病院と紙飛行機
「……優香」
豪炎寺は未だに目覚めない妹の名を呼ぶ。無機質な白い部屋のベッドに横たわる小さな身体。いつ目が覚めるかは分からない。
サッカーをしていなければ
自責の念が胸に押し寄せる。けれど、ふと脳裏に浮かぶのは数日前、ゴールを決めたあの瞬間だ。押し込めたはずだったその感情が、鎌首をもたげる。
それならば見なければ良い。だが、自然と足はサッカー部のいる方へと向いてしまう。願ってはいけない。叶えてはいけない。それでも、それでも……。
ぐるぐるととりとめのない考えが溢れて止まない。深く息を吐く。
ふわりと風がカーテンを揺らした。そろそろ閉めなければ、と窓に手をかけた。すると、風に乗りヒラリと白い紙飛行機が飛び込んでくる。拾い上げ窓の外へと顔を出すと、下から数人の騒ぐ声がした。
病衣の子供数人と、見慣れた制服の女子生徒だった。彼らは何かを話し合うと中庭から姿を消した。
豪炎寺は拾った紙飛行機を見る。きっとこれは彼らが遊んでいたものなのだろう。よく見ると、所々に文字が見える。豪炎寺は悪いと思いながら好奇心に負け、紙飛行機を開いた。
「これは……テストか?」
どうやら漢字テストらしい。名前欄には『鳴海凪』と書かれている。
しかし赤字で書かれている点数は酷い。
「……1点」
10問ある内の1問しか正解していない。さらに言えば字が汚いし、落書きまでされている。呆れが込み上げてくるが、その内の一つに書かれたサッカーボールの落書きに豪炎寺は思わず口元を緩めた。
この『鳴海凪』という人物は円堂のようにサッカーが好きなのだろう。
不意に苛立ちが込み上げる。理由は分かっている。
「凪くん!多分この辺りの部屋だよ!」
「うぅ、身内でもないのに入るのはちょっと気が引ける……けど、あれは回収しなければ!まずい!!」
パタパタといくつかの足音が病室の前を通りすぎた。持ち主が探しに来たのだ。
豪炎寺は妹の頭を撫でると腰を上げた。ガラリと戸を開くと、病衣の子供と雷門中の制服の女子生徒が振り向いた。
あ、と口を開いたまま女子生徒が固まる。その女子生徒を豪炎寺は知っていた。
「お前……」
「何で豪炎寺……?」
ゴーグルを首から下げ、両腕に子供を引っ付けていたのは、サッカー部に所属していた女子生徒だった。
「凪くん、どうしたのー?」
腕の子供が不思議そうに女子生徒、凪の腕を引く。すぐに彼女は意識を引き戻すと、にこりと笑った。
「ううん、ちょっと顔見知りがいてビックリしただけ!さ、早いとこ見つけよう!」
足早に去ろうとする凪を豪炎寺は呼び止める。
折り直した紙飛行機を差し出すと、凪はその笑顔を引き吊らせた。
「探してるのはこれだろ」
心なしか顔色もどんどん青くなっている様にも見える。
「……もしかして、さ、中身見た?」
恐る恐る訊ねる凪に豪炎寺は頷きを返す。するとだらだらと冷や汗を流しだす。視線もあちこちをさ迷い落ち着きが無い。
「お、おい……」
大丈夫か、と問い掛けようとすると子供がきゃらきゃらと笑う。
「凪くんおかおのいろ、かわっておもしろーい!」
「面白く、面白くないぞ……!断じて!!」
凪にも人に見せられない点数だという自覚はしっかりあるのだ。これが満点だったならば、いつものように胸を張り堂々と見せていた。が、実際には1点だ。いつもの尊大な態度は取れない。
他所から見れば笑えるほど凪が震えていると、看護師が早歩きで近付いてきた。
「いたいた!凪ちゃん、この子達の面倒見てくれてありがとうね!」
看護師が凪の両腕に引っ付いている子供を手早く剥がす。その手際の良さに驚く間も無く彼らは廊下の向こうへと消えていった。ばいばーい!と元気の良い声だけが廊下に残っている。
