浜辺/SideC - 3
「本当に八百万がお世話になりました……」
「あぁいえいえ、こちらこそうちの小貫君がお世話になりました。ここはお互いさまということで」
白い髪に、紫紺の瞳、合宿で少し焼けた肌。反省の様子など一ミリも見えない態度に少し苦笑しながらも、命ちゃんを出迎えた。
「お帰り」
「ただいま。事情は大体わかったろ」
「まぁ、そうだね。小貫君が迷子になってたのを宿まで送ったんだね。お疲れ様」
「腹が減った。流石にもうレストランは空いてないな……」
お腹をさすりながらそう言う命ちゃんを見て、自分も何も食べていないことを思い出した。食事の時間を返上して命ちゃんを探して、連絡が来て待つ間も特に何も食べずにいたのだから妥当ではあるだろう。
「僕もまだなんだ。購買だったら空いてるだろうから、一緒に行こうか」
「あぁ……あ、財布……いや、電子マネー……携帯……」
「……僕が出すよ」
「悪いな。後で返す」
ポケットを触るだけ触って何も持っていないことを改めて思い出したのか、困った表情になったので助け舟を出す。後で返すと言った命ちゃんは相当お腹が空いているのか、そのまま購買へと迷いなく足を進めた。俺も遅れないように購買へと向かい、彼女の隣を歩く。
監督が昔の話を振ってきたからか、懐かしい気持ちにさせられている。昔からこうやって、命ちゃんが自分の進みたい道を進むのに俺がついていっている。あの日俺を連れ出した日もそうだった。そう思うと、いつだって俺はあの日の延長のような気持ちで生きているのかもしれない。
購買に入り、サンドイッチを物色する命ちゃんの横で俺もまた夕食を探す。時間も時間だからそんなに多くを摂る気にはならないが、今日は練習の後に命ちゃんを探していて動きっぱなしだったからお腹が空いている。どうしたものかと少し頭を捻らせ、そういえば何故野球をしているのか聞いたことがなかったな、とふと思いついた疑問を解消すべく、バランス栄養食に手を伸ばしている命ちゃんに声をかけた。
「命ちゃんはさ」
「あぁ」
「どうして野球を始めたの?」
「あぁ……そういえば言ってなかったか? 好奇心だよ。ほら、やたらと人気だろ」
好奇心。彼女らしいといえば彼女らしい答えだ。その理由で行けばサッカーも選択肢にあっただろうが、一番近くにあるクラブチームはサッカーではなく野球だったはずだ。これなら命ちゃんが野球を選んだのも理解できる。
「あぁ、確かにそうだね。やってて楽しい?」
「楽しいよ。まぁ大学に行ってまではやらないな。疲れるし」
「あはは……スカウトの人が聞いたら卒倒しそうだな」
空腹にはある程度目を瞑ることに決めて、ハムサンドを手に取り、命ちゃんからカロリーメイトを受け取る。お茶のペットボトルを二つ添えて会計を済ませ、レシートを二つに折りたたんでスマホカバーの中に挟み込んだ。気づけばカロリーメイトの封を開けて一口目を食べている命ちゃんを見て、思わず苦笑する。
「ふいはあひあな」
「口の中に食べ物が入ってる時に喋るのはよくないよ。まぁ、そうだね。次もスタメンだろうから、怪我にだけは気をつけて」
「んむ……お前もな」
春のセンバツに向けての秋大会。ここで勝ち抜かなければ、春の甲子園には出られない。実力主義の監督の元で野球をしている俺たちは、一年からずっと甲子園にはスタメンで出場しているため、甲子園に向けての大会はこれで四回目になる。
部屋に戻る道を歩きながら、食べ歩きをする命ちゃんを脇目にお茶を飲む。乾いた喉にお茶が染みわたって、思ったよりも自分が水分を取っていなかったのだと体感した。
「私より上手く投げる奴がいたらスタメンは譲るというか、監督に引きずり下ろされるだろうが……合宿見る感じ無いな。捕手も相変わらずお前以外は指示が致命的に下手くそ」
「俺も適任がいたら変わるんだけどね」
「いないから私たちが出張ってるんだろうな」
俺がスタメンで出ているのは命ちゃんが大人しく投げてくれるから、というのがあるだろうけど、命ちゃんの言うとおり適任がいないのは確かだ。俺が一番命ちゃんに合う指示を出せるし、球を上手く取れる。
夏の甲子園一回戦で当たった〇〇高校の最後の命ちゃんの投球に関しても軽く一悶着あったぐらいだ。この部の捕手とは本当に合わないんだと思う。まぁ命ちゃん本人が『あの場面は内角ストレート以外の指示は受けるつもりなかった』『試合にすら出てない奴が煩いな』と言っていたから俺としては問題がない。
「命ちゃん、ゴミ貰おうか」
「ん」
○○高校……今日会った火呑君がいる高校。命ちゃんに、ホームランを出させてしまったあの高校。俺も命ちゃんも自信をもってあの球を投げると決めて、適切な速度で、適切な位置に球を投げたのにも関わらず。
打たれた瞬間の、命ちゃんの隠す余裕もない動揺の表情。立つのもやっとな状態で絞り出された『大丈夫』の一言。ベンチの階段を下りた瞬間に崩れ落ちた後ろ姿。そのどれも、もう二度とあってはならない。もっと強くならないといけない。もっと真剣に野球に向き合わなきゃいけない。俺を信頼してくれる命ちゃんの、その信頼を裏切りたくない。
「私この階。おやすみ」
「うん。おやすみ、命ちゃん」