いやなんか、ベッドにしては硬いな。
浮上する意識の中そう思った。柔らか低反発マットレスを敷いてあるので、私のベッドはフワフワのハズなのに、これではまるで畳の上で寝てるようなだ。枕の感触もいつもと違う気がする。スベスベの生地にやや硬めの綿が詰まった感触。なんというか、炬燵で寝落ちした時に座布団を枕にした時に似ている。
まだ目蓋は開かなくても、頭はしっかり回りだす。
そもそも昨日の夜はベッドに入っただろうか?いや全くもって記憶が無い。覚えているのは徹夜三日目であった事と、眠気が限界だが寝てはいけないと耐えつつ勉強机に齧りつき、タイムスリップや空間転移に関する書籍やレポート、怪しげなサイト記事を読み漁っていたことだ。
前回も難無く(恐らく)帰ったが、次も大丈夫という保証はない。もしわざと来るならば、お説教して諭すことも視野に入れなければならないし、帰れないなんてなった時、どういうアプローチができるのか選択肢が素早く出るようにしておきたかった。それにバイトの予定が暫く空いていたのもある。
のろのろと上半身を起こすと、首と肩がバキバキと大きな音を立てた。これは一度、ストレッチをした方が良いのかもしれない、そう思いながら薄目を開ける。
「あ、起きました?おはようございます」
真っ先に視界に入ったのは柔らかな笑みを浮かべる少年。
パチパチと目を瞬かせるが消えたりしない。くるりと辺りを見渡せば、何故か私は仏間にいた。
なるほど。と言うことは、この声は見ちゃいけない類の幻覚かもしれない。知らんぷりが一番。
私は静かに目を閉じて横になる。
「え!?ちょ……ね、寝ないでくださいー!!!」
いややっぱ何かいるな?仏間にいるから先祖か?先祖なのか?そうなら成仏してくれ。あとでミル◯ーの線香あげとくから。
雑に念じても少年の声は消えない。びっくりするほどユートピアの出番か、と思いながらそろりと目を開ける。
少年がこちらに手を伸ばしていた。
「っ!?」
指先、掌、腕と順に視界が捉えると、反射的にその手をはたき落とし飛び退く。
6畳間の室内では逃げる場所なんてろくに無い。それでも背中を壁に付け、少年から視線を逸らさず見つめる。
「……どちら様で」
寝起きの声はいつもより低くかった。
少年は、目を丸くしながら自身の指先に触れる。何が起きたのか分からないという顔だ。
その表情にちくりと胸が痛むが、静かに相手の返答を待ちつつ様子を窺う。
少年は以前来たは組の子と同様に、忍者らしい姿だった。ただ身に纏うその色は森や影に馴染みそうな深緑。そしてその気配はは組よりも遥かに希薄だ。寝ていたとはいえ、幽霊と勘違いするほどに。
見た感じの年齢からしても、あの子たちより忍として優れているのは違いない。
「そう、ですよね」
少年は少し俯いて言った。
私はそれを黙って聞く。
一度目から考えていたことがある。
二度目、彼らが来てその考えはある程度の不安の形を取り始めた。
もしもの話だ。
過去から、もしも子どもよりも狡猾な存在が来てしまったら、という妄想の余地の話。二度あるから三度あるなんて分からない、と片隅に追いやった話でもある。
そうなった時、私はキチンと対処できるのか、と。
先程見えた手は肉刺だらけだった。恐らく何かしらの道具に慣れていると見ていいだろう。
それに、先日のは組の着物の形から大凡付けた推定の時代は室町時代。彼が見た通り歳であれば、大人として扱われていてもおかしくない。
敵か味方か。学園関係者か、そうだと偽る何者か。
手元に武器はない。そもそも、戦いの心得なんてもの1ミリも持っていない。
未来に、或いはこの近隣の人達に害を成す相手だとしたら、私はどうするのか。
無策無謀ここに極まれども、適宜どうにかするしかないだろう。
少年がゆっくりと顔を上げる。
「『初めまして、天女さん』」
