2
「あ……」
圧が掛かっていた背中側ばかりを気にしていた安室がこちらを向いたとき、私達はかなりの至近距離で向かい合っていた。私が安室とあまり変わらないくらい背が高いばかりに、電車が揺れたら唇が触れてしまいそうな距離。
さすがにこれを放置するのは気まずいかなと、動揺が顔に出ている安室の代わりに対策を考える。
「…!」
電車が動き出すまでもうそんなに時間もない。答えを出した私はあえてぐっと手のひらで彼の後頭部を引き寄せて、ついでにその顔の向きを外側に変えた。
そして彼とは反対側に顔を向けて、彼の肩越しにもう片方の手でスマホをいじり始める。
傍から見れば軽く抱き合っているような体勢ではあるが、これで少なくともうっかりキスをするなどという事故は起こりえない。どのみち身体はほぼ密着しているのだ、状況としては大して変わらないだろう。
狙いを察したのか、電車が動いてからは彼も同じように私の肩越しにスマホをいじっていた。
「みんな大丈夫かい?次で降りるよ!」
「おう!ちゃんと居るぜ!!」
数十分電車に揺られ、会場の最寄り駅で降りる。短くない時間密着したままだったが、電車を降りる頃には最初の動揺などなかったかのように安室は涼しい顔をしていた。とりあえず大丈夫だったようだ。
全員が揃っていることを確認し、駅を出て先程調べた地図の通りに会場を目指す。イベントの看板が出始めてからは子供達がオープニングテーマか何かを歌い始め、それを微笑ましい気持ちで見ていた。
特撮にハマったことはないが、小さい頃は私も同じように子供向けアニメのイベントに連れて行ってもらったものだ。想像がつかないが、安室にもそんな頃があったのだろうか。
チケットを見せて入場し、ショーが開かれるステージへ。子供用として前の方に見やすい専用の席があるとのことで、私と安室は二人で後ろの立見席に移動する。
みんながどこに座ったか確認した後、隣の安室と揃って息を吐いた。ようやく一息付けた。
「もう少し平和な予定だったんだけど……思ったより、バタバタしちゃったな」
『そうね。…こういうこと、最近よくやってるの?』
「普段は近所に住んでる阿笠さんっていうおじさんや、蘭さんや園子さんが着いてるんだけどね。たまに都合がつかなくて、僕に頼んでくることがあるよ」
『貴方が子供の面倒を見てるイメージがないから、少し驚いたわ』
「まあね。ポアロでバイトしてなかったら、こんな機会はなかったかもな…」
大盛況の特撮ショーを眺めつつ安室の言葉に耳を傾ける。子供を預かるなんて、相当な信頼がないと回ってこない仕事だ。“安室透”はそれだけ周囲の信頼を勝ち取っているのだろう。
その大仕事に私を巻き込んだのは、単純に監視は多い方が助かるというのと、ついでに休日に一緒に遊ぼうという話なのだろうか。私としても新鮮な体験なので、別に今後も誘われるのは構わないのだけれど。
『さっきの電車だけ、ちょっと想定外だったわね』
「……ああ」
『手の甲にキスくらいで固まってたのに、あれで割と平然としてたのは意外だったわ』
「あー…。…ちゃんと僕、装えてたか?」
『最初だけ驚いた顔してたけど、あとはケロッとしてたわね。…実は緊張してた?』
「緊張どころか、ずっと必死だったよ……」
長い溜息と共に両手で顔を覆う彼。だんだんと声がか細くなり、やがて子供の歓声で掻き消される。
思い出して今更ぶり返したのか、指の隙間から見えた顔は耳まで赤くなっていて。その様子に思わず笑いながら、被っていた帽子を脱いで彼に被せた。
「……、なに?」
『こんなに大勢いる中で、そんな可愛い顔しちゃダメよ』
「…っ、ああもう、からかうなよ……!」
さらに赤くなった彼は怒ったようにそう言って、帽子のツバで顔を隠した。
あれだけ二人で徹夜の仕事も泊まりの仕事もこなしてきたのに、今になってこの程度で照れるのか。疑問はあったけど、“恋”とはきっとそんなものなのだろう。
その珍しい表情をさせたのが自分だと思えば悪い気はしない。若干、先が思いやられる感じは否めないが。
「はあ…。僕、こんなんじゃなかったのにな……」
ぽつりとそう呟いた安室は苦笑いして、帽子を被り直してからステージに目を落とす。ヒーローが必殺技を繰り出し、会場は今日一番の盛り上がりを見せていた。
この平和な光景を守るのが彼の仕事。
激務の間のこのひとときが、少しでも彼にとって楽しいものになっていますように。さっきのはにかんだ顔を思い出しながら、なんとなく、そんなようなことを考える。
私の帽子を被って柵に身を預けている彼のその横顔は、どこか幸せそうに見えた。
すぐ隣のヒーロー
END.
back