若干震えてはいるものの、凪も彼らが消えていった方向へ苦笑いのまま手を振っていた。
しばらく壊れた機械のようにそうしていたが、突然近くの壁に凭れ掛かった。
「その……悪い」
豪炎寺の戸惑い混じりの謝罪にふるり、と頭を振るう。
「まさかあそこまで紙飛行機が飛んでくと予想しなかったこっちにも非があるから……」
疲れきった表情のまま豪炎寺から凪は紙飛行機を受け取る。絶対にヒミツだからな!と念を押され微かに豪炎寺は笑った。
このテストは帝国とのすったもんだの時に行われたものだった。正直、色々有りすぎて勉強に手が回っておらずまさかの"1点"となってしまったのだ。とてもじゃないが叔父に見せられたものではない。どうしたものか、と凪はため息を吐く。
頬を膨らませたまま紙飛行機を弄び始めた凪に豪炎寺は「じゃあな」と言った。すると、ぴたりと動きを止めた二つの瞳が豪炎寺を見つめる。
「そう言えば、病室から出てきたけど誰かの見舞い?」
「ああ」
「そっか」
会話はそこで途切れた。円堂のように問い掛けるわけでもなく、ただそれだけだ。沈黙が流れる。
元より、関わりがある人間同士ではなかった。当然と言えば当然だ。クラスも部活も、帰る方向すら違うのだから。付け加えれば豪炎寺は転校生だ。長い時間を共にしてきたわけでもない。
それに本人同士の気質もあるだろう。
僅かに、気まずさを豪炎寺は覚える。少し悩んだあと、今度は豪炎寺が質問を投げ掛けた。
「……お前は」
「うん?」
「サッカー部の練習に出なくて良いのか?」
帰り道、サッカー部を見ていた中で感じた違和感だった。一人足らない、と。途中で交代してしまったが豪炎寺から見ても凪のドリブルはかなりのものだった。
凪はひとつ瞬き口を開く。
「だってサッカー部止めたし」
「そう、なのか?」
豪炎寺が瞬いた。
彼の中では凪と試合前にした会話が蘇っていた。そこでは間違いなく円堂と同じサッカー好きだと思っていた。負けると分かっていても戦う無謀さと何度も痛め付けられても立ち上がるタフさ、どれもが円堂と同じだと思えてしまった。
その本人はあっけらかんと言った。
「うん。本業は水泳部部長だもの」
嘘偽りの無い顔だった。
「本業があるから副業は期間限定なのさ」と、からからと凪は笑う。笑った拍子に首から下がるスイムゴーグルが音を立て揺れた。
「サッカーは好きだよ。でも私はサッカー部にはいられないんだ。水泳部のみんなが待ってるからね」
浮かべる笑顔には後悔は微塵も無い。ひたすらに穏やかだった。
振り切れずにいる自分とは全く別だと豪炎寺は思った。
「でも」
言葉を途中で切ると、丸い瞳がじとりと豪炎寺を捉える。穏やかさの中に何処か厳しさが含まれる。
「好きな気持ちに嘘はつかないよ。カッコ悪いからね」
豪炎寺は何かを胸に突き付けられたような気がした。見透かされているような、居心地が悪さがある。
「……」
「……」
風が吹き抜けた。すると、
「凪くん!何処だい!」
遠くから呼ぶ声がすると、凪は腕時計を見た。そろそろ叔父の検査が終わる頃合いだ。
「叔父さんが探してるや!それじゃ!」
それまでとは一変、へらりとした笑みを浮かべ凪は小走りで去っていった。
豪炎寺はその背中を見送る。
「カッコ悪い……」
何とも言えない気持ちが彼の胸の中でさざめいていた。
※※※
「ごめんね、病院付き合わせちゃって」
「気にしないでよ!私もあの子達と遊ぶの楽しかったし!」
帰りの車の中、助手席に座った凪の身振り手振りを使った子供達との遊んだことの説明にに叔父の善一郎はくすりと笑った。
