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なんてことないごく普通の道が、今日は歩道を埋め尽くすほどの人で賑わっている。
なかなか前に進まない人混みの中をのろのろと歩き、ようやく辿り着いたカフェの前。
「CLOSE」と書かれた札の掛かっている扉を軽くノックする。
「いらっしゃい!待ってたよ!」
CLOSEにもかかわらず明るい店内から顔を出したのは、エプロンを身につけたここの店員“安室透”。
後ろ手に扉を閉めると、「多分見えるとしたらここだと思う」と言って私に窓際の席を案内した。
『今日は一人なのね』
「花火大会の日は暇だからな。一人でも十分回せるんだ」
「何飲む?」と聞かれたので紅茶をお願いする。注文を聞いた安室がすぐにカウンターへと下がった。
私達以外誰もいない店内とは対照的に、窓の外ではぞろぞろと絶え間なく人が歩いている。
『こんなに人がいるのに、意外と店には来ないものなのね』
「うん。ポアロは一階だから見づらいし、そもそも窓際に座れなかったら全く見えない。
常連さんもこんな人混みの中をわざわざ来ないからね。花火が終わる頃には閉まっちゃうし……」
『でも別に、まだ閉店の時間じゃないんでしょ?』
「…まあね。梓さんにはナイショですよ?」
ウインクして人差し指を口元に持ってくる彼。
「悪い人ね」と笑ったら、「自覚はあるよ」と冗談めかした言葉が返ってきた。
恒例行事として近所で行われている、夏の花火大会。毎年この日は花火を見に来る人でポアロ周辺もかなり賑わうらしい。
今回初めて来たのでどの程度の規模なのか分かっていなかったが、交通規制も掛かっていて想像以上の賑わいだった。
待っている間特にやることもなく、まだ花火の上がっていない夜空をぼんやり眺めていると、紅茶の準備が出来たらしい安室がカップをふたつ運んで来て向かいの席に座った。
「いつだったか、FBIの下っ端がちょうど花火の日に来たことがあって。
早々に追い返してやったんだけど、それはもう気分は最悪!…だったから、今日はその記憶をお前で上書きしようかなと」
『そんな理由で閉店が早まるここも可哀想だし、仕事帰りにわざわざゲロ混みの街に呼び出されるわたしも大変ね……とばっちりを受けたFBIの人にも同情するわ』
「FBIのことなんかどうでもいいんだよ。早く帰って寝たいところを呼び出したのは謝るけどさ…。…でも、来てくれて嬉しかった」
「沙月が来てくれなかったら、一人で寂しく花火を眺めることになってたから」。
ティーカップに口を付け、自嘲気味に笑って彼が目を細める。
花火大会で人が来ないのは分かっているから、売上がなくても怪しまれることはない。「CLOSE」の表示もドアの外側にあるので、監視カメラを見ても閉店しているかどうかは分からない。
そもそも監視カメラの映像を見直すようなことなんてまずないし、仮にあったとしても私達が映っているだけで、変なところがあるとすれば安室が客と一緒にお茶をしていることくらい。
適当に捏造した言い訳を考えるなんて、それこそ彼の得意分野だ。
“来週、一緒に花火を見ませんか?”
この人から来るメールのほとんどが仕事関連である中、珍しくプライベートな内容だけが書かれていた一通のメール。一瞬何か裏があるのかと思ったがなんてことはない、本当にただ花火を見るお誘いのメールだった。
往路でそこかしこに見掛けたカップル達のそれとは、きっとだいぶ温度差があるだろうけど。
「…あ、始まった」
一発目の花火が、ドォンと音を立てて遠くの夜空に打ち上がる。
「やっぱりここからじゃ少し距離があるな」と、ビルで隠れて欠けている花火を見て安室が笑った。
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