鬼でもゴリラでもない

「というわけでして、この部長、明日から数日間、サッカー練習のために早めに水泳部抜けます」

部活の始めにそう言えば、一部から歓声が上がった。何故歓声が上がるのかと顔を向ければ同じ二年の男子、通称三馬鹿が肩を組ながら喜んでいるのが見えた。
凪は水泳帽を脱ぐとその内の一人の顔面目掛けて投げ付ける。寸前でその飛来物を避けた男子、畠山が抗議の声を上げる。

「何すんだよ鳴海!!」
「えー、練習軽くなると喜んでいるのがいますが!練習メニューは雪野と副部長の嶋ちゃんに渡しとくし、見張ってもらうから!」
「え!?軽くならないの練習!!?」
「今年は全員新記録出すって目標なんだから手は抜かないよ!ってことで!」

三馬鹿から「鬼」や「ゴリラ」との罵りが聴こえるが、凪は完全それを無視した。そして手元のファイルから複数枚紙を取り出すとマネージャーである雪野に渡す。

「それじゃあ記録とか諸々お願いするねー!」
「うん。でも凪くん、無理しないでね」

マネージャーとして短期とはいえ突然二つの部活を兼部することが心配なのだろう。不安そうな顔で紙を受けとりバインダーに挟んだ雪野に、凪は笑い掛ける。

「その辺りは分かってるさ。さ、さっさとやるぞー!嶋ちゃん男子の方ヨロシク!」

仕切った反対側にいる副部長の嶋田に声を掛ければ「任せておけ」と頼もしい返答が返ってくる。
現水泳部は二年と一年しか在籍していない。一つ上の代は丁度一人もいなかったため、三年が卒業すると自然と凪達二年が率いることになった。しかし、だからと言って弱いというわけではない。
部長である凪を筆頭に全国に通用するスイマーが集まっていた。
そのせいか全員が仲間であり、ライバル、といったそんな空気を持つ水泳部だった。
勿論練習は厳しい。そのことに不満を漏らす者もいたが、けして練習をサボる部員はいなかった。
凪がビート版を手に取りアップを始めようと、その側に後輩の三木が寄ってくる。

「凪先輩、サッカー部入るとかってわけじゃないですよね」

雪野とは別種の不安を抱えた様子の三木に彼女はカラカラと笑い返した。

「サッカーは好きだけど、水泳で水の中のいる方が好きだからね!今回は一時的なものだから、辞めないよ」
「ならよかった!だって凪先輩にまだまだ追い付けてないから、辞めちゃったらどうしようって……」
「辞めないって!それこそ学校粉砕されてプール壊されて、ってなったら怒りのあまり、休部して相手殴りにはいくかもしれないけどさ!」

あり得ない仮定にあはは、と笑い飛ばすと周りからも笑い声が聞こえてくる。

「鳴海の怪力だったら相手が粉砕されそうだよな!」
「それな!むしろ蹴りのが凄そうだしよ!何せ全国一位のバッタの選手だし!」

三馬鹿がゲラゲラと笑うのに対して控え目に雪野が笑う。釣られたのか嶋田や他の一年生も笑っていた。

「ほほう、ならば久しぶりタイムでも競うか?永瀬、三野、畠山?途中で手を抜いたら練習倍にするから!あと、ご褒美でバッタ200追加な!」
「……それ死ぬぞ、鳴海」
「問題無いぞ嶋ちゃん!いつも死ぬギリギリのメニューだから!」

にやり、と笑うと辺りがシンと静まり返る。
再び凪に「鬼」や「ゴリラ」の言葉が小さめの声で投げられるのだった。