凪が病院に入院している中で比較的に元気な子供の面倒を見ていたのは、叔父の検査を待っている際に、顔見知りの医師に声をかけられたからだった。面倒を見ること、世話を焼くことは嫌いでない凪は二つ返事で引き受けた。そうして遊ぶなかで、偶々紙飛行機を作るための折り紙が一枚足らなくなり、テストの解答用紙が偶々あったためそれで折ったのだった。豪炎寺に中身を見られたことや言った言葉をついでに思い出し凪は一瞬表情を曇らせた。
「そう言えば、夕飯どうしようか?今日の当番僕だよね」
運転しながら善一郎が話す。
気持ちを隠しながら、凪は言葉を返した。
「叔父さんの調子悪いし、スーパー寄ってくれれば私作るよ!」
「うーん、それはちょっと悪いよね」
赤信号で車が止まる。善一郎はちらりと凪を見た。いつものように見えるが、少し気落ちしているように見えた。
「……よし、今日は雷雷軒に行こうか」
「え、」
心底驚いた顔で凪はその場で善一郎の横顔を見上げる。いつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべた善一郎がそこにいた。
ジムのインストラクターとして働く叔父がカロリー計算を気にしない食事を選ぶのは稀だった。それに検査で病院に行ったばかりの善一郎が言うことは本当に驚きだったのだ。
珍しいこともあるもんだ、と凪は窓の外へと視線をやった。
商店街近くの駐車場に車を停めると、赤い提灯を目指す。
「こんばんは」
「おう、いらっしゃい」
「響木のおじさん、こんばんは!」
変わらず素っ気ない響木の様子を気に止めること無く、凪と善一郎はカウンター席に座る。
メニュー表を見てすぐに決めた善一郎とは逆に凪は塩ラーメンと醤油ラーメンで悩み始めていた。
「どっちも捨てがたい……」
「早く決めな」
「んんんっ!!醤油ラーメン大盛!あとチャーハンで!」
迷いを振り切りメニューを視界に入らないように置く。それほど厳しい選択だったのだ。
「あいよ」と返事をすると作り始めた響木の音をBGMに凪は水を一気に飲み干した。
「はぁ」
「どうしたんだい?さっきから元気無いよね」
雷雷軒のカウンターに肘をつき口を尖らせる凪に善一郎が問い掛ける。言うべきか、言わないべきか、二択で悩む。が、凪はこのまま言わないでいるのもモヤモヤすると口を開いた。
「えっと、つい色々イラッとして意地悪なことを言っちゃったんだ……その、苦手なやつに」
凪もあそこで別れていたならば特に言わなかっただろう。だがサッカー部を気にする豪炎寺の煮え切らない態度に、顔には出さなかったが相当イラついたのだ。
「はぁ、カッコ悪いな……もう少し大人だと思ったのに……」
カウンターに伏せる凪に、くつくつとあちこちから笑い声が上がる。
「笑わないでくださいよう!鬼瓦のおじさん!響木のおじさん!」
机を叩き抗議すると更に笑い声は大きくなる。ムッと特に笑い声がする方を睨み付けると、そこに座っていた鬼瓦は悪いな、と肩を竦めるだけだ。
「いやぁ、若いっつーのは良いねぇ」
「良くないです!」
全身で否定すると凪の頭に鬼瓦は手を置いた。ぐしゃりと適当に髪を掻き回され、あわあわと戸惑う姿に鬼瓦が落ち着いた声色で語りかけた。
「いいか、その内嫌でも大人になっちまうんだ。今はむしろ子供でいることを楽しまなきゃぁ損だぞ」
「早く、大人になった方がカッコいいじゃないですか……」
「今はそう思うだろうな。でも、大人も楽じゃないんだぞ?それに対してカッコいいもんでもないしな」
ぶすりとむくれる凪は鬼瓦の言葉を考える。
けれど分からない。
手に取るようにその様子が分かり大人達は顔を見合せ笑うのだった。