浜辺/SideP - 1

 俺は今、窮地に立たされている。窮地というにはあまりにもロケーションが漫画のようだが、甲子園に匹敵する状況と言っても過言ではないかもしれない。

「………………」
「……………………」

 目の前には、××高校ピッチャーの八百万先輩がいる。しゃがみ込んで片手に貝殻を持ち、俺をじっと見ている。俺は立ち尽くしてはいるが、目線を逸らすのも失礼な気がして先輩をじっとみている。
 事の発端……らしいことは何もないが、気分転換に散歩をしていたら知らないところに出てしまい、こっちこそが帰り道だ!と突き進んでいたらこれまた知らない砂浜に出てしまい、そこには先客がいた、と言うのがこの瞬間までの流れになる。

「………………」
「……………………」

 俺も八百万先輩も、喋らない。俺はどちらかと言うと緊張で喋れないのだが、しかしこのまま黙ったままでは何も進まない。なにより気まずすぎる。無難な、できれば話が広がりそうな話題……そう思って、でも何も思いつかなかった俺は目についたそれへの疑問を呈した。

「な、何してるんですか……?」
「波の音がする貝殻探し」
「へ、へぇ……そうなんですね……」

 夕暮れの光を反射して、海がオレンジ色にきらきらと煌めく。穏やかな波の音がする。カモメの高い鳴き声が聞こえてきて、八百万先輩の目線はそちらへと吸い寄せられた。話が、切れてしまった。さらなる居心地の悪さに自分もカモメの方を……雲ひとつない空を見た。
 甲子園初戦。大敗を喫し、悔しさに涙する先輩。ホテルへの帰り道も、こんなオレンジ色に染まっていたっけ。
 眩しさに目を細める。甲子園に出れて投球できただけでも十分に嬉しいのに、胸中に蘇るのは悔しさと寂しさばかりだ。

「自分の実力に自信がないまではいい。なぜキャッチャーを信頼しない?」

 いつのまにか立ち上がっていた八百万先輩が俺にそう問いかけてきた。紫紺の、鋭い瞳が俺を射抜く。そういえば中学時代から火呑先輩と八百万先輩は知り合いなんだっけ。いや、にしても少しばかり聞き捨てならない言葉が耳に入ってきた。

「俺が、火呑先輩を信頼していない……?」
「あぁ、やたらと緊張するだろう、お前」

 心の中でポンと手を打つ。なるほど、俺の自信のない投球は緊張からくるものだと察していたらしい。だからと言って……、

「その、なんでそれが、俺が火呑先輩を信頼していないってことになるんですか?」
「捕手を信頼していたら、例え自分に自信がなくとも、緊張していても、ある程度自信を持って投げられるものじゃないのか?」

 信頼している。緊張して時折荒れる球も捕ってくれるし、経験や周りを見る能力からくる察しの良さで、投球指示も適切なものばかりだ。経験不足で実力を出し切れない俺を導いてくれる人だ。

「し、信頼はしてるつもりです。俺なんかをうまく引っ張ってくれる、すごい人だと思ってます」
「ふーん、それって憧れと何が違うんだ?」
「あ、憧れ……?」
「お前のそれは火呑に憧れているだけじゃないのか?」

 言葉に詰まる。確かに俺は火呑先輩のことを尊敬している。三年生の先輩から教えてもらったが、火呑先輩は入学の時から捕手がいなかったから、一年生からスタメンで頑張っていたそうだ。今の俺みたいだと笑われたけど、あんな心臓の縮こまる思いを平然とした顔でやり切っていたのだから、尋常ではないほどに強い人なんだと思う。そんな先輩を尊敬しているし、あんな強い人になりたいと憧れている節もあると思う。それは、信頼ではない……? 俺が一方的に憧れているだけで、信頼関係足り得ていない……?

「……まぁ、お前があいつのことを何と思っていようが私には関係ないが。あいつは多分お前が思っている以上に弱いし、脆いぞ」
「弱いし、脆い……」

 困惑をそのままに声に出し返事をすれば、八百万先輩は貝殻を海に投げ捨てた。あの黒土の上で見た綺麗な投球を思い出す。波紋が海に広がって、波に攫われて消えて行った。そうして俺に向き直った八百万先輩は、先ほどとは少し雰囲気を変えて俺にこう告げた。

「……ところでお前、なんでここに? お前の学校からは大分遠いだろう」
「え?」
「旅行か? だとしたら旅館とかがあるのはだいぶ遠いぞ。帰るなら早い方が良いぞ」

 そうして俺はオレンジ色に染まる空と海を見た。そうだ、早く帰らないとみんなに心配されてしまう。

「あ、旅行じゃなくて合宿なんです。軽く散歩しようと思ったら全然知らない道に出ちゃって……帰ってる最中だったんです」
「どこ?」
「民宿○○ってところなんですけど……」

 目に見える範囲だと少し遠いところに豪華めなホテルが見えるが、俺が泊まっているものは木造りの平屋だからこれではない。恐る恐る泊まっている民宿の名前を出すと、八百万先輩は少しだけ眉根を潜め、えぇ……? と声を漏らした。

「真逆だぞそこ……」
「えぇ!? なんでわかるんですか!?」
「監督に地理叩きこまれたんだよ……どうせあっちこっち彷徨うから帰れるように覚えとけって……私はそこまで派手に迷子はしない……」

 その基準で行くと俺は大層派手な迷子になるだろう。先輩の言うことが本当なら俺は正しい場所に戻ろうとして、真逆の方に向かっていたのだから。となると反対に向かえばいいのか、と一声かけて戻ろうとする。

「じゃあ俺そろそろ戻らないとまずいので、失礼しますね」
「お前いつから散歩してたんだ?」
「え? えぇと、まだ空はオレンジ色じゃなかった記憶はあります」
「…………」

 表情がよくわからなくて怖い八百万先輩の表情が、俺でもわかる程に変わる。眉根を潜めて悩んでいるように見える。数秒の逡巡の後、小さくため息をついて先輩がこちらに歩み寄ってきた。

「え、えぇと……」
「案内する」
「え?」
「このままだと海辺で夜を越す羽目になりそうだからな……」

 そういって歩き出す八百万先輩を見送るわけにもいかず、俺は少し駆けて追いついて、並んで歩いて帰ることになった。