後半開始

「FW……シュートか……」

自身の抱えるサッカーでの問題をどうするか考えていると、「あの」と控え目に声が掛かる。

「水泳部、エースの鳴海先輩ですよね!」
「あ、うん。君は確か、新聞部の子……だったよね?」
「はい!音無春奈です!知っていてくれたんですね!」
「プールと文化部棟は近いからね。何回か見たことがあったんだよ」

手帳とペンを片手に嬉しそうに笑う音無を凪は微笑ましげに見ていた。

「試合直前で申し訳ないんですが、取材良いですか?一言二言で良いので!」
「そのくらいなら大丈夫だよ。それで質問は何かな?」
「はい!何故、水泳部エース、しかも部長の鳴海先輩がサッカー部の助っ人に入ったのか、教えてもらえますか?」

一つ頷くと凪は指を一本ピンと立てた。

「それは、まぁ、小学校の頃からの友達の風丸と円堂、一年からの友達の染さん、あとなんか分からないけど友達になってた半田からの勧誘受けたから、かなぁ」
「なんか分からないってなんだよ鳴海!!」

半田の鋭いツッコミが入る。凪は困ったように眉を潜めると腕を組み、顎に手を当てた。

「いや、だって事実だし。クラスも委員会も一回も一緒になったこと無いじゃないか」
「まぁ……確かにそうだけどさ」

腑に落ちないと言わんばかりの半田の背中を軽く叩く。僅かに迷惑そうにされたが、溜め息を吐かれただけで終わる。

「ふむふむ、取り敢えずは友人からの誘い、ということですね!分かりました!ありがとうございます!」

さらさらと手帳に書き留めた音無は、それを閉じると頭を下げた。

「これくらいなら平気だよ。でも、取材なら事前に水泳部に来てくれれば良かったのに……」
「あはは……水泳部にいる時の先輩は、何だか少し話し掛けづらくて……」
「そうかな?」

凪としては話し掛けづらいオーラを出している気は一切無かった。厳しくはするものの、それなりに部員からは話し掛けられるため、怖い、という線も無い。
首を傾げていると、審判から後半開始の合図が出た。秋と春奈に手を振り、グラウンドに足を踏み入れる。
直前まではシュートが入らない事等、様々なことにより頭がごちゃごちゃになっていたが、一歩、フィールド内に踏み出した途端にそれらは消え失せる。泳ぐ直前のように、身体は熱く火照っているのに頭だけは冷えきっていて思考を巡らせる。一度目を閉じ、それからゆっくりと開く。視界が拡がった気がした。
一方、前半に姿が消えていた凪に帝国は視線を集中させる。

「アイツは確か前半いなくなっていた……」
「一人逃げた奴か。よく戻ってきたな」

鬼道が煽ると対峙した凪は静かに一瞥し、凪いだ表情で口を開いた。

「逃げるなんてカッコ悪いこと、するわけないだろ。急用が入っただけさ」

そのまま軽く鼻で笑うとポジションについた。
だが、それに鬼道がニヤリと笑い返した。

「その余裕、いつまで続くか見物だな」

甲高いホイッスルが鳴り響く。帝国サイドからのスタートだ。
開始数秒、相手の空気が変わったことに凪は気付いた。

「デスゾーン、開始。奴を引きずり出せ!」

鬼道の言葉に寺門、洞面、佐久間の三人が陣形を取る。

〈デスゾーン〉

三人により蹴り出されたボールは凄まじい勢いで円堂ごとゴールへと叩き込まれた。

「っ!円堂!!」

凪が駆け寄ると、円堂は彼女に転がったボールを押し付け、ゆっくり立ち上がったが。心配そうにチームメイトも駆け寄ってくるが、円堂はいつものように「大丈夫だ!」と笑う。

「鳴海、染岡!二人ともキックオフは頼むぞ!」

二人の肩に円堂はポン、と手を置く。凪は染岡を見上げ、それから円堂へと視線を戻すと頷いた。
そしてセンターラインへとボールを抱えて走り出す。

「なぁ、鳴海」
「何さ、染さん」
「お前勝てると思うか?」

並走していた染岡が問いかける。彼は圧倒的な差に負けるのは仕方ないと思い始めていた。

「最後までやらないと、どうとも言えないよ。水泳だって、諦めたその瞬間に0.01秒を切れなくなるんだから」

それとは真逆に凪には諦めようという気持ちは微塵もなかった。ボールを足下にセットし、少し後ろにいた染岡に振り返る。

「それにさ、どんなスゴいシュートだろうが、ボールを取られなければ問題ないよ!!」
「それがまず無理なんだっての」
「大丈夫!ディフェンスラインギリギリまでは私が頑張るから、シュートは頼む!」

拳を作ると、染岡の肩に軽く当てる。凪の行動に、染岡は溜め息を漏らす。けれど、それは嫌悪感は無かった。
再開のホイッスルが鳴る。

「鳴海!」

染岡から凪へとボールが渡る。それを受け取ると、彼女はかなりのスピードで相手サイドへと向かっていく。

「秘密の特訓の成果!見せずに終われるか!」

凪はブロック回った鬼道をゆるりと交わし前線へとドリブルで切り込む。だがすぐに寺門が対峙した。染岡にパスを出そうと視線をやるが、ブロックされており、ボールは回せない。止まったままいることも出来ない。
すると凪は、右へと重心をを寄せたかと思うと、真逆の方へボールを蹴りだし、半円を描くように寺門のサイドを通り抜ける。それは『メイア・ルア』と呼ばれるテクニックの一種だった。
サッカーにおいてテクニックには素早さ、体幹、足首の柔軟さなどが必要とされる。それらのほとんどを凪はスイマーとして鍛えられた身体に備えていた。
足りなかったのはボールの扱いのみ。しかし、中学に入ってから凪は水泳部としての活動をメインとしていたため、ボールを触ることから遠ざかっていた。そのせいでボールの感覚が分からなくなっていた。が、この数日間、叔父とその同僚により身体に叩き込み思い出させたのだ。
凪の脳裏にこの五日間の地獄のような練習が蘇る。

