青天の霹靂

帰りのHR後、凪はプール脇に建つ部室に駆け込むと、手早くジャージに着替えロッカーに隠していた紙袋を持った。そして準備をする部員達に少し行ってくる、と声を掛け走り出す。
帰っていく生徒の間を縫うように駆け抜けた先はサッカー部の部室だった。こそりと耳を側立てれば、話し声がする。
よし、と一つ頷くと凪は扉に手を掛けた。

「よっ!集まってるな!」

勢いよく戸を引けば、中にいたサッカー部の面々は目を丸くし、身体を強張らせていた。だが、来たのが凪だと気付くと深々と息を吐き脱力した。

「なんだ、鳴海か……」
「え、どうした円堂?なんかタイミング悪かった?」

安心したような、呆れたような空気に不安感を覚えた凪は近くにいた染岡の後ろに隠れる。すぐに首根っこを掴まれ、前に引き出されたがそうしているうちに、謎の空気は霧散していた。

「てっきり部室にまで偵察のヤツが来たかと思ったぜ……」

胸を撫で下ろす半田に凪が人差し指を立てた。

「偵察って……染さんがいってたのか?」

無事にFF初戦を勝ち抜いた雷門中には注目が集まっているらしく、いつもの練習場所である河川敷には偵察の生徒で溢れ返っている。そう染岡から苛立ち混じりに愚痴られたので、凪は事情を知っていた。まさか、そこまでやばい偵察だとは思っていなかったので、なんなんだその偵察、とついジト目になった。すぐに頭を振るって意識を元に戻したが。

「そうなんだよ!聞いてくれよ鳴海!」
「まぁ待て、円堂。大方は染さんから聞いてるからな。それより本題があるんだ」
「本題?」

一同の視線が凪が高々と掲げた紙袋に集中する。その紙袋の大きさはそこまででも無いが、揺らされるたび、がさごそと音が鳴っていた。

「じゃーん!ちょっと遅れたけどサッカー部に初戦突破のお祝いです!」

「おぉ!!」と歓声が上がった。真っ先に飛び付いてきた壁山に袋を渡すと一年生はワクワクとした顔で中のものを吟味し始めた。それを凪はニコニコしながら眺める。

「ありがとう、鳴海!」
「良いってことさ!」

凪はバシバシと円堂の背中を叩くと、「それで」と切り出す。

「次の試合に向けてはどうなんだ?」
「……データを採られるから、必殺技の練習はダメだって言われたんだ」

しょんぼりと悄気る円堂。すると豪炎寺がその肩を叩いた。

「事実データを採られるのは困るだろ」
「まぁな。だから夏美に誰にも見つからない秘密の練習場所を用意して欲しいって言ったんだけど……」

飛び出てきた円堂のとんでも発言に凪は思わず苦笑いを漏らす。それに同調するように半田と染岡が頷く。
誰にも見つからない練習場なんて、いっそ何処かのスポーツセンターを貸し切りにしなければ無理だ。けれどそれでは秘密ではない。この二つの要求をクリアするのはどうしたって無理、としか凪には思えない。

「ははは、円堂も大概無茶なこと言うよな……」
「円堂だからな……」
「あぁ」
「なんだよお前ら!」

凪、半田、染岡と揃って生暖かい視線を向けていれば、気付いた円堂は声を上げる。豪炎寺も思わずこのやり取りに小さく吹き出した。彼は同じように吹き出した風丸に視線をやると肩を竦められるだけだった。それに気付いた円堂がぐるりと向く。

「豪炎寺達もなんだよ!」
「いや、何でもない」
「ぶっ……豪炎寺、お前口元歪んでるぞ」

風丸が指摘する。豪炎寺は視線をソッと反らした。一年の騒ぐ声をBGMに二年の間に段々と笑いがこぼれだす。
すると、突然凪がハッとしたように手を打ち話は変わるんだけど、と言った。

「お前らが勝ち進めば何回か試合、見に行けそうなんだ!」

イエーイ、とVサインを見せ凪は笑った。
水泳部も夏の大会に向けて予定が立て込んでいる。練習、大会、練習、大会と言うように日程が厳しい。だが、練習ばかりではオーバーワークになる上、モチベーション維持の問題も出てくる。なので部員と顧問との会議の末に、数日は休みの日を設けることになったのだ。そしてちょうど運良く、休みの日が試合予定日と被っているのでその日だけは応援に行くことができる。
だが、やはりそれ以外の日は厳しい。大会の日程が被っていることも多い。
頬を掻きながらそのことを伝えると、円堂は凪の手を掴んだ。

「ほんっとうにありがとう!凪!」

ブンブンと上下に手を振られる。一瞬、凪は目を丸くしたものの、すぐにニッと歯を見せ笑った。

「絶対に行ける時は行くから、それまでは負けるなよ!私も水泳、頑張るからさ!」
「あぁ!お互いに頑張ろうぜ!」

二人の背を風丸らが代わる代わる叩く。それは頑張れ、頑張るぞ、と軽く叩く以外の音の無い会話だった。
すると、ヴーッと携帯の振動音が鳴る。

「……っと、ごめん。メールだ」

軽くと断りを入れ、ジャージのポケットに入れていた携帯を取り出す。見覚えの無いメールアドレスに、これが迷惑メールか、と凪は思った。風丸がいるので、すぐに対処を聞ける今のうちに中身を見てしまおうとそのメールを開く。

「……」
「どうした?」

急に黙り込んだ凪に風丸が訊ねる。凪はパタリと携帯を閉じるとへらりと笑った。

「いや、なんでもない。ちょっとチェーンメール?が来てビックリしただけ」
「チェーンメール?気になるなら俺に回しても良いけど……」
「大丈夫だよ風丸!こんなの消去してサヨナラバイバイさ!」

彼女は親指をサムズアップすると、それを高々と掲げる。

「じゃ、私は部活戻る!またな!」

はっはっは、と高らかに笑いながら凪は部室を飛び出していった。ぽかんとしたようにその後を見ていたサッカー部員達は、少し間を置き笑い合う。
しかし、一方で凪はそのまままっすぐに水泳部には向かわずに人気の少ない場所へと足を向けていた。物陰に入り込み、携帯を開く。液晶が映しているのはメール画面だ。

「なんで、お前が連絡先知ってるんだ」

苦々しげに凪は呟いた。
そのメールの送り主の部分には、帝国学園水泳部部長『河俣』の名が表示されていた。

「『雷門中サッカー部のことで話がある。部活終了後、合同練習で使用したプールに来い』か……」

本文はその言葉以外は無い。
罠の可能性も十分有り得る。そもそも、教えていないはずのメールアドレスに送られていることからも十分疑わしい。だが。

「……」

凪は携帯を畳むとプールへと歩きだす。それは逃げるためではない。まず、自分の成すことをするためだ。

「さて、罠だったらどうしよう……ま!考えるだけ無駄か!」