕の武器だから、見た目には気を遣っているしそれなりに自信もある。
だからと言って女装をする趣味はないが、どうやらこの顔にはこんなフリフリの衣装でも似合ってしまうらしい。体格は全然可愛くないけどな。

どこかで梓さんが今日のことを知ってメイド服を着てみたいと思ったけど、一人で着るのは気恥ずかしいから僕を巻き込んだ――大方そんなところだろう。梓さんが僕のメイド姿を見たがるとは思えないし。

気分は全く乗らないが、諦めてOPENの札を掛けに行く。やろうと思えば本気で嫌がって断ることもできたが、梓さんには日頃ドタキャンで迷惑を掛けている節がある。
この数時間を犠牲に満足してもらえるなら、まあ。今日はあいつが来る予定もないし。




「あむぴかわいい〜!! 毎日それにして!!」


「アハハ、それは勘弁…」




たまたま朝が遅くて立ち寄ったらしい女子高生から持て囃され、テイクアウトのカフェオレと一緒に苦笑いを返す。いざ接客してみると意外と女子ウケが良くて複雑だった。
これがウケてしまうのか、これが。アラサー男のメイド服だぞ。

平日の午前なのでそもそも来る客自体少ないが、今のところ悪い意味でぎょっとされることはなかった。店の前にでかでかと「メイドの日」と書いた看板を設置したから、客の心構えができているっていうのもあるんだろうけど。

…変に好評だと、“次”がありそうで怖いんだよな。
それこそ梓さん経由であいつの耳に入りそうだし。




「(…意外と沙月にも好評だったり……。いや、さすがにないか…)」




客が途切れたタイミングで馬鹿馬鹿しいことを考えてしまい、一人で勝手に落胆する。沙月を振り向かせる手としては間違ってるよなあ。
いくら可愛い子が好きとはいえ、僕がこういう格好をするのは違うよな。女の子がしてればあいつは褒めちぎるだろうけど、僕がしたところで同じようには褒めてくれないよな。沙月が“可愛い”と形容するのは女の子と犬や猫なんかの動物ばっかりだし。


このとき無意識に立ててしまったフラグを後悔することになるのは、ここから30分程が経過した頃だった。




――




衣装のことを極力気にしないようにしながら、いつものようにテーブルを拭く。
梓さんは大学生くらいの男三人組の接客に追われていた。何となく騒がしそうなグループだから、看板に釣られて面白半分に入ってきたのかなと思う。

それから数分もしないうちに再びドアのベルがカランと鳴って、あと少しでこの衣装ともおさらばなのに立て続けに来客かと、心の中で溜息をついたとき。




「あたし隣に座りたーい!」


「え〜!! わたしも王子の隣がいい〜!」


『ふふ、カウンター席が空いてたらね』


「あ!いらっしゃいませ!」


「……、え」




聞こえるはずのない声がして、冷や汗と共に振り向く。聞き間違いでなければさっき頭に思い描いていた奴の声だ。


――なんで、今日は一度も連絡を取っていないのに。というかここ数日は音沙汰がなかったのに。なんでよりによって今?
アポ無しの来店なんて例のアレ以来2回目なのではないだろうか。本当に偶然来ただけの可能性も考えたが、真っ先に梓さんが声を掛けに行ったのですぐに察した。…さてはこいつ、彼女に頼まれて来たな。



 



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