浮かんでいたのは、先程と変わらない穏やかな笑みだった。
「僕は、」
彼はゆっくり立ち上がる。一歩踏み出し、足元にあった座布団を踏んで、そして。
「え」
「あ」
顔面から転けた。
「わーーーーーッ!!!!?!!!!!!!?!」
思わず私は叫んだ。
転けた拍子に元凶の座布団が舞い上がり、仏壇にぶつかる。ぶつかった衝撃で香炉が飛び、灰を撒き散らしながら白い軌跡を描き宙を舞う。そして畳に伏せった少年の頭の上に逆さになって乗った。
まさに最悪のピタゴラスイッチ。警戒うんぬんよりもこの光景に開いた口が塞がらない。
「ふ、不運だ……」
頭から真っ白になった少年は情けなく呟いた。不幸中の幸いではあるが、昨夜の線香の火はしっかり消えていたのか熱さを訴える声が聞こえないのは良かった。
「どうした伊作!?って、あ」
叫びを聞きつけ走って来た見知らぬ少年その2が、スパンと障子を勢い良く飛び込んでくる。が、勢いが強すぎるあまり障子が外れ、転けた少年の上に倒れる。がん(障子が開く音)、どん(障子が限界まで移動する音)、ばん(障子が外れる音)とテンポよく。
あぶない、と叫ぶ間もなくズボッ、と障子紙を突き破って木枠から頭を覗かせる真っ白頭の灰被り少年が出来上がった。朝からとんでもねぇシンデレラを爆誕させるな。
「「「……」」」
沈黙だけが拡がる。
どうしようもないこの空気。清々しいハズの真夏の空気は何処へやら。
窓ガラスから差し込む早朝の朝日が、三徹目の眼球に突き刺さった。私は静かに目元を押さえる。
チーン……。
仏壇座布団アタックの余波で今更ながらりん棒が転がり、この状況に最適解の効果音をリアルに流した。
※※※
「その……すみません……お風呂まで用意してもらって」
「いや、いつまでも灰被ってるのはよくない……ですからね。うん」
居間に入ってきたシンデレラが申し訳なさげに言う。
流石に私の良心的にも部屋の掃除的にもニュータイプシンデレラで過ごしてもらおうなんて、微塵も思えなかったのでとりあえずお風呂に入ってもらった。着替えとして貸し出した祖父の作務衣も少し寸足らずだったが無事着れたようだ。
動かしていた手を止め、シンデレラの分の麦茶を湯呑に注いでちゃぶ台に置けば、彼はおずおずとその前に座った。
「あの、天女さん、それは?」
シンデレラの視線がちゃぶ台中央のお皿に注がれる。
「え、見ての通り君たち分含めての朝ご飯……ですね」
お皿には積み上がる塩むすびの山。今は少し手を止めているが、せっせと一人で用意した苦労の結晶だ。
運良く多めに炊飯器を予約していたお蔭で、これだけは、なんとか出せる程度用意できたのだから、それ以外に無いのは許してほしい。徹夜していたせいでろくに冷蔵庫にものが入っていなかったんだ。
「僕たちの分もあるんですか……?」
「悪いことするわけでもないのに、腹ペコの人を放り出したりはしないよ……ですよ」
一つのお椀にご飯を入れて軽く塩を振り、更にその上に逆さにしてもう一つお椀を重ねる。そしてリズミカルに何度か振れば手を汚さずに塩むすびの完成だ。いつもなら素手でやるのだけれど、手の怪我が残っているのでこの方法で作っている。
「ええと、お先にしてていいんです……よ?」
どうぞ、と促してもシンデレラは手を伸ばさない。
もしかすると、毒を入れたと疑われているのかもしれない。毒物なんかこの家に無いんだけどと考えたところで、物置には除草剤とか、キッチンにも漂白剤とか危険物は多いなと思い直す。そもそも簡単な化学知識だけで、数種類毒物に近しいものは作れる自信しかない。
しかし、そんなサスペンスを起こすのはもっての外だ。カッとなってやたとかいうタイプの最近の若い人じゃないんだぞ私は。
「あの……一応言っときますけど、毒とか入ってませんからね?そんなのやったら食べ物への冒涜だし、身内にボコボコにされるんで」
