勝負一本

「それじゃ、やろうか」

上は制服のままだが、下をジャージに履き替えた凪が腰に手を当て挑発的に笑う。少し胸を反らしたせいで首から下げたゴーグルが揺れる。それがまた、彼女の強気さを強調するようだった。
そんな挑発的な態度が気に入ったのか、咲山はやや満足そうに肩を小さく揺さぶる。そして仕切り直しだ、と再び腕をゆっくり上げた。

「始め!」

咲山の腕が振り下ろされる。その合図と同時に二人は走り出す。
先にボールを奪取したのは佐久間だった。

「はっ……遅いな!」
「それはどうだか!」

すぐさまその後ろに着いた凪がボールを奪う。右へ左へとフェイントをし、佐久間をかわすが、そこはサッカーの実力の差か再びボールは彼の元へと転がる。けれどそれに即座に反応した凪は高い身体能力を、生かして果敢に取りに戻る。
目まぐるしくボールが動かされ、見ていた帝国の面々は驚いていた。

「そう言えば、アイツ一応鬼道さん抜いてたよな……」
「確かにな。でもあれまぐれだろ。もしくは鬼道さんが手を抜いたかどっちかだろうが」

五条が手元の時計を見つつ、残り一分ですね、と呟く。
それを聞いた咲山が大声でボールを取り合う二人へ伝達する。それを聞いた二人はますます激しくぶつかり合った。
ボールを取った凪が右に重心を僅かにずらす。佐久間はフェイントだと思い左へと踏み込み掛けるが、経験則からそれがブラフであると気付き足を伸ばす。

「3」

けれど凪の中では気付かれるのは予め織り込み済みだった。けれど僅かにずれた状態でなら、水泳で鍛えられた瞬発力で押し切ることもできるという計算までしていた。

「2」

二人の足がボールを挟んでぶつかり合う。

「1」

途端、二人の足に押し潰されたボールは空高く打ち上がった。
追ってジャンプしようと足に力を籠める。その瞬間。

「終了!」

ぴったり5分。二人は肩で息をしながら声の方を見る。少し離れたところに落ちたボールが物音を立てた。
勝負の内容では、どちらかボールを持っていた方が勝ちということだが、両者ともにその足元にはボールは無い。だが、サッカーのルールとして考えれば佐久間の勝ちである。どちらをとるのか、判断は審判をしていた咲山に委ねられる。

「これは……どっちの勝ちになるんだ?」

咲山も悩ましげに呟く。そこまで拮抗するとは思わなかったのだ。

「直前まではコイツが持っていたが、佐久間に取らたとも言える……けど……」

微妙な空気が漂う中、呼吸を整えた凪が苦々しげに言った。

「私の負け、だろ」

きっぱりと自らの敗けを認めた。よっこらせ、としゃがむと転がっていたボールを拾い土を払うと咲山に押し付ける。あまりにもあっけらかんとした態度に誰もが「は」と口を半開きにした。不機嫌そうに眉を寄せると、凪は唇を尖らせる。

「なんだよ」

当然、彼女は負けたくなんかは無い。が、実力として負けていたのは事実だ。それを認めないほどひねくれてはいないのだった。元々、水泳という世界、タッチの差で勝敗が決まる世界に身を置いていたことも理由にはあるだろう。何より、今回はラフプレー無しの勝負だったことが大きかった。
すると咲山は可笑しそうに笑うと凪の背をバシバシと叩く。

「良いぜ!やっぱアンタのその感じ気に入った!」
「は?」

咲山の突然の態度に戸惑う凪。すると、佐久間が息も絶え絶えに口を開いた。

「なら……何してたのか吐いて……もらおうか」
「いや、吐けとか言われても最初に言った通りだからな。というか、お前息切れしすぎだぞ」

少しだけだが、凪は未だに息苦しそうにしている佐久間に同情の眼差しを向ける。喧嘩を売られたことは確かだが、相手をそこまで気遣わないほどの嫌悪では無くなっていたのだ。

