忍び寄る
「……話とは何でしょうか」
昼休み、凪は校長室に呼び出されていた。呼び出される理由は何も思い付かず、もしや無意識にやらかしたのではないか、と冷や汗がだらだらと流しながら穏やかな顔の火来校長の前に立つと、校長が口を開いた。
「水泳部の合同練習が中止になりました」
「……へ?」
藪から棒の発言に、思わず彼女の口から言葉がこぼれ落ちる。
合同練習はかなり前から計画されていたものだったのだ。相手は水泳の強豪である「三笠野中」。高ランクの選手が集まっているため、凪も心から楽しみにしていた。だからこそ、それに向けて苦手な事務的作業やら予定の擦り合わせを行ってきていたのだ。そして数日後、漸くできる……という状態はずだったのだ。
「あの、何故……でしょうか?だってあれほど打ち合わせも何もやったのに……!」
拳を握り締め、凪は校長を見る。全身で納得がいかない、と素直に表現している凪を校長は言葉で窘める。凪は不満げに口をへの字に曲げた。
「詳しい理由は分かりませんが、一時間ほど前に三笠野中学の校長先生から連絡があったんですよ」
「分からないって……そんな……」
ろくな理由も説明されずに引き下がれない。凪が噛み付こうと口を開いた瞬間、それを校長が遮った。
「それと話はもうひとつあります」
口をつぐみ、凪は訝しげに校長の顔を見つめる。
「水泳部に『帝国学園』から合同練習の打診が来たました」
「はいぃっ!?」
二度三度と目を瞬かせ、凪は頭を抱えた。
サッカー部の試合に出たせいなのか!?と叫びたい気持ちをぐっと我慢し、彼女は言葉を捻り出す。
「な……なんでそんなことになってるんですかね……」
「それは私にも分かりかねます。けれど鳴海さん、分かっているのではないですか?」
帝国学園が拘っているのはサッカーのハズで、水泳部である自分には関係無い、と思い込みたい。が、短い時間だがしっかり試合に出た挙げ句、相手のキャプテンの売り言葉に買い言葉を返してしまっている事実は変わらない。凪はこの時ばかりは自身のカッコつけたがるクセを恨んだ。
「練習『試合』ではなく合同『練習』ですから、何かされることはないと思いますが。どうしますか?」
むしろされる可能性があってたまるか、と凪は顔を引き吊らせる。サッカーのような対人競技とは違って、決められたレーンを泳ぐ競泳はタイムで競う以外にやりようがない。それに、競泳のタイムで負けたから学校が破壊されたという話も聞いたことがない。
だが、申し込んできたのは、あの帝国学園だ。先日の試合のように何かしでかしてくる可能性は否定できない。
「できるならば受けてほしいのですが、どうです?」
「……一度、部に話を持ち帰ってからでも構いませんか」
「いえ、今すぐにお願いします。こちらも先方に連絡を入れなければなりませんから」
「っ……そんな」
どうするのが部のためになるのか。五分程度、凪は思索する。そして一つの答えを返した。
※※※
「うぁー!!」
「鳴海、うるせェ!!!」
「いだっ……!?」
染岡の容赦ないチョップが凪の頭部に直撃する。チョップを受けた箇所を押さえ、彼女は机に沈む。しかしそれでも唸りは止まらない。
「染岡、部活行こうぜ……って鳴海のヤツどうしたんだ……?」
「知るか!昼に校長室に行ってからからこんな調子だぞ、コイツ」
面倒くさいと言わんばかりの染岡に、部活に共に行こうと誘いに来た半田は苦笑いを漏らす。
「鳴海も今日から水泳部復帰するんだろ?早く行かなくて良いのか?」
「行きたいけど行きたくない……」
