解決スイマー

多少の怪我はあれど凪も風丸も染岡も、全員が練習は順調に進んでいると、そう思っていた。しかし、そう一筋縄ではいかない。それが分かったのは放課後の事だった。

「む、無理っスよ……!!」

頭を抱え込み震えているのは壁山だった。
祖父の秘伝書に書かれていた必殺技、『イナズマ落とし』には土台役とシュート役の二人が必要だ。土台役にはチーム随一の体格を誇る壁山が。シュート役には高い跳躍力を持つ豪炎寺が。役割は決定し、高く飛ぶ練習も無事に終わらせたものの、まさかの事実が発覚したのだ。
それは、土台役となる壁山が大の高所恐怖症であるということ。昨日までは着地が下手なだけだと思われていたのが、実は高いところが苦手だと、つい先程分かったのだ。

「高さを克服か……」

腕を組みなんとか克服するための方法を考える。そして一つ、思い付いたものがあった。

※※※

「……それで、水泳部に来たと」
「ごめんなさい、練習中に……」

円堂達が訪れたのはプールだった。何故プールに来たのかというと、どういうわけかプールにある飛び込み競技用の台を使うためだ。
雷門中水泳部は主に競泳をメインとしているが、何故か飛び込み用の飛び込み台が存在している。しかし、大会練習に使える物かと言われれば無理と言える。最低レベルの高さしかないのだから、大会用のトレーニングなどできるわけがない。何故それがあるのか理由は分かっていないが、時折休憩の際などに遊びで使う程度のものだった。
突然の円堂と秋、壁山の来訪に、水着の上にジャージを羽織った凪が戸惑った様子で対応した。申し訳無さげに頭を下げる秋の隣で、円堂が頼むと手を合わせる。凪はそれを一瞥し腕を組むと歯を見せ笑った。

「いいよ。困ったときはお互い様さ!それに丁度休憩するとこだからね」

凪はプールサイドに上がっていた三馬鹿に声を掛ける。

「三馬鹿ー、コースロープ外して」
「えー……面倒くさいんですけどー」

気怠げな三人の返答。三人は少し前までしごかれていたので、体力が尽きていた。一歩動かすのも億劫だ、というようにプールサイドに大の字に寝そべる。
そんな返答は予測済みだったのか、凪は軽く腰に手を当てた。手を口の横に当て、声を響かせる。

「こっちは私がやるから!反対側のよろしく!五秒以内に動けよー!」
「鳴海さん、私にも手伝わせて!」
「ありがとう、木野さん。でも怪我したら危ないから大丈夫だよ」

てきぱきとプールを区切るコースロープを外し出すと、ゾンビのようによろめきながら三馬鹿達も外しだす。それをプールサイドに引き上げると、凪はジャージを脱ぎ捨てプールに飛び込んだ。飛び込みをやるからには万が一危険なものがあっては大変なので、点検をするためだ。ぐるりと一周し異常が無いことを確認すると、プールサイドに上がった。

「よし、これでOK!プール内にも何にも異常無しだし良いよー!」
「分かった!」

元気よく円堂は答えると、「こっちだ!」と壁山の背を押してくる。何故そんなことをしているのだろう、と疑問に思っていると秋が呆れた顔のまま言った。

「どれくらい高いか分かると怖いんじゃないか、って言うことで、目隠ししているの……」
「え"、それの方が怖いんじゃないか!?」
「私もそう思うんだけど……」
「あー、うん。何となく察した……」

元々、タイヤでの当たり稽古をするような円堂だ。水泳部を訊ねて来たのと同様に、おそらく思いつきなのだろう。あはは、と二人で乾いた笑いを溢していると、壁山を飛び込み台の上まで連れてった円堂が隣に並んだ。

「よし!これで大丈夫だ!」

「壁山ー!」と円堂が目隠しを外すように指示を出す。恐る恐る、外すと壁山はその場で固まった。
壁山の重さで飛び込み台の板がたわんでいることに、凪は嫌な予感を覚える。咄嗟に秋だけでもと後ろに下がらせた瞬間。

「あ」

ボチャン、と大きな水飛沫が上がる。
誰かの「たーまやー」と言う声が聞こえた。
ちなみに下がらせたせいか、ギリギリで秋には水は掛からなかった。一方で、もろに水を被った凪と円堂はお互い顔を見合わせる。どちらも何とも言えない顔だった。

「……今予備のタオル持ってくる。風邪引いたらまずいし」
「ははは、ごめん、凪……」

ぷかぷかと水面に浮かぶ壁山はどうやら無傷なようだ。気も失っていない。
嶋田が壁山救出にプールに飛び込んだ。任せても問題ないと思った凪はタオルの予備を取りに部室に向かおうとする。だが、その前に雪野が、小走りでプールサイドに建てられている部室から、予備のタオルを数枚掴持ってきていた。円堂、秋、壁山の三人にそれぞれタオルが配られる。
凪は自前のタオルで顔を拭うと、さて、と腕を組んだ。