「お前、何でそんなに回復早いんだ?」

万丈が引き気味に訊ねると彼女は「ああ」と人差し指を立てた。

「まぁ、水泳部だから肺活量?」
「へぇー、水泳部か。成る程……って、え?」

成神は思わず凪を二度見する。少し土埃で汚れた裾を払う姿は正にサッカー部にしか見えない。何よりも試合に出ていたはずだ。その視線に気付いたのか凪は一つ頷くと言った。

「あれは色々あって一時的なもの。本業は天才スイマーにして雷門中水泳部部長さ」

技術面で劣りはするが、身体能力の高さや恐らく、天性のサッカースキルがあるように彼らには見えた。
何より、それは対峙していた佐久間が感じていた。彼らのリーダーである鬼道までは至らずとも鍛えればかなり高いところまで至れるだろう。悔しいことに、才能は選べるものではない。
何をそんなに驚いているのだろう、と凪は思いつつもバックを肩に掛けると帰ろうと歩き出す。完全に陽が落ちきり、流石に稲妻町へと帰らないと叔父が心配するからだった。
じゃあな、と軽く声だけかけ、手をふらりと振る。
すると、クンとバックが引っ掛かる感覚を覚えた。何事かと腰を捻ると、成神が面白そうに彼女のバックを掴んでいた。

「なぁ!さっき佐久間さんを抜いた時の動きってどうやったんだ!?」
「おい、鳴神っ!」

佐久間が若干落ち着いたのか、声を荒げ成神の行動を咎める。
だが、凪は成神には特にこれと言った恨みはない。それに見るからに一年生という風貌に凪はそれくらいは良いかと足を止める。

「えっと………どれ指してるのか分かんないんだが」
「ほら、佐久間さんとの距離が中々開けなかった時にしてたやつ!」
「あ、あれか。あれは……」

差し出されたボールを受け取ると器用にボールを動かす。動きを再現するように足のアウトサイドや足の裏を使いボールが転がされる。じっと見ている成神の隣には、同じく一年生の洞面が並んでいた。

「……っと、まぁこんな感じ。これでいいか?」

これだろう、と目星をつけた動きを見せ終わるとボールを成神に返した。それで本当に終わらせるつもりだったのだ。が。

「なぁ!メアド交換しようぜ!」
「っは!?」
「おい!鳴神っ!?」

携帯電話を取り出すと、成神はニッと笑った。
慌てる佐久間同様、凪もかなり慌てていた。恨みはないとは言え、先程気を付けろと言われた帝国学園サッカー部の部員だ。軽率なことは出来ない。

「わ、私がお前らのデータを円堂達に言うかもしれないぞ!?」

止めさせるために咄嗟に出てきた言葉はそれだった。情報が重要なサッカーではそれなりに通用するはずだとテンパる中で、強く出れるものを選んだ「つもり」だった。しかし。

「だって、そのくらいであんな弱小校に負けねぇし」
「……は」
「ってことで!良いだろ?」
「いやいやいや!!ダメだろ!!止めなくて良いのか!!そこのお面つけてるお前!」
「だって成神、言い出したら聞かないし」

円堂達が貶されたことは勿論腹が立つことだ。しかし同時に、気にせず相手と連絡を交わそうとするこの一年生がある意味心配に思ってしまう。凪はどうにかしろよ、とやや渋い顔で佐久間に視線を送った。が。

「もう好きにしろ!」

吐き捨てるように言った佐久間の後ろで、心配そうにしている源田と目があった。やはりそこでも凪は風丸の姿を見た気がして、目頭を押さえた。
そうしている内に、いつの間にか携帯が勝手に取られていたらしく成神が弄っていた。どちらかと言えばフリーダムの凪でも扱いに悩んだ。

「っと、終わり!へへっ!今度、オレとも勝負してくれよ!」

渡された携帯をバックに突っ込むと凪は勢いよくダッシュした。一応、「じゃ!」と短い別れの挨拶はする辺り、どうにも抜けている。全速力で走り抜け、最寄り駅まで着くとそのまま電車に飛び乗った。そうして空いていた席に座ると、やや震える手で携帯のアドレス一覧を開く。そこに記載された『成神健也』の文字に凪は頭を抱えた。

