浜辺/SideP - 3

 八百万先輩から投げつけられた白球を、壁に向かって投げる。フォームを意識して、速度を意識して、時に手の形を意識して。
 投げながら、ずっと考え事をしていた。俺は火呑先輩とちゃんとバッテリーとしてやれているんだろうか。信頼関係を築けているんだろうか。もっと、もっと強くなりたい。もっと投げれるようになって、もっとみんなの役に立ちたい。そう思って、一心不乱に投げる。考え事もなくなるぐらいに投げることに集中して、早く、大きく投げれるように__、

「はいストップ。投げすぎ」
「ぇ、う、わぁ!?」

 そんな俺と壁の間に割って入ってきた影がいた。俺よりもずっと背が高くて、ずっと体格のいい人。

「あぁごめん、驚かせたね。大丈夫?」

 火呑先輩がそこにはいた。困り眉をしつつ、片手にはさっき俺から取ったボールを一つ、もう片方の手にはペットボトルの水を持っている。俺が何か言葉を発する前に、火呑先輩はボールをポケットに入れて水を俺に渡してきた。

「休憩しよう」
「え、えっと、まだ大丈夫です。投げたい気分で……」
「ダメでーす。投球禁止令でーす」

 俺の言葉を聞く気がないのか、火呑先輩は俺を無理やり縁側に座らせて、ペットボトルの蓋も開けて圧をかけてきた。飲め、ということだと思う。確かに何も飲まずにかれこれ三十分ぐらい投げていた気がする。返す言葉もないのでとりあえずペットボトルに口をつけた。

「集中するのは良いけど、さすがに一時間は投げすぎだよ」
「一時間も投げてました!?」
「変な音がするから音の出所を探して、俺が小貫君の自主練の音だって気づいたのが四十分ぐらい前だから、それ以上投げてるもんだと思ってたけど」
「あー……す、すみません。お騒がせしてばっかりですね、今日」
「いいよいいよ。それよりもちゃんと休んでね」

 火呑先輩は俺の隣にドカッと座ると、俺から奪ったボールを投げて手遊びを始めた。何度も飲んでも喉が渇いた感じがして、そのまま五百ミリのペットボトルの水を一気に飲み切った。それを見た火呑先輩は、ほら言わんこっちゃないという顔をしてボールを俺から遠い方の縁側へと置いた。
 そのまま、少しの静寂が訪れる。蝉の声と木々が擦れる音だけが耳に届く。今日もこんな静寂があったけど、この静寂は焦燥感などもなく居心地は悪くはない。夏までの短い間でも積み上げられた信頼、であってほしいと思う。

「例えば……甲子園で勝ってもさ」
「? はい」
「小貫君がダメになったんじゃ意味がないよ。確かに、俺も部員の皆も勝ちたいとは思ってる。でもそれ以上に仲間には体を大切にしてほしいって思ってる」

 火呑先輩が静寂を破った。俯いていた顔を上げると、珍しく真面目な顔をしている。俺が練習を長いことしていたのを気にしているのかもしれない。ただ、先輩らしくないなと思ってしまった。先輩はあまり個人の問題には口を出してこないタイプだと思っていたからだ。相談を受ければ親身に話を聞いてくれるし、明らかに何か問題があるとわかっているときは止めてくれる。でも、こういう個人の問題……感情の問題には中々踏み込まない印象があった。
 そう思ったところで、田中先輩のことを思い出した。もしかして、いやもしかしなくても、火呑先輩は俺を見て田中先輩のことを思い出したんじゃないだろうか。自分が頑張らなきゃという使命感、そこからくる無茶な個人練習。もし火呑先輩が、その努力の気持ちがわかるから、個人の感情の話だからと、田中先輩の無茶な練習になにも言っていなかったとしたら。先輩はそれを凄い後悔しているんじゃないだろうか。ともすれば俺にこうやって声をかけてくる理由もわかる。それでも、今この部活には俺しか投手がいなくて、俺が投げなければ野球ができない。そう思うと言葉が勝手に零れていた。

「でも今この高校に投手は俺しか居なくて……いくら県で勝てても、また秋の大会で夏と同じことになったら……」
「なったとしても。部活としての勝利よりも君の体の方が大切なんだよ。みんな同じ気持ちだよ」

 何も言い返せない。お互いに田中先輩のことを知っているから、苦労とか、悔しさを見てしまったから。そうならないでほしいと火呑先輩が思う気持ちもわかる。きっと逆の立場だったら俺も声をかけてしまったかもしれないと思うから。だから、黙って俯いてしまう。
 横から少し息を吐く音が聞こえて、背中に衝撃が走る。バシッという音が聞こえて、自分が背中を叩かれたんだと理解した。

「来年の一年投手に期待だな!」

 顔を上げれば先輩の真面目な顔は消えて、いつもの笑顔に戻っていた。来年の一年が入ってきて、実力になるであろう頃、つまり秋ごろ。その頃にはもう、先輩はいない。

『話をするのは早い方が良いぞ、小貫。お前が思っているよりも時間は短いからな』

 八百万先輩の言葉が頭にリフレインする。俺が思っているよりも、時間はずっとずっと短いんだ。だから、早く強くならなきゃいけない。無理もしちゃいけない。あと、話もしなくちゃいけないんだ。

「あの……」
「ん?」
「お話したいことがあるんですけど、今の俺じゃ、うまく言えないので……心の整理とか、うまく言葉ができたら、話をさせてください」
「ん、わかった。小貫君のタイミングで言ってくれたらいいからね。でも、手遅れにはならないように、抱え込みすぎないように。俺以外に相談したっていいからね」
「はい。ありがとうございます」

 ほんの少し先、秋の大会。この話題を掘り返すのは、ほんの少し先。それでも、青い春を生きる高校球児たちにとってはほんの一瞬の先のこと。二人の間を、夏にしては大分涼しい風が吹き抜けていった。


 秋が、近い。

(了)