「せっかくのサッカーだし、『特別特訓』しようじゃないか?」

叔父の言葉に彼女は一も二もなく頷いた。すると、彼はにっこりと笑うと何処かに電話を掛けた。

「あぁ、もしもし。うん、ごめんよ。いやぁ、うちの姪っ子が今度サッカーやるみたいでね」

誰に電話を掛けているのか皆目検討が付かないが、善一郎は暫く話すと電話を切り、凪に向かいにっこりと笑った。

「昔サッカーをしてた同僚がいてね、練習を付けてくれないかって頼んでみたんだ。明日からだから、頑張ろうね」
「あの、叔父さん。れ、練習って……まさか、水泳部やって、サッカー部やってからやるの……?」

僅かに身体を震わせながら凪が善一郎を見上げる。壮年の叔父は柔らかな笑みを浮かべたまま、静かに頷く。

「凪くん、体力あるから大丈夫!その辺りの調整は叔父さん、やっておくからね」
「ひぇ……」

それからの数日間、泣き言を言いたくなるような練習量に、慣れない動き、上手くいかないことへの苛立ち。体力、精神共に死にかけながらも、凪は以前よりも数ランク上の力を手に入れたのだった。
その実力にチームは沸き上がる。
けれど、彼女は一つ重要な事を忘れていた。
それを思い出したのはゴール目前、凪は染岡へのパスを出すためにドリブルを僅かに遅くした瞬間だった。

「キラースライド!」
「え?」

足が分裂したようなスライドが凪を軽々と飛ばす。

「鳴海!」
「凪!?」

近くにいた染岡とマックスが声を上げる。地面に打ち付けられた凪は「平気!」と答えると、服についた土を払い立ち上がった。
凪が忘れていたこと。それはサッカーには『ラフプレー』があること。競泳にはラフプレーが存在しないため、すっかり忘れていたのだ。
ボールを取り返すべく追い掛けるが、辺見がそのコースを遮る。ニヤリと笑った辺見の腕が、狙ったように脇腹に入る。

「ぐっ!?」
「オイ、鳴海!!」

声も無く、その場に彼女は踞る。それに気付いた染岡が声を上げたが、凪は直撃を受けた腹部を押さえながら、ゆらりと立ち上がり、先程よりも引きつった笑みを浮かべた。

「大丈夫!この程度問題ないさ!」

気丈に振る舞うものの、痛みは酷い。間違いなく青痣ができているだろう。
歯を食い縛り、走り出す。
だが、それ以降は遊ばれるように何度もラフプレーを受けることになる。ぼろぼろになりながらも彼女は何度も立ち上がる。腹も腕も肩も背中も、何処もかしこも痛む。それでも、歯を食い縛り立ち上がる。

「っが……!?」

今度は顔面にボールが直撃した。揺れる視界の中、凪はボールを蹴り込んだ本人、佐久間を見上げる。佐久間は鼻で笑うと彼女を見下ろした。

「お前……良くも!」

と、言い掛けたところで鼻からつぅ、と何かが流れる。片手で拭うと、甲が赤く汚れた。
駆け寄った風丸が眉を潜めると、諭すように声を掛けた。

「凪、目金と交代だ」
「っでも!」
「一旦下がって休んだ方がいい。もう立ってるのもキツいんだろ」

体力お化けでいても、痛みへの耐久があるかは別問題だ。異様なほど集中砲火を受けていた彼女の身体には限界が来ていた。
小鼻を押さえながらベンチへと戻れば、秋が慌てて駆け寄る。

「鳴海さん!ここ座って!!あと下向いたままでいて!」
「ごめん、ありがとう木野さん」
「ううん、寧ろごめんなさい……こんなにひどい怪我させてしまって……」
「いや、これは試合だからね。怪我くらい、承知の上さ!」

それより、と凪は試合に目をやる。明らかにラフプレーであるはずなのに、審判も誰も声をあげない異常性が、より際立って見えた。

「何であれでレッドカードが出ないんだ……!!」

次々に部員達がラフプレーにより倒れていく。正しいジャッジを下さない審判、それに抗議もしない顧問にひどく腹が立っていた。
こんなところで一人で回復を待つなんて、と歯を食い縛る。前半に力を出せなかったことや、鼻血で交代という彼女からしてみれば非常に不満の残る現状に悔しさだけが募っていく。
そして、いつの間にかグラウンドに立っているのは目金だけになっていた。円堂も何度も立ち上がったが、力尽きてしまったのだろう。動く気配がない。

「円堂、目金……!!」
「鳴海さん……」

誰かと代わりに入るしかない、と秋に声をかけようとした瞬間、

「も、もう嫌だー!!!」

目金が逃げ出す。あまりのことに口を開けたまま数秒固まったが、すぐに気を取り直し立ち上がる。

「もう大丈夫だから、誰かと代わりに入るよ!」
「まだ鼻血も止まってないのよ!駄目!」
「でも行かないと!!このままじゃ……」

練習した円堂達の何もかもが無駄になってしまう、と言い掛けたその時、円堂が立ち上がった。