凪は変わらず机に沈んだまま半田に言葉を返す。その態度の珍しさに半田と染岡は顔を見合わせた。二人の中では凪は部活大好き人間に分類されるからだ。そんな彼女が、折角水泳部に復帰できるにも関わらず「行きたくない 」と言うのは異常だった。
「染岡!半田!鳴海!一緒に部活行こうぜ!!」
そこに勢いよく現れたのは円堂と風丸、秋だった。やれやれといったように秋は円堂の言葉に訂正を入れる。
「円堂くん、もう鳴海さんはサッカー部じゃないわ」
「あ、そうだった」
悪い悪い!と頭を掻いた円堂に、風丸が溜め息を吐く。その二人を見ると、半田は思い付いたと手を叩き凪を指差した。
「円堂、風丸。なんか鳴海のやつ変なんだけど、何か分かるか?お前ら昔馴染みなんだろ」
「変?」
凪を横から覗きこむと、年下に声を掛けるように風丸は話し掛ける。
「凪、どうかしたのか?」
すると、のっそりと凪は顔を上げた。伏せっていたせいか、下にしていたノートの跡が頬に付いている。その表情はいつもの溌剌としたものとは程遠く、とてつもなく渋い顔をしていた。
それを風丸は苦笑しながら宥める。
その姿を見た染岡と半田は声を揃えた。
「オカンだな」
「オカンだ」
「誰がオカンだ……!」
「私も風丸みたいなオカンを持った覚えはないぞ」
「昔から凪と風丸は仲良いからな!」
円堂の検討違いの言葉に溜め息を吐くと、凪は頬杖をついた。
「合同練習……」
ポツリと凪が呟く。数人が鸚鵡返しをすると、彼女は小さく頷いた。
「合同練習先、なんか、急に『帝国学園』になったって……」
予想していなかった単語にサッカー部は目を丸くし驚きの声を上げた。その声の大きさに凪は思わず耳を塞ぐと、じとりと恨みがましい視線を送った。
「マジかよ!?」
「マジのマジ。大マジ」
すると、ソッと半田が凪の前で手を合わせた。哀れみの籠った眼差しに凪は椅子を蹴り上げ立ち上がる。
「止めろ半田!!無言で手を合わせるな!!」
「お前のことは忘れないぜ、鳴海……」
「やーめーろー!!」
凪は半田の脇腹に突きを繰り出すが、彼はそれをヒョイヒョイと避けると円堂の後ろに隠れる。鼻息荒く地団駄を踏む凪を風丸が再び宥めていると、秋が「でも、」と口を開いた。
「なんで水泳部が帝国学園に……」
この場にいる誰もが思ったことだった。まさかサッカー部のせいなんじゃないかと、数人が気付く。
だが、そこで凪が面倒くさそうに頬を掻いた。
「さっき唸ってる時に思い出したんだけど、去年の大会の時に何か……絡んできたヤツが帝国だった、ような気がするから、そのせい、かな」
「……はァ?」
詳しく話せや、と染岡が凪の顔を握り潰す。彼もまた、サッカー部が原因で水泳部が絡まれたのではないかと考えていたため、凪の気の抜けた言葉に苛立ちを覚えたのだ。
数人は染岡を止めようとしたが、慣れたように凪はそれを断り、潰された顔のまま、去年の大会での事を簡単に話始める。
「長くなるから端折るけど、去年出た全国大会で、ソイツのベストタイム抜いちゃってたみたいなんだよねー」
あははーとユルく凪は笑う。誰もがその場でスベった。早く言えよと半田も凪の肩に掴みかかり揺らしているが、彼女は内心全くそのせいだとは思っていなかった。
去年の大会で帝国の生徒に絡まれたのは事実だったが、間違いなくサッカー部が原因だと彼女は分かっていた。本来ならば顧問から伝えられるべきものをわざわざ呼び出して伝える辺り、自身へのこれ以上サッカー部に関わらないようにという牽制だろう。
だが、それを今言うべきではない。特にようやく人も集まり、纏まりかけてきたサッカー部には。
不安が無いわけではない。だが、それを表に出すことはできないと全てを飲み込んで凪は笑った。