「え、いやそんなことは疑ってないですよ!ただ、なんていうか、その……ううん、難しいな」
シンデレラは頬を掻いて乾いた笑いを零すと、湯呑に手を添えた。ひんやりとした感触が風呂から上がったばかりの彼には気持ちいいのか、指先で何度かなぞっている。
僅かな沈黙のあと、言葉を選びながら彼は言った。
「『覚えていない』のに、覚えがあるようなことをするものですから。違和感というか不思議と言うか……」
少年2の反応と、シンデレラの反応から大凡推察していたが、やはりそのパターンか。
お椀をシェイクしていた手を止め、俵型に丸まったおにぎりを皿の上にコロリと出す。
さて、なんて言ったものかと殻になったお椀を見つめる。
今の言い方だと、は組ど同様容姿を見て同じだと判断しただけ、とは思えない。何かしら別の要因もある気がするのだ。寝ている姿を見て?そんなの100人いたら何人か被るだろう。友人みたく腰から下を天井に向けていたり、芸術的でエキセントリックな寝相をしている方でもないし。
すると直りましたよ、と丁度良く少年2が仏間から戻ってきた。彼はシンデレラが突き破った障子の張替えを申し出てくれたため、今まで修理していた。正直それくらい私でも難無くできるのだが、綺麗に直角90度頭を下げられてしまっては強気に言えなかった。
お礼を言うと、少年2は眉を顰め視線を彷徨わせた。
「あの……その敬語辞めてもらえますか?どうにもむず痒くて」
「あ、僕もそう思ってました」
「んええ……そう言われましても……」
じっと此方を見つめる二つの視線が突き刺さる。
少し歳上らしく威厳を出そうと敬語キャラを装ってみたが微妙だったらしい。
「ううん……わかったよ」
仕方ないと軽く肩を竦め息を吐くと、二人は表情を緩めた。そっちの方がらしいですよ、と。
私はそれを見て、「らしいってなんだそれ」と言いたい気持ちを抑え込み少年2の分の麦茶も湯呑に注いでちゃぶ台に置く。彼がその前に腰を下ろすのを見計らってから私は言った。
「さて、揃ったところでお互いの情報のすり合わせをしようか。朝ご飯食べながらさ。あとこっちも敬語じゃなくていいよ」
「その前に一つ、いいかですか」
少年2が手を上げる。
「アンタは、俺達の名を覚えているますか?」
私は力強く頷いた。
「知らない。当てずっぽうでいいなら、そっちの不運な君がシンデレラでそっちの君は少年2……いや、フェアリーゴッドマザーか」
「伊作、やはり天女さんだ。こんな意味不明なことを言うのは。この世に天女さんくらいだろ」
「何その不名誉すぎる判定」
『伊作』と呼ばれたシンデレラがまぁまぁと宥める。彼は眉尻を下げるとこちらを向いて口を開いた。
「えーと、じゃあ改めまして、忍術学園六年は組の善法寺伊作です。保健委員会の委員長も務めてます」
「同じく六年は組、食満留三郎です。用具委員会委員長を務めてます」
「ケマ……?」
「覚えてるんですか?」
「覚えてるというか……しんべヱくんと喜三太くんが言ってた名前の気がする」
そう、確か『ケマ先輩』と一緒に色々やっていると用具委員会劇場で歌っていたはずだ。詳細までは覚えてないが。
一方、善法寺くんの名前は残念ながら聞き覚えがない。乱太郎くんから委員会の話は聞いた際、薬草摘みだとか、褌包帯だとか、そういった内容は言っていた記憶がある。誰がどうとは言っていなかった、ような。
そのことを伝えるとケマくんは恥ずかしそうに笑い、善法寺くんはがっくりと肩を落とした。
「こんなところでも、不運がこんなに発動するなんて……」
「あ、あはははは……」
聞けば彼はとんでもなく不運なのだという。不運すぎて不運大魔王と呼ばれているとか。強そうだなそれと思ったのは秘密だ。
しかし、『ケマ』とは聞いてもイマイチどう書くか分からない。それに善法寺くんの字も、お寺のあれでいいのだろうか?
