頼れる背中
雷門の編成は女子、男子、男子、女子という変則的な編成である。男女混合リレーの定石は男子二名を先に、女子が後にと編成する。こうすることで男子二名に先に差を付けてもらうのだ。けれど、今回はそれぞれの性格やらを考慮した上での編成を行った。
三木は負けず嫌いで自身よりも速い相手と泳いだ方がスピードが上がる。
三野は元々、リレー専門の選手で誰かの後の方が速く泳げる。それに入れ替わりも上手い。
畠山も三野と同じくリレー専門の選手だ。だが、やや三野と比べるとスピードが劣る。
そして凪だが、これは相手と合わせただけである。申し込まれた際に提示されたのは美濃傘と同じように男女混合リレーだったが、更にそこにアンカーを凪にすること、ということが書かれていたのだ。本来、彼女自身は何処でも問題ない。
帝国側の編成はというと、男子、女子、女子、男子だ。勿論、アンカーは河俣である。
お互いに睨み合う。
「それでは其々の位置に着いてください!」
審判役の生徒に促され、三木が飛び込み台に立つ。
電子的なスタートの合図が鳴り響いた。
二人が飛び込む。型はどちらもクロール。やや帝国の生徒の方が速い。
それぞれを応援する声がプール内に反響する。
先に着いたのは帝国の生徒だった。
数秒の差で三木と三野が入れ替わる。
三野はすぐに追い付くが、拮抗していた。互いに追い付け追い越せと競った後、ほぼ同じタイミングでタッチする。
すぐに畠山が飛び込む。が、その泳ぎには違和感があった。いつもの滑らかさが無く、ぎこちないのだ。三野が詰めた差がどんどん広がっていく。
何があったのか不安だったが、凪は畠山を信じるようにゴーグルを装着し飛び込み台の上へ上がった。
「選手の選考を間違えたようだな」
河俣が見下した笑みを浮かべる。凪はそれを一瞥すると前を見据えた。視線の先には大きく差が空けられてしまったが、諦めずに泳ぐ畠山の姿がある。
「間違えてなんか無い。お前さ、ウチの部員、馬鹿にするなよ」
「ふん、お前以外は雑魚だろうが」
そう言うと河俣と前の生徒が入れ替わる。差がどんどん開いていく。すでに20mは付けられているだろう。
この差を詰めるのは厳しいと誰もが思い込む。帝国水泳部の一部は勝ったも同然だと騒いでいる。
だが、雷門中の部員達はたった一人で飛び込み台の上に立つ凪に言い様の無い安心感を覚えていた。その背が誰よりも力強く頼りになりと知っていたのだ。
かなり遅れて畠山は飛び込み台手前に帰って来た。
凪は腕が水面に上がってきた数秒をその目でしっかりと捉えると飛び込み台を蹴り出る。その様子は畠山がタッチすると同時に飛び込んだように見えた。
息を吐きながら姿勢をキープし数メートルはドルフィンキックで泳ぐと、凪は大きく腕を回し始めた。そのまま足の勢い、腹筋と背筋の動きを合わせ水を切って進む。
吐き出した息が泡となって昇る音と、自身の動きによって起こる水の音。それ以外の音はシャットダウンされ聴こえない。だからこそより明確に視界に入った河俣の姿が際立っていた。
負けられない、と凪は四肢に力を籠める。勿論沈まないようにだが。水の一部になれ、と流れに乗ると一気に加速する。まだ、もっと、そうして手足を、筋肉を動かし続ける。
距離が縮まる二人の部長同士の戦いに、誰もが声援を送る。
そして、凪が気付いた時にはその指先が壁に、タッチ板に触っていた。泳ぎきったのだ。
横のレーンを見れば同じようなポーズをした河俣がいる。
凪はプールサイドに半身を乗り上げると表示板を見上げる。表示板の黒い電子画面に赤い字でタイムが表示されていた。
それを目にすると、凪は思わず水中に沈みこんだ。そして床を蹴り勢いよく水面に浮上した。
「ィよっしゃっ!!!」
タッチの差で勝っていたのは凪達、雷門中水泳部だった。僅か0.03秒という僅差だったのだ。
雷門サイドから大きな歓声が上がる。
一方で信じられないという顔の河俣に、凪は手を差し出した。
「ん」
「何だ、これは」
「見ての通り、握手。終わったらやるでしょ」
「っ……」
「それとウチの部員、バカにしたの謝れよ」
「……すまん」
「私じゃなくて本人に、な」
河俣は凪の手を取ると気難しそうな表情へと変わる。プカプカとプールの波に揺らされるように、その瞳も揺れていた。
「貴様以外は雑魚だと思っていたが、違ったんだな」
「だから、馬鹿にするなっての!皆スゴいんだからな!」
「ああ、よく分かった」
しおらしい河俣に一種の気味の悪さを覚えながら、凪はプールサイドによじ登る。そこに部員達が雪崩れ込んだ。
「鳴海先輩!今の記録!スゴくないですか!」
「やめっ……ちょっ!?重いぞ!!?」
「鳴海ー!!よくやった!」
肩を掴まれたり、頭を撫でられたりと寄って集って水泳部員は凪をもみくちゃにする。本人があまりのことに目を回し始めたところで、畠山が彼女の前にすまなそうに座った。
「悪い、泳いでたら……なんか、調子出なくって」
水泳は死とも隣り合わせの競技だ。ほんの些細なことで人は溺れる。猿も木から落ちるというように、熟練したスイマーだって溺れない保証はないのだ。
だが、畠山はなんとしても泳ぎきりたかった。バトンを繋ぎたかったのだ。リレーを専門としているからこその譲れないプライドがあったのだった。
深い溜め息を吐いた凪に畠山が肩を跳ねさせる。
「畠山」
「おう……」
「お疲れ」
「ん」
「でもさ、勝負よりもお前の命のが大事だから……二度とするなよ」
ぎゅっと堪えるように顔をしかめた凪に、再度畠山は謝罪を口にするのだった。