「まさか、ここまでダメだったとは……」
「すいませんっス……」
「いいよ。気にするな!苦手なものがあるのは仕方無いんだからさ!」

大きな身体を縮込ませる壁山の背中を叩くと凪はカラカラと笑う。
だが、円堂は再び頭を抱えていた。

「どうするかな……」
「うーん、いっそ滑り台とか、昔遊んだものとかなら大丈夫なんじゃないかなぁ」

飛び込み台は、元の高さと自身の身長がプラスされることで案外高く感じたりするものだ。今更ながら凪は一年生の飛び込み指導の時を思い出す。
代わりの提案をすると、円堂と秋が顔を明るくした。

「確かに、それなら平気そうね!」
「鳴海!ありがとう!」
「おうよ!」

と、返したは良いものの、当の本人はどうなのだろうか。凪はちらりと水泳部員達につつかれている壁山を見る。足が地に着いているからか、顔色は先程よりもずっとマシだ。

「壁山ー!次行くぞ!」
「わ、分かったっス……」

去っていく三人の背を見送り、凪は考え込むのだった。

※※※

部活帰り、凪は夕飯の買い物をしに商店街へと行っていた。買い忘れが無いことを何度も確認する。

「よし、買い忘れ無し!」

ふと鉄塔の方を見る。夕陽に照らされた鉄塔の影を見上げていると頬を風が撫でた。

「アイツら、まだ練習してたりするのかな」

円堂に感化され染岡も風丸もあれほどの練習をしていたのだ。当の本人がしていないとは思えない。だが、口を出すべきではないだろう。凪の出来ることはあくまでバックアップだ。もう、正式な部員ではないのだから。
家に帰ろう、そう思ったところで凪はとある人物を見つけた。
そっとその背に息を殺して近寄ると、ぽんと叩くとビックリしたように飛び上がった。

「壁山お疲れさん!」
「お、お疲れ様っス……」
「壁山も鉄塔広場で練習してたのか?」

壁山が歩いてきた方角は鉄塔広場の方だ。頑張ってるな、と凪が感心半分、心配半分で問い掛けると壁山は身体を縮込ませた。

「い、いえ……」

小さく首を横に振ると、壁山は肩を落とした。

「あの、鳴海先輩……」
「ん?」
「その……どうやったら高いところが怖くなくなるッスかね……?」

非常に難しい質問だった。言うのは簡単だ。ただ頑張れと、それだけで済ませることもできる。けれど、壁山は既に頑張っている。頑張って、頑張って、それでもどうにもならないのだろう。努力している人にこれ以上やれと、お前の努力は足りてないのだとは凪は言えない。誰かの努力を否定する。それは絶対にしてはいけない一線だ。
少し言葉を詰まらせ、考えながら凪は言葉を吐き出す。

「何事も人それぞれさ。私も暗くて狭い場所とか苦手だし」
「意外っス……」

ぱちくりと丸い目を瞬く壁山の背を凪は軽く叩いた。細身とはいえ水泳部として鍛えられていたのでかなりの衝撃だった。

「苦手があるのはカッコ悪いことじゃないよ。人として当然の事なのさ!」
「でも……」
「壁山は精一杯やってるよ。だからあと少し、自分を信じてみたらいいと思う」

凪なりに少しだけ、背中を押せる言葉を選んだつもりではあった。が、真面目腐った顔で、いつまでもいるのは気恥ずかしく、すぐにおちゃらけた振る舞いで笑う。

「以上!カッコいい先輩からでした!じゃ、気を付けろよー!」

手をヒラヒラと振り、凪は壁山と別れ路地へと入っていった。そして一人になったところで足を止め、伸びた自身の影を見つめた。倍近く伸びた影はもうすぐ夜闇に消えるだろう。
凪の浮かべている表情は先程までの明るさが失せ、苦しそうなものだった。

「壁山は偉いな……」

大きく息を吸って吐き出す。考えていたことを全て出してしまうように。それから「よし」と頬を叩き凪は歩きだした。
あくまで、壁山を引っ張りあげるのは円堂だろうと別のことを考え始めた。きっと自分の言葉は大した意味はないのだと。
なので、まさか一回戦後、壁山から凪の助言が有ったと聞いたサッカー部が試合帰りのまま、揃いも揃って部活を終えたばかりの水泳部部室に勝利の報告をしに来るとは、まったく彼女の予想外のことだった。