悪態
「新任の西方先生、やっぱ怖ない?」
「ね。前の先生ってそんな怖くないって聞いた。小湊さんはどう思う?」
「ん〜? 西方さんは怖くないよ〜」
〇〇高校一年〇組、昼休みの片隅。三人の少女が机を寄せ合わせて会話を始めていた。内容は新任の養護教諭、西方稚零のこと。元の顔立ちは綺麗なのだろうが、顔の傷と態度がそれを全て台無しにしていると、時折女子の間で話題になっている。それはこの三人の中でも変わらないようで、しかし小湊さんと呼ばれた少女はそうは思っていないようだった。
「ほんと? だって態度最悪やない? 保険の先生にあるまじき態度よ」
「この間体調が悪いって言った時とか最悪だったね」
「まぁ仮病やったからいいんやけどさ〜。ガチだったらヤバいっしょ……てか小湊さん、ご飯は?」
「お弁当忘れちゃった……」
困ったように小さく笑う小湊を見て、今まで西方の文句を言っていた二人は立ち上がって驚きの声を上げる。小動物のような印象を持っている小湊はこの二人からよく可愛がられていた。自分のお弁当を上げようかだとか、購買に行けば今ならパンの耳ぐらいならあるかもだとか。当の小湊は、そんな高校生らしいやり取りをこれまた微笑みながら眺めていた。
「お小遣い持ってきてる?」
「喉が渇いた時に麦茶を買いなさいって、五百円」
「子供の小遣いやん……」
ポケットから取り出されたがま口財布。その中から顔をのぞかせた金色の大きなコインを見て、二人は少し引いていた。十五歳とは言え仮にも高校生。小遣いが金色に光るコインであることがこの二人には少し信じられなかったのだろう。しかし持っている金額を考えて何を買おうだとか、好き嫌いはあるだとか、そんな計画を立てる方にすぐに変わっていった。その時。
「小湊さん、いますか」
先ほどの話題の中心人物、西方稚零が教室の扉を開けて仏頂面を晒していた。いつも保健室から動かないことですでに有名になっていたあの先生が教室に……しかも小湊さんに……? と、教室の空気が若干どよめく。呼ばれた本人は「はい!」と返事をして椅子から立ち上がった。小湊の姿を視認した西方は小さくため息をつくとカツカツと歩み寄ってくる。先ほどまで悪口を言っていたというのもあってか少し頬を引きつらせている生徒を目にも止めず、手に持っているかわいらしいデザインの袋を小湊へと手渡した。
「お弁当」
「ありがとう、西方さん。お腹が空いてたから」
「俺が遅めに出たからよかったけど、次からは気をつけて。あと学校では西方」
「先生!」
思い出したかのように先生呼びをした姿を見て、先生らしく「よろしい」と一言告げ、軽く手を振って去っていった。唖然とする二人に「さっきは考えてくれてありがとう。もう大丈夫」というものの、西方の普段の態度とのあまりの違いにあまり耳には入っていないようだ。
「小湊さんってたまに西方先生のこと西方さんって呼ぶけど、知り合い……?」
「えぇっと……お父さんみたいな人、かな」
悩んだような声を出し、少し困り眉をして答えたのを見てあんま踏み込まない方がいい奴か……とアイコンタクトを取り、何事もなかったかのように女子会を始めたのだった。
・・・・
・・・
・・
・
少し隠れた位置にある廃ビルの二階。その中でも少し奥まったところにある一室。西方稚零は、自分の耳に入ってきた言葉に困惑交じりに悪態をついた。眉根を潜め、机の上の書類を取りまとめて今にも離席しそうな勢いである。
「養護教諭……?」
「はい」
「俺がなんでこんなところで医者やってるのか知ってるよな?」
「はい」
「持ってないんだよ、免許なんて。言わせないで貰っていいか」
「無くていいですから!」
はぁ? という更なる悪態と共に、さらに細められた淀んだ黄色に射抜かれてもなお、来客は悪態に屈さず食い下がろうとする。しかし次の言葉を発する前に男は足を組み机で指をトントンと叩く。その様子に委縮しつつある来客の縮こまりようも相まって、悪役幹部とその部下のようだ。
「第一なんで養護教諭がいないんだよ。高校は任意設置だろうが公立高校は大抵いるだろうが」
「前職の方が急に体調を崩して入院しておりまして……次の方が全然見つからなくて……」
「仮にも公立高校だろ? 探せよ。というか任意設置なんだから充て職でもいいだろう」
「教職は忙しいんですよ……」
俺だって忙しいよ、と大ため息をつき、露骨に嫌そうな顔をより歪める。ただでさえ端正な顔が傷で怖く見えているのに、こんな顔をしていてはその姿形は見る影もない。もう帰らなければつまみ出すぞと眼圧で訴え、来客はそれに屈する__ところだった。来訪者がやってくるまでは。
「西方さん、ごめんなさい。ティーパックがなくなったから買いに行きたいの」
入口にいる少女へ四つの目が向いた。二つは驚きの目、残った二つは「これだ!」と言わんばかりの希望に満ちた目で。少女に対しては異常に秘密主義の男は、今回も例に漏れず「人が来るからあまり鉢合わせないように気をつけて」とだけ言って何も伝えていなかった。これが今回は裏目に出たのだろう。
「そういえば、学校のことで困ってるって聞きましたよ」
「はぁ……言うようになったなぁ?」
「相応の年齢の時に、相応の年齢の子に囲まれる経験って、学校ぐらいじゃないと無理ですもんねぇ〜」
何も知らぬ少女は空気も読まず、ポットを両手で守るようにして持ちながら頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。男と来客は目を合わせ、数秒。男が折れた。書類を持って大きなため息をついて立ち上がる。
「小湊さん、ティーパックはまた今度通販で買っておくから。今は戸棚の三段目右手前にある緑茶のパックで作っておいて」
「わかった。えーっと、貴方は何か飲むの?」
「いえいえ私はこれから西方さんと大切なお話がございますので、お気になさらず」
「こいつは……いや、いい。ごめんけどお茶淹れたら俺が呼ぶまで部屋に篭っててくれる?」
「うん」
頷き、部屋を出る。少女が退室した瞬間に男は大きな舌打ちをし、自分の用向きが叶ったと理解した来客はウキウキで鞄から書類を出していた。○○高校、新任の養護教諭の先生。西方稚零先生の誕生の瞬間である。
(了)