機械音痴と悩み
凪は、リボンの代わりに首から下げているゴーグルを揺らしながら、隣の教室へと向かう。
「ごめん、風丸。雪野いる?」
隣の教室の出入り口から頭をひょっこり覗かせ、近くにいた風丸に声を掛けた。
「あぁ、篠原ならさっき出てったぞ」
「え!合同練習のことで話したかったんだけど……」
「メールすればいいじゃないか」
あきれた様な風丸に凪は気まずそうに目を泳がせる。じとり、と片方だけの目で見られると、異様に威圧感があった。
「ほ、ほら!ちゃんと自分で行った方が勘違いとか起きないからね!!」
「はぁ、凪、お前まだ携帯弄るの苦手なのか?」
「う"……」
図星だった。どうにもこうにも、あの小さい機械を弄くるのは大の苦手な行為だった。中学生に入ってから、連絡用にと携帯は持たされているものの、一つの返信を打つのに同年代よりも遥かに時間が掛かる。そんなわけで先んじてメールを打っておくのはやりたくないことだったのだ。
渋い顔になった凪に風丸は苦笑を漏らす。
「今度使い方教えてやろうか?どうせメールと電話以外分からないんだろ?」
「それはホントありがたい!よろしく風丸!」
小学生の頃から機械系苦手だもんな、と言われると「カッコ悪いけどね」と頷く。凪のプールの塩素で脱色した赤毛が、ふわりと揺れた。凪は肩に着く程度の長さの髪を、下の方で一つに縛っている。見方によって尻尾のようにも見えるそれが、機嫌によって揺れているように見えてしまい、風丸は小さく笑みを溢した。
「え、何で笑ってるのさ」
「悪い、何でもない」
「いや、何でもなくないだろ!それ!」
「ふふ、本当に何でもないんだって」
まったくワケが分からない、と膨れる凪に軽く謝ると、また少し尻尾の様な髪が揺れた。
「……と、そうだ、風丸は円堂から勧誘されたりしたの?」
「ん、あぁ。『一流のプレイヤーと勝負できるぞ』って言われたんだけどさ、俺陸上部だしな」
「ふーん……成る程。でも悩んでる感じかい?」
その言葉に風丸は付き合いの長さを実感した。にこやかに笑いながら凪が後ろ手を組む。少年のような、少女のような、そんな見た目の凪にはよく似合うポーズだった。
「まぁな。そういう凪はどうなんだ?サッカー好きだろ?」
小学校で男子に混じりサッカーをして遊んでいたのを風丸はよく知っていた。昔から、頭一つ、技術面では抜きん出ていたことも知っていた。だからこそ真っ先に名乗りを上げると思っていた。
「んー、水泳部があるからね。転部はできないよ。部長だから責任とかあるし」
「そうか、確かにそうだよな……ん?」
「そうそう!部長が部活放棄したとなればカッコ悪いことだしさ!」
そう言うと、凪はその場で高々と手を上げた。
「というわけで、こっそりスパイ映画みたいにサポートするつもりなのだよ!」
「……は?」
唐突に変わった雰囲気に引っ掛かったことも忘れ、風丸は口を半開きにしたまま固まった。その様子に気付かないまま凪はビシリ、と決めポーズを取る。
「いやぁ、スパイってカッコいいよね!!」
数日前の夜に放送された映画の内容が風丸の頭に過る。間違いなく、それの影響だろう。
「凪、お前こないだやってたスパイ物の映画見ただろ……」
「イエス!こう、裏で動いて全部の事を成功させる?みたいなのカッコいいよね!」
「……はぁ」
渾身の決め顔だった。それがまた様になっている辺り、何とも言えない。近くを通りすぎた女子が僅かに顔を赤らめたのが風丸の視界の端に映り、思わず引いた。
「と、まぁ、それはおふざけなんだけどね」
あっけらかんと言い放つとカラカラと笑う姿に風丸は脱力した。
「凪、その定期的にふざけるのはどうにかならないのか?」
「いやぁ、じゃないと私じゃないからね!」
そう高らかに笑った後、決め顔から真面目な顔へと切り替わる。またゴーグルが音を立てて揺れた。
「正直な話、そのくらいしか現状できないからね。性別の問題とかもあるし。歯痒いことにね」
雷門にあるのは『男子』サッカー部だ。女子である凪は入れてもマネージャーにしかなれない。それなりにマネージャーでもやれる自信はあるけれど、それよりもプレイヤーとしてグラウンドに立ちたくなるだろうことは簡単に予想できていた。
勿論、水泳部の部長だといこともある。それを投げ出すことは凪のモットーに反する。
だからこそ、できることでの全力を尽くす。
「ま、この事は円堂とか他のサッカー部には内緒でよろしく!!」
しぃっといたずらっ子の様に人差し指を立てた凪に、風丸は小さな息を吐いた。
すると、丁度休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「あ、じゃあクラス帰るや!」
慌てて教室を飛び出して凪は自分の教室へと掛け戻ると、教師はまだ来ていなかった。安堵の息を吐いてから、授業準備を始めると隣から日に焼けた腕が伸びて、何かの切れ端を置いていく。
「……?」
ノートの切れ端を畳んだようにそれを、置いていった隣人、染岡と交互に見比べる。無言で視線をこちらに向けない染岡を不思議がりながら凪は切れ端を広げた。
そこには小さな字で『悪かった』と書かれていた。
くすり、と笑いを溢すと凪はノートの端を同じように切ると「気にすんな!」と書いて二つに畳み、染岡の机に投げた。