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『王として』

 君たちがいれば、それでいい。
 ミラとロマンがいれば。そう思っている時期があった。俺にとっての世界はあの豪華な城で、この平凡なムトン村で、燃え盛る炎だった。その二つを失った今俺の手元にあるのはこの平凡な生活だけで、それを手放すことはとても耐え難いことに思えたのだ。そんな思考をするたびに、自分の王族としての誇りがずきりと、胸への痛みとなってやってくる。まだ終われない。まだ敗北を認める時ではないと。国を統べるものとして相応しくない思考はその当時、まだ成人にも満たない幼さ故の甘さ。それを押さえつけ切り捨てる思考は、幼さを理由に尊厳を捨ててはならないと言う本能だったのだろう。





 ミラは死んだ。俺があの時「逃げろ」と言えなかったから。ミラのことを最後まで守りきれなかったから。痛かっただろう。女の子なのに、あんな傷を受けて息も絶え絶えになって。それでもちゃんと逃げきれていたはずなのに俺が、俺がうまく逃げられなかったから。
 なぜミラが死ななければならなかったのだろうか。そう思うたび沢山の憎悪が胸中を支配する。これは俺が持っていてはならない感情なのに、このドス黒い何かは留まることを知らない。そして、こちらへと駆け寄ってくる幼気な少女を目にして、『嬉しい』などと言う甘えた感情を抱いた自分が何より許せなかった。王族の誇りなどとうに失われていたのだろう。それでも俺は世のため国のために治世をしなければならなかった。この国を安定させなければならなかった。失ったものを取り戻さなければならなかった。

「我が王、少々お休みになられては?」
「…………ロマン、いつの間に」

 トワルではなく王と、俺を呼ぶその人は、ティーカップを二つ持ってきては来客用の椅子へと腰掛けた。執務机に置かないところを見るに、こっちに来て休憩しろと言うことだろうか。ここは執務室兼応接間。ろくな手入れもされないままに占拠され、ボロボロになっていた城の中でも無事なところをそう呼んで使っている。いくら城が国のシンボルとはいえ、この城を大改造するには金も資材も人材も足りなさすぎる。渋々立ち上がり伸びをして、ロマンの対面へと座った。

「何かお考え事ですか? 先日ムトン村を占拠していた盗賊は討伐したと報告が入りましたし、街で貧困に喘ぐ国民たちの行き場としての整備も準備は順調に進んでいます」
「あぁ」
「あと、革命によって燃えて破壊された街についても修復作業は問題なく進んでいるとのことです。この一年、国民はよく耐えてくれましたよ。革命が完遂され、貴方が王になるまでやはり時間は必要でしたから」
「そうだな」

 ロマンの話を聞きながら紅茶を口につける。こうやって無防備に飲食ができるのは王の特権であり、“俺”の特権だ。頭の中でこれからする仕事や作業を想いながら、先ほどまで脳の一部を占めていた思考にふわふわと考えを移す。
 ロマンは、復讐した。アルカディウスさんが何者かに殺害された。国の情勢、そして彼の身分を指摘した貴族たちにより彼の死はあまり大っぴらにはならなかったが、個人的な知り合いだったためにその遺体を検分した。何度もつけられた刺し傷が、見覚えのあるナイフの形状だった。ロマンのナイフだった。不思議そうに傷を診る俺に対し、ロマンは「あまり死体をそんなまじまじと見るものではない」「王だから多少は変な振る舞いは許されるけど、常識だろ」みたいなことを言って暗にその場から立ち去るように言ってきた。

「──── と、それから…………王? シャルル8世?」

 これを指摘したら、ロマンはなんて顔をするだろうか。誤魔化すだろうか。素直に罪を認めるだろうか。逃げ出すだろうか。いろんな可能性が脳裏をよぎって、俺は口を閉ざした。あんなに都合の悪いことから目を背ける貴族に怒りを覚えておきながら結局自分もそうなのだと思うと、なんだかやるせない気持ちになった。それでも友には変え難い。知らないふりをしていれば友を殺さずに済むのなら、俺はいくらでも阿呆になる。やはり持つものと持たざるものの差は大きい。一村人の俺にはこんなことできなかっただろうから。

「なぁ、トワル」
「…………少し、昔のことを考えていた」

 呼ばれていたことにも気づかない程に考え込んでいたらしい。俺の名を呼ぶ声で意識が戻ってきた。カップを置いて、窓から外を見る。雲ひとつない晴天が眩しい。夏の訪れがじわじわと肌を焼くようになってきた。こんな日の農耕はとても体力にくるものだ。立ち上がり扉に寄り、あたりに人の気配がないことを確認して、鍵を閉めて、またロマンの対面に座る。

「ミラとロマンがいればそれでいいと思っている時期があったな、と。ふと」
「……へぇ」
「色んな人を失ってすぐだった。幼さ故だろう。それぐらいに俺の世界は狭かったんだよ」

 素直に告げればロマンは少し意外そうな顔をして、紅茶に口をつけた。毒見はいらない。逆に俺がみんなの分を毒見してやろうか。そう言った時の臣下たちの顔と怒った声を俺は忘れないだろう。毒に強いからと言ってそんな無理をするな。お前の体は一つしかないんだぞ。みたいなことをめちゃくちゃ言われる。ロマンに一番こっぴどく怒られた。俺はしょげた。
 俺が死んでも蘇ることができるのは、今のこの世界ではロマンしか知らない。俺が教えたのがロマンしかいないからだ。教えた時は酷く驚いた顔をしていたから、信じられないなら試そうか、とナイフを手に取ったところでまたこっぴどく怒られた。ギャンギャンに叱られた。

「それ、ミラに言ったら怒ってただろうな」
「ミラは皆のことが好きだったからな。でも喜んでくれてたかもしれない」
「かもな」

 こうやって砕けた口調でロマンと話す時間は心地よい。王であることを少しだけ忘れて、一人の人間として友人と話をすることは楽しい。過去の話をすれば胸がずきりと痛む。あの時城が燃え、家族が死ななければ感じることのなかった痛みだ。俺はあの苦しみや痛みを忘れるつもりはない。それでも、俺はあの暮らしを疎むつもりはない。あのムトン村での暮らしがあったからこそ今の俺がいて、今のフランスがあると確信している。民の暮らしを知りなさい、と言われて育ってきたけれどまさかここまで役に立つとは思わなかった。

「死んでくれるなよ、ロマン」
「死なないよ。それにそのセリフは僕のもんだ。死ぬなよ、トワル」
「当たり前だろ。この国を守るのが俺の仕事だからな……道半ばでは死ねないし、お前を置いて逝くつもりもない」
「熱烈だな」
「国民すべてを置いて逝かないのは物理的に無理だ。だからせめて俺をずっとそばで支えてくれてるやつぐらいは置いていきたくないだろ」

 紅茶を飲み干して鍵を開け、そっと執務机に座る。何事もなかったかのように作業を再開させればロマンはティーカップを片付けてこちらに一礼をした。

「何かありましたらお申し付けください、王よ」
「あぁ。頼りにしている、ロマン」

 扉が閉まる音。後に、万年筆が紙を滑る音だけが空間を満たす。一人の人間としてのトワルにとってロマンはかけがえのない人間だが、王としてのトワルにとって国民は皆かけがえのない存在だ。どんな宝物にも劣らない。どんな財宝でも敵わない。故に彼は本心から、愛する家族へとこう告げるのだ。

 「君たちこくみんがいれば、それでいい」と。

(了)