警戒心

辺りは半分以上日が落ち、薄暗くなっていた。近くの街灯は電球が切れかけているのか、チラチラと灯りが点滅している。
その不安定な明かりの下で、凪は河俣と対峙していた。

「何の用だよ、こんなメールまで送り付けてきて」

メール画面を開き突き付ける。光る画面を鬱陶しそうに手で払うと、河俣は腕を組んだ。

「何。ちょっとした忠告だ」
「……どういうことだ?」

訝しげに凪は河俣を睨む。水泳部であるとはいえ、河俣は帝国学園の生徒だ。固執してくる理由はさておき、警戒するに越したことはない。苛立ち爪先を何度も地面に叩き付け、凪は河俣の答えを待つ。

「サッカー部に関わるのは止めろ」
「あのさ、なんなんだよ。それ言うの流行ってるのか?」
「まぁ、聞け。お前が理由無く行ったところで引かんだろうことは分かってる。」

この数ヶ月、それぞれ別人から似たようなことを忠告として受けてきた。それぞれ理由は違うが、彼女としてみれば十分聞き飽きた言葉だった。呆れたように凪は脱力し、近くの塀に凭れ掛かった。

「最近、総帥とサッカー部の動きが怪しい」

河俣は手帳を取り出すとパラリと開く。そして一枚の写真を取り出した。

「これを見ろ」

渋々と凪は差し出された写真を受け取った。若干ぶれてはいるが写されているのは見知らぬ学校をバックにした鬼道だった。疑う目の凪に河俣はもう一枚写真を取り出し渡す。一枚目のバックに写っていたと思われる学校単体の鮮明な写真だ。

「ここは次の雷門サッカー部の対戦校だ」
「っ……!?」
「写真は撮れなかったが、総帥の姿もあったらしい。雷門中サッカー部を潰すために動いていると考えられる」
「……なんでそんなことを教える?」
「少なくとも一度、お前は席を置いているんだ。気を付けるに越したことはないだろう」

疑う心は晴れない。だが、この写真は嘘だとは思えない。
それに、凪の頭には以前合同練習の時に全力で競いあった日の事が過る。確かに水泳部の仲間を馬鹿にしたことは間違いなかったが、その泳ぎは本物だった。円堂と同様の理論ではあるが、水泳に本気であるヤツがわざわざそんなことをするとは考えられなかった。
ヒラヒラと二枚の写真を遊ばせながら凪はため息を吐いた。

「分かった、信じる。円堂達と関わるのは止めないけどな」

でも、と凪は言葉を続け鋭い目で河俣を射抜く。

「お前、この情報をどうやって集めた?盗撮だよな?」

ギクリ、と河俣は肩を跳ねさせると明後日の方向を向いた。それを追求するように凪は写真でペシペシとその横顔を叩いた。

「オイコラ、どうやって集めた?」
「フッ……独自の情報網があるのだよ!ハーハッハッハ!」

突然の高笑いに凪は思わずドン引いた。盗撮していることにたいしてもだが、同時にメールアドレスを知られている理由も分かったからだ。何処からの経路かは不明だが、メールアドレスを知られていた理由もそれならば説明がつく。が、安心が一切できない。凪は眉間にシワを寄せサブイボの立った腕を擦った。
すると河俣は高笑いを満足げに止めると、真面目な顔をした。

「だが、これだけは言える。総帥は『雷門中サッカー部』に執着している、と」

これまでは一度叩きのめせばそれで終わっていた。だが、他校に手を回してまで何か事を起こそうとしているのは雷門相手にだけだ。
そう告げると河俣は凪の手から写真を抜き取った。

「……ならさ、なんでお前はそんなヤバいって分かってるのに忠告なんてしに来た?」
「下手にサッカー部に加わられて潰され、そして水泳界から引退、なんてことにしたくないからだな」
「何度も言っているけど、男女合同のレースは無いぞ」

凪は頭を抱えた。競技のルール上、男女は常に分けられていることを理解してるのか、と以前から変わらない主張を続ける河俣が理解できなかったからだ。
しかしそんな雑な扱いに気付いていないのか、河俣は堂々と胸を張り強く叩いた。

「お前は俺よりも速い!そこに男も女も無いだろ!自分より速いヤツを倒し最速になる、それだけだろうが!」

スイマーとして、当然の言葉だった。凪にも、男女だれよりも速く泳ぎたい、そう言う気持ちは当たり前にある。
河俣はただそれだけだったのだ。いささか気持ち悪いと引いてしまうような事をしているだけで、根本的には同じスイマーなのだ。ようやくそれに気付いた凪は少しだけ河俣を見直した。

「……そっか」
「何か言ったか?」
「いや、何でもない」
「そうか?なら聞け!お前が水泳界から居なくなることに加え、帝国学園が何か不祥事を起こして、俺自身が大会に出れなくなるわけにはいかん!もし防げることがあれば全力で阻止してやる!」

サッカー部の奴等からは止められるだろう。だが、少なくともこの河俣という水泳馬鹿の言葉は信じても良いのだろう。

「なら、何かあればまた連絡してくれ。私も円堂達が何かされるなんて嫌だからな」
「分かった、また何かあればこちらから連絡する」

凪は腰に手を当てると、ニッと笑った。同じように河俣も笑う。
それ以外は言葉を交わさずに二人は別れた。それぞれ真逆の方向へと歩いていく。

「『総帥は雷門中サッカー部に執着している』か……」

サッカー界に疎い凪にはいまいち分からないことだった。だが調べようにもネットに精通しているわけでもなく、独自の情報網があるわけでもない。携帯を操作するのもやっと。パソコンは一応家に有ることはあるのだが、やはり苦手だった。そうなると意味は無いかもしれないが、何か知ってそうな人に地道に聞いていくしかない。