「これ、何て言おう……」

まず思い浮かべたのは染岡だった。何気無い朝の会話でメアドを交換したと伝える。と。

「あ、殴られる……」

一発殴られ呆れられる未来が見えた。
次に風丸を思い浮かべる。

「説教される……」

椅子の上で正座し説教を受ける未来が見えた。
次に半田を思い浮かべる。

「悩まれる……」

『え、俺にどうしろってんだよ……』と戸惑う半田が想像できた。
最後に円堂を思い浮かべる。

「……心配、されるな。でも、黙ってるのも気が引けるし……」

人懐っこそうな顔の額にシワを寄せ、心底心配する姿が見えた。
今の選択肢だと間違いなく、自身が波乱の種になるだろう。かと言って、言わないこともまたいずれ問題になる。ともすれば、バレた時のためにある程度柔軟性がありそうでかつ、何かあれば緩衝材になってくれそうな人物に打ち上げるしかないだろう。
特に親しい面子は厳しそうなのでそれ以外の人になる。

「マネージャー……かなぁ」

だが、女の子に問題を背負わせるのは凪の心情的には嫌だった。女子には常にレディファーストであるべし、と言うのが彼女的にはカッコいいと思っていることだからだ。
だが、そうなると適任者がいない。どうしたものか、と頭を悩ませていると先日の染岡との会話が頭をよぎった。

「土門、確かサッカー部だったよな……?」

しかもマネージャーだったような……。
マネージャーだというのは凪の勘違いなのだが、そう思い出してからの凪の行動は早かった。携帯を開くとチマチマと円堂へとメールを打った。時間もちょうど良かったのか、すぐに送られてきた返信には土門のメールアドレスが書かれている。バックから凪はノートとペンを取り出すとそれを書き留め、新しくメール画面を開いた。書き留めたそのメールアドレスを一文字ずつ丁寧に打ち込むと、凪は一息着いた。
当然彼女の携帯にはコピー機能は付いている。しかし、機械操作に弱いため、それを使えるほどではなかったのだ。
土門宛に送るメールの文面も慎重に言葉を選びつつ、できた文面を何度か確認し、凪は送信ボタンを押した。ピロリン、と音を立て送信完了と画面に表示される。

「これでよし……と」

あとは返信を待つだけである。
車窓から見える一番星を見上げ、凪は明日へと意識を向けるのだった。

※※※

「うおっ……誰だ!?」

突如届いた謎のメールに土門は心臓をどきどきとさせながら開いた。
件名には何も書かれていない。本文の部分には『そうだんがあるんだけどいいか byイケメン水泳部部長』と書かれている。そんなふざけた自称を使う人物は一人しか思い浮かばない。

「……なんだ、鳴海かよ」

驚かせやがって、と土門は脱力した。
転校してきて以来、凪とは廊下や階段などで会えば話をする程度の仲にはなっている。基本的に敵意や悪意を向けられない限りは明るく穏やかな態度なのか、土門は陽気な部分しか見たことがない。パーソナルスペースがかなり狭いこともあるのだろう。いわゆる、友人程度にはなっていると土門は思う。
だが、その反面息苦しさを感じた。
凪を含め、サッカー部に関わる人は皆善人なのだ。どうしようもなく。
だからこそ、それを裏切っていることに後ろめたさを感じる。
メール画面を閉じ、通話記録を土門は開く。そこに残されているのは帝国学園のキャプテン、鬼道との通話記録だ。

「……」

土門は帝国からの所謂スパイだ。鬼道、ひいては総帥からの命令を実行するだけ。その中で鳴海凪という人物を調べろという指示があり、そして近付き友人となった。
ちょろいもんだ、と馬鹿にしたことが無かったわけではない。それでも情報ではなく一人の人間だと知ってしまった、触れてしまった。そして感じたそれらを無視できる程、土門は割り切れるわけではなかった。
暫くすると自動的に携帯の画面が暗くなる。それを見届け、土門は携帯を閉じた。