夕暮れと影法師

同輩を扱き終え、疲労感があるものの自身が満たされている感覚を味わいながら、凪はプールの鍵を閉めた。

「鍵返してくるついでに合同練習について話してくるから、みんな先に帰ってて!あ、でも途中までは固まって帰るように!」

不審者の情報出てるから!と付け足すと、嶋田が「お前はどうするんだ?」と訊ねる。凪は携帯をぷらりと見せると笑った。

「身内がご飯食べに行こうって迎えに来てくれるんだよ。だから平気!ってことで嶋ちゃん頼んだ」
「そうか。じゃあお前ら帰るぞ!」

部員達が背を向け、帰っていくのを見届けてから凪は校舎へと小走りで向かう。玄関の階段を駆け登り、人の少なくなった廊下走り抜け、職員室の前で足を止める。僅かに乱れた息を整えるためを小さく息を吸うと、ゆっくりと口を開いた。

「失礼します。水泳部の報告と鍵の返却に来ました」

ガラリ、とドアを開き目当ての顧問の元へと一直線に向かう。丁度悩んでいるらしい顧問の真後ろに立つと、その肩に手を置いた。

「せーんせー」
「うおっ!?鳴海か!驚かせるなよ!」
「声掛けましたって!気付かなかったの先生じゃないですか!」

ジトリと顧問へ恨めしげな目を向ければ、困ったように彼は頬を掻いた。

「いやぁ、合同練習する学校の水泳部がな、男女混合リレーでの勝負を練習をやる条件だと言っていてな……それをどうするか悩んでいたんだよ」
「え?でも何で正式種目でもないのを条件に……?」

水泳、競泳において男女混合リレーが正式種目として行われることは非常に稀だ。そのため、勝負だとしても、なぜ正式種目でもないものが持ちかけられるのか、凪にも理解できない。顧問と二人して頭を悩ませる。しかし、答えは出なかった。

「取り敢えず、日誌と鍵貰うぞ。短い期間とはいえ、兼部するんだし早いとこ鳴海も帰って身体を休めろよ」
「はーい!」

練習先の意図に思考の半分を割きながら職員室から出る頃には、外は半分以上太陽が沈んでいた。凪は辿々しい手付きで携帯を弄ると鳴海善一郎と書かれた番号を押す。数度、コール音が響くと、それがプツリと切れ、もしもし、という声が聞こえてくる。

「もしもし、叔父さん?今部活とか終わったよ」
『うん、そっか。じゃあこれから迎えにいくから、凪くん校門前で待っててね』
「うん、分かった。じゃあ切るね」

短い言葉を交わすと凪は電話を切った。荷物を肩に掛ける、下駄箱へと歩き出す。
と、携帯がぶるりと振動した。
着信ではなくメールの通知のようだ。

「風丸……?」

先程同様に辿々しい手付きでメールを開ける。

『明日は鉄塔広場で練習するから、水泳部のあと来れたら来いよ』

簡素に纏められた言葉にその場で了解と呟くと、返信を打つべくゆっくりと文字を打つ。一文字ずつ口に出しながら打つ姿は不馴れなことがよく分かる仕草だった。「了解」の二文字を打つのを漸く、といった様子で終わらせると凪は疲れた様子で携帯を閉じる。
その時だった。

「鳴海さん、ちょっとよろしいかしら?」

振り向けば長い髪を靡かせる理事長の娘であり生徒会長、雷門夏美の姿があった。クラスも違うため、接点がない彼女に呼び止められる理由が分からず凪は目を白黒させる。

「えっと……雷門さん、何か御用、です?」
「ええ。鳴海さん、貴方、サッカー部の助っ人を引き受けたらしいわね」
「なんでそのことを雷門さんが知ってるのか分かんないけど……うん、一試合だけ、という約束でやるよ」

厳しい夏美の言葉に僅かにたじろぎながら答える。だが、更に問い詰めるように言葉が重ねられる。

「自分の立場が分かっているのかしら?」
「立場……とは?」

首を傾げると、夏美は頭を抱え深々と溜め息を吐いた。

「雷門中水泳部の顔なのよ、貴方は。それなのにサッカーで足を怪我でもしたら大問題になるの。分かっていて?」

夏美の指摘したことに偽りは無い。事実、凪は雷門中水泳部の顔だ。去年、まだ一年生だった時に残した輝かしい成績に憧れて入ってきた後輩もいる。だからその事はしっかりと理解していることだった。
黙りこむ凪を一瞥すると夏美はくるりと背を向けた。

「分かっているならサッカー部から手を引きなさい」

厳しいけれど現実的な言葉だった。
サッカーは時には足を負傷することもある。酷ければ二度と運動はできなくなってしまう。凪がスイマーである限り、足への怪我は避けるべきことだ。
けれど、そう割りきれるほど大人でもない。彼女の中にあったのは、友達の手助けをしたい、ただそれだけだった。