「うーん、取り敢えずは叔父さんの同僚に聞いてみようかな」

以前、サッカーの指導をしてくれた叔父の同僚に、帝国と試合をしたと告げた反応を思い出し呟いた。昔はサッカーをしていたというその同僚は何かしら知っている可能性がある。
凪が顔を上げた先には物々しい帝国学園の校舎がそびえ立っている。

「どんな理由があるかは知らないけど、アイツらにこれ以上何かさせるものか……!」

それを睨み付け、言葉を吐き出す。
凪はサッカー部員達が好きだった。自身の水泳部員と同じくらいに、彼等が好きだった。特に彼女には、円堂と風丸、染岡とサッカー部の中心となっている人達に、返しきれないほどの恩があるのだ。恐らく、誰もが覚えてすらいない小さなことだろうが、それでも、大きな、大きな恩があるのだ。
無意識に拳に力が入る。よし、と気合いを入れ直すために頬を軽く叩いた。

「あ」

突然、後ろから声が上がる。反射的に凪は振り向いた。そして。

「あ"……!?」

顔をしかめ、低い声を出した。
凪の視線の先にいたのは、鬼道以外の帝国学園サッカー部の面々だった。特に嫌っている佐久間もいるせいか、どんどん彼女の目付きは悪くなっていく。

「なーんか、見覚えあるようなヤツだなーって思ったら雷門の生徒じゃん」

ヘッドフォンを付けた鳴神は頭の後ろで手を組むと、プクリとガムを膨らませた。他の部員も物珍しそうに凪を見ている。

「あの試合の時の弱小校のヤツか」
「なんだァ?女装、か……?」
「いや、正装だが」

やや失礼な咲山の発言にすぐさま否定の言葉を返す。凪自身の性自認は、一応生物学上のものと一緒である。どっちだろうと大した問題じゃないだろ、と思っている節はあるが。

「えぇ!?女子だったのかよ!?」

鳴神が叫ぶ。それに数人が驚いたように目を見開いた。五条のみ、読めない顔で笑っているため分からないが、凪は堂々とした様子で腕を組んだ。

「イケメンすぎて分からないのは仕方無い」
「は……?何がだよ?」
「私が」
「はぁ!?」

佐久間が凪を睨み付ける。凪もいつものユルさの消えた目で睨み付ける。

「佐久間落ち着けって……」

源田が慌てたように佐久間の肩を掴むが、即座に振り払われる。

「止めとけ、源田。好きにさせとけよ」
「しかし、辺見……」

何とか止めようとする源田に、辺見がストップを掛ける。一触即発の空気を醸し出す二人に近付かない方がいいと無言で訴えた。

「何だ、偵察にでも来たのか?」
「いや、別に。ただ水泳部のことで話してただけだ」
「どうだかな?」

ハッと佐久間が鼻で笑う。

「大方、あの弱小チームのために情報でも録りに来たんだろ」
「は?何言ってるんだお前?言ってんじゃん、水泳部のことで話してたって。円堂達は関係無いだろ?」

すぐにでも片方が掴みかかりそうな空気があるが、それでも殴り合いにならないのは二人とも大会があることは理解しているからだろう。しかしそれでもギリギリの所で耐えていることには変わらない。どちらかがキレればすぐに言葉だけでは済まない殴り合いに発展するだろう。
ハラハラとする源田を押さえ、前に進み出たのは咲山だった。

「お前らよォ、サッカーでのことはサッカーで決着を付ければ良いじゃねぇか」

まぁ、殴り合いでも良いけど、お互いに困るだろ?と言われれば、二人とも拳を握り締めたまま小さく頷く。

「いいよ、そっちのお得意のサッカーで勝負してやるよ。売られたケンカは買う主義だ」
「フン、水泳じゃないから負けた、なんて言うことにならなきゃいいけどな」
「それはこっちのセリフだ!」

咲山は万丈からボールを受け取ると二人に離れるように指示を出す。同じ程度離れた所で、咲山がボールを地面に下ろす。

「ルールは簡単。五分後、ボールを持っていた方の勝ちでどうだ」
「OK。それでいいよ」
「ああ、構わない」

すぐにでも走り出せるよう、二人は構える。咲山が手をゆっくり上げた。振り下ろされた瞬間が勝負の合図だろう。辺りに緊張が走る。フワリとした風が凪の髪を揺らす。

「待て!」

待てと声を上げたのは源田だった。水を注されたことに佐久間も凪も苛立ちを込め、そちらを向く。

「……何だよ」
「流石にスカートは履き替えてきた方が良いぞ」

男子のような容姿だとは言え、女子であることに変わりはない。源田は親切心でスカートが捲れることを忠告したつもりだった。しかし、忠告された側の凪は不思議そうに首を傾げている。

「別に下に履いてるから問題無い」

捲れようがスパッツがあるから問題無い。それが凪の考えだった。更に言ってしまえば、下着程度、見られても何も問題無いだろとも思っているため、風丸や源田の忠告が本当に心底不思議だったのだ。

「いいから、な?」

子どもに言い聞かせるように源田は繰り返す。
凪はこの時、不思議と源田に風丸の姿を見た。髪や顔も違うため何処が似ているか、と言われればハッキリとは言えないが、それでも似ていると感じた。

「分かった」

佐久間に対しては常に噛み付くような態度だが、何故か風丸に似ているような気がする源田の言葉には素直に頷いた。
源田は意外と素直に聞いてくれて良かった、と荷物を持って物陰に駆けていく凪を見送っていたが、他の部員達からオカンじゃね?と思われているとは露とも知らなかったのだった。