部長の役割

「凪くん……これ」

放課後、水泳部の部室内に集められた部員達は、プリントに書かれた『帝国学園』の名前に顔を潜める。一年生は特に不安そうにひそひそと言葉を交わしあっている。

「皆!見ての通り、合同練習先が急遽変更になった!」

凪はプリントを手に持ち、校長室での経緯をかい摘まんで話す。すると控え目に三木が手を上げた。

「あの……これ、大丈夫ですか?」
「まぁ、皆がそう思うのも仕方無いよね……」

遠くを見ながら凪は力無く笑う。昨日、相手が試合放棄をしたとはいえ途中まであれほどぼろぼろにされていたのだ。不安にならない方が少ないだろう。

「これ、昨日のサッカー部の試合の報復だったりしないよな……」

誰かがそんな言葉を溢す。あっという間に驚きと恐怖が部室内を支配した。帝国学園がサッカーに執着していることが有名だからこそ、余計に誰もが考えてしまうのだ。
そんなざわついた空気の中、部長である凪は一つ手を叩いた。

「サッカー部は関係無いよ。今回のは私が原因だ」
「はぁ!?何でだよ!絶対これ、サッカー部のせいだろうが!」

畠山が凪に詰め寄る。凪は顔を引き吊らせながら、それを両手で押し留めた。

「ほら、去年の全国大会でさ……絡んできた男子の部の河俣……?って調べたら帝国の生徒だったんだよ」
「河俣……?」
「アイツだよ、帰り間際に急に自称ライバル発言みたいなのしてきた男子生徒」

顎に手をやり、記憶を掘り返していると思い出したのだろう。畠山は顔をしかめたまま大声を上げた。

「あぁー!!アイツか!」
「思い出せたか!」
「おう。男子が女子にいちゃもんつけるとかヤベェとは思ったけどよ……」
「そのヤベェヤツが今、帝国学園水泳部の部長です。ということは、だ」
「ということは、鳴海?」
「分かるな、畠山?」

おーいえーす、と畠山は頷いた。そして凪の肩に手を置く

「強く生きろよ、鳴海。いや、水中ゴリラ」
「誰がゴリラだ!」

凪の肘が畠山の脇腹に直撃する。水着の上にジャージを羽織っている今、男子である畠山の上半身をガードしているのは薄めのジャージだけであるため、ほぼダメージが貫通した。オーバーリアクションを取りながらその場に膝を付いた畠山に永瀬と三野が駆け寄る。

「しっかりしろ!!畠山ー!!」
「まだ死ぬには早いぞ!!俺らは女子とのお付き合いすらしてないんだぞ!!」
「三馬鹿ー、お前らの練習増やすぞー」

茶番劇を止めさせようと一種の必殺技、『練習増やすぞ』を凪は躊躇い無く使ったが、寧ろ二人は目に涙を浮かべ彼女を睨み付ける。そしてそれぞれセームを取り出すと、どこぞの昼ドラのように歯で噛み締めた。

「この水棲ゴリラ!!アンタみたいなDV旦那は要らないわ!!別れてちょうだい!!」
「そうよそうよ!」
「へっ!誰が水棲ゴリラだ!どうせなら鯨と言いたまえ!水にゴリラはいないんだからな!」

二人に指を突き付け、凪は高笑いする。
いつの間にか、部室内の不穏な空気は何処かへ行っていた。いつも通りの明るく和やかな雰囲気へと戻り、不安そうだった部員達は三馬鹿と凪の唐突に始まった茶番劇を笑って鑑賞している。
事前に凪からことを相談されていた雪野と嶋田は互いに顔を見合わせ笑った。何かあればすぐにフォローに入る気でいたのだ。特にサッカー部に関わったことで部内から不満が出ることは十分予見されていたため、他にも部員を宥める方法を用意していた。しかし、今、それが必要ない空気になっていた。

「流石、部長だな」

嶋田が染々と呟くと、茶番劇に興じていた凪が振り向き楽しげにニシシと笑った。
そんな彼女に嶋田は「でも、」と言葉を続けた。

「もし、何かあったら相談しろよ?確かに去年、水泳部の奴等には絡まれたけど、今回はサッカー部の奴等も絡んでくるかもしれないんだからさ」

凪は試合を注視するのに必死で気付かなかったが、水泳部は皆、あの試合を見ていた。後半からピッチに入り、そのまま相手のラフプレーにより交代するその瞬間も勿論、見ていたのだ。
部員達が嶋田の言葉に同調するように頷く。
凪はそんな部員達に目を丸くした。ここまで心配されているとは思わなかったのだ。寧ろ自分の勝手で迷惑を掛けているな、という気持ちの方が有ったくらいだ。そんな心配の気持ちを向けられたことに凪は少しだけ照れ臭そうに視線を巡らせてから、いつもの笑みを浮かべた。

「大丈夫、部長として皆に手出しなんかさせるもんか!やってきたら水中に引き摺りこんでやるから!」

「肺活量には自信があるからね!」と付け足す凪に嶋田は苦笑を返す。勿論冗談のつもりで彼女は言ったのだが、雪野は焦ったように声を張り上げた。

「そんなことしたら駄目でしょ!凪くん!」
「ゆ、雪野!冗談だって、ジョーダン!」

慌てたように雪野に訴え掛けるが、それに便乗するように三馬鹿が騒ぎ立てる。あまりの騒ぎように顧問が入ってくるまで然して時間は掛からなかった。