浜辺/SideP - 2

 その後、俺は思ったよりもすぐに自分の民宿に帰ることができた。俺が進んでいた道が真逆だと言っていたから月明かりを頼りに帰ることになるかと思っていたけれど、案外少し暗がりになるだけで済んだようだった。
 俺が民宿に戻るとまず花坂先輩が俺を見て大きな声を出す。その声につられて部員の皆が俺を囲むようにあちらこちらからやってきた。

「小貫!お前スマホも持たずにどこ行ってたんだよ!」
「す、すみません。ちょっと散歩に行くだけのつもりだったのでいいかなと思って……」
「次からは気をつけてくださいね、はぁ、寿命が縮みました……」
「か、監督もすみません。次からはスマホを持って出ます……」

 監督までやってきて、俺の姿を見ると肩を撫でおろす。どうやら俺がいない間にたくさんの人が俺を探してくれていたらしい。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。まさか自分が知らない道を進んでいる間にこんなことになっているなんて……。花坂先輩に話を聞けばどうやら部員全員で俺を探してくれていたらしく、大分長い間探させてしまっていたらしい。

「小貫君お帰り。怪我はない?」
「あ、火呑先輩!怪我はないですけど……すみません、探させてしまって」
「いや、それは大丈夫。いい運動になったよ。それより……」

 気にさせないようにしてくれているのか、もっと気になるものがあるのか、火呑先輩の目線は俺の後ろに向く。それにつられて他の人も俺の後ろを見て、俺はここまで八百万先輩に案内してもらったことを思い出した。

「あ、八百万先輩はその、真逆の方にいた俺をここまで連れてきてくれたんです!」
「そうだったのか。ありがとう、八百万」
「連絡手段を持たせろ」
「いやぁ、ぐうの音も出ないな……あ、なぁ八百万」

 ぐうの音も出ない。少しの散歩だからと言って油断しないようにしよう。ただでさえ俺は人よりも知らない道に出ることが多いんだから。心の中でそう決めて、暗くなってきた空を仰いだ。思ったよりも早く着いたというだけで、暗くなるほどには時間が経っている。俺を案内している時間は八百万先輩にはあったんだろうか、何か言いかけている火呑先輩の方を見ようとすると、監督がこっちにやってきて八百万先輩に声をかけた。

「八百万さん、車で送ります」
「……歩いて帰れるから結構」
「暗くなってきていますし、何より自校の生徒を案内して下さっているんですから。お礼の気持ちだと思って送らせて下さい」

 監督の圧に負けたのか、反対するのが面倒になったのか。先輩は「わかった」と一言だけ告げて頭をかいた。監督は少し安心した顔をして車の準備をしに民宿へと戻っていく。自分を下した高校の先発ピッチャーということもあり、空気が何だかぴりついている気がする。その空気を破るように、先ほど何か言いかけていた火呑先輩が口を開きなおした。

「なぁ、八百万。お前絹川君に会ったか?」
「会ってないが……あぁそうだ、電話を貸してもらっていいか? 煩わしいからスマホをホテルに置いてきたんだ」
「八百万も人のこと言えないなぁ……」

 明確な意志の元に置いてきている。こいつと一緒にするな。と少し文句を言いながらも、小湊さんがスマホを貸すと手早く番号を入力する。宿に電話しているのか、それとも慣れているから友達だろうか。耳に当てた瞬間に「もしもし」と言葉を発したから少しびっくりした。耳に当てているのに少し声が漏れて聞こえてくる。多分あちら側でも相当に捜索が行われていたんだろうと思って、キリキリと胃が痛むような気持がした。

「八百万だ。迷子の後輩を宿まで送っていたら、」
「ぶ…………だね!?」
「……無事も何もない。連絡を入れ忘れていたことは申し訳ないと思っている。…………あぁ、そうしてくれ。……………………いや、こちらの高校の先生が送ってくれるそうだ。監督にもそう伝えておいてくれ。………………悪いが借り物だからもう切る。詳しい話はそちらに戻ってからにする。じゃあな」

 おそらく無理やりに話を切ったんだろうな、というのが八百万先輩側の発言だけでもよくわかる。小さくため息をついて、スマホを小湊さんへと返却した。

「お友達とお話してなくていいの?」
「別に。あいつはこれで納得する。ありがとう」
「うぅん、いいの。連絡がつかないのは心配だろうから」

 そうこう話をしていれば監督が諸々の準備を済ませて戻ってきたらしく、火呑先輩に部員を集めておくように指示を出して八百万先輩を連れて駐車場の方へ向かっていく。それに黙ってついていく八百万先輩に俺は声をかけた。

「あ、あの、ありがとうございました」
「……別に。スマホ持てよ」

 少しだけ振り返ってこちらを見た八百万先輩に頭を下げる。先輩がいなければ俺はこの時間帯にいたかどうかも怪しいし、もっと遅くまでみんなに探させてしまっていたかもしれない。少し怖い人だと思っていたが、俺の勘違いだったのかもしれない。

「……頭を上げろ」

 言われるがままに頭を上げれば、八百万先輩がこちらに向き直っていた。そして、どこから出したのかわからない白球を手に持っている。何をするんだろう、と思っていると見たことのある動きをし始める。あの夏の甲子園で、オレンジ色の浜辺で、映像の中で、何度も何度も見返したその動作。八百万先輩の、ピッチングフォーム。
 容赦も情けもなく、思いきり俺に向かって投げつける。ミットをつけていない手で必死に受け止めると手がビリビリと強く痺れ、涙で滲む視界で何とか手元を見ると手が赤らんでいた。血は出ていないが、とにかく痛い!それを見た部員の皆が俺のところに駆け寄って、思い思いに八百万先輩に言葉を投げた。

「おま、お前!甲子園優勝したからって舐めんなよ!? うちの投手だぞ投手!」
「何かあったらどーすんだよ!お前もやってやれ小貫ぃ!」
「大丈夫? 救急箱持ってくる? 先生呼ぶ?」

 みんなの声を少し煩わしそうな顔で聞き流すと、言葉の切れ目を狙って一言こう告げた。

「話をするのは早い方が良いぞ、小貫。お前が思っているよりも時間は短いからな」

 そのまま駐車場の方へと去っていく。監督が俺の手の確認をしようと駆け寄ってくるのを「大丈夫です」と言って止めた。とりあえず先輩を送ることを優先したようで、小走りで駐車場の方へと向かっていく。あの砂浜でのやりとりを知っている俺と八百万先輩にしかわからないアドバイスを、心の中で咀嚼していた。
 少し暗い表情をしていたようで、みんなが心配してくれている。手は確かに痛いけど、問題はない。今は心の方に問題があった。皆に心配されるまま民宿へと戻り、少しだけ上の空のまま夜は過ぎて行った。