確認のため訊ねると、二人は湯呑に付いた結露水で机に書いた。懐かしいな、なんて言いながら。
けれどやっぱり『食満』『善法寺』なんて名前は、覚えにないので私はありがとう、と曖昧に笑った。
取り敢えずこれでお互いのことは(一応)分かったし、ここからは真面目なお話の時間だ。
話を戻して二人に問い直す。
食満くんと善法寺くんは一つ頷くと簡素に説明してくれた。
深夜の任務帰り、とある祠に榊をお供えしたところ我が家の仏間に来てしまい、更にそこに三徹目の寝惚けた私が乱入してきた、と。
なんというか、ただただ不審者乱入で申し訳ないしか言えないが、口元をモゾモゾしながら気にしないでくださいと言われてしまった。
以前来た、は組の良い子たちの話とは一部条件が異なっているのが気掛かりだが、分かっている範囲の情報は渡すべきだろう。そうでないと、二人も不安だろうし。
「こちらとして分かっているのは、以前来た乱太郎くんたちは同じ仏間に現れたこと。それと夕方頃……かな?こちらに来て、夜明けくらいには姿が消えていること。そのくらいだね」
「……こちらでも夕方には組の連中が祠前で姿を消し、明朝の明け頃、同じ場所に戻ってきています」
「そっか……ちゃんと帰れたんだ。良かった」
2回乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんの三人が来たとは言え、その後はまったく分からなかった。なので、それが分かって肩の力が抜けた。
すると食満くんと善法寺くんはふ、と笑った。
「は組の良い子たちなら、今日も元気ですよ。アイツらが元気じゃない時の方が珍しいですから」
「勝手に天女さんのところに行ったから、土井先生や山田先生に絞られてますけどね」
「はは……まぁ、元気なのが一番だからね」
しかし、“土井先生”さんは確かストレス性胃炎持ちと乱太郎くんたちは言っていたけれど、大丈夫なんだろうか。怒ると胃に来るとかなんとか。いや、きっとそう言いつつそこまで酷くはないだろう。多分。今そこは気にすることじゃないだろうし、と頭の片隅からぽいっと放り投げた。
「ま、それなら君たちも帰れると思う」
コップから伝った水滴が指先を濡らす。その指先で2度机を叩いた。
二度あることは三度ある。そういう諺もあるくらいだから、帰れないことはないだろう。現状証拠としてこの二人とあの子たちが重なる部分はそう多くない。同じなのは別の時代にいること、そして『私』を知っていること。まだこれらから解を導き出すには、前回同様情報が足りていない。
恐らくキーとなるのは祠。踊りと歌と榊から考えられるのは神社における奉納の類いだろうか。そこまでは予想ができても、じゃあ何故それが祖父母宅、ひいては『私』に繋がるのだろうか。その繋がりがまだ分からない。
そして関係するかもしれない『私』の記憶についても。
もう一度、机を指先で叩く。カチリと爪の当たる音がした。
「……少なくともそれまでは私がここでの責任者としてどうにかできるよう善処するよ。こちらを信頼できるかは、君たちに任せ」
「信頼しますよ」
被せ気味に善法寺くんが言う。
「貴方がそういう人だって、僕たちは知っていますから」
凪いだ目が静かに信頼を伝える。彼の短い言葉の中に折り重なった日々を垣間見た。一夜ではなく、繰り返しの中で幾重にも積み上がった日常でもあった。それは余程大切なんだろう。綺麗に壊さないよう持っているものなんだろう。
……けれど、それは全て『私』の知らないモノだ。
「……私が、君たちの知っている『私』でなかったとしても?」
だからこそ、これだけは言わなければいけない。この子たちはきっと聡い。短いやりとりのなかでそれは実感した。だからそれだけでこちらの意図は読み取れるはずだ。
すると食満くんは大口を開けて笑った。釣られて善法寺くんも笑い出す。何が一体可笑しいのか、私一人だけが分かっていない。
「ひぃ……いや、覚えてなくてもアンタの本質は変わってなさそうだったんで」
バンバン畳を叩きながら食満くんは言った。
今何か確信を得るようなものが彼らにはあったんだろうか?
怪訝な顔でお茶に口を付けると、少し落ち着いたらしい二人も湯呑に口を付けた。その顔は随分晴れ晴れしている。
「なんだかんだ言って、こっちを気遣ってくれる。ホワホワしてて、突然馬鹿な考えするクセに変なところで真面目過ぎる。そういう人だって、一年生の頃から見てれば分かりますから」
食満くんは続けて言った。
「それと、あれを見たら疑うも何もないので」
「待って?なんか今違う意味で言わなかった?ねぇ、何見たの?オイコラ、こっち見なさい。怒らないから。ねぇ?」
ぶふ、と吹き出し二人はこちらから視線を反らした。肩も小刻みに揺れている。途中までいい話だった気がするのに、なんか最後だけおかしくないか?
すみませんと謝られても釈然としないどころか、ちょっと腹が立つ。仕方ない、だってここ数日殆ど寝てないのだから。いつもより鷹揚じゃなくて当の然。
すると突然鳴り響く必殺なお仕事するあのBGM。
こんな朝っぱらから電話だなんて珍しい。
ポケットからスマホを取り出すと、食満くんも善法寺くんも後ろにキュウリを置かれた時の猫みたいに跳ね上がった。
今度は私が笑う番だった。申し訳ないが、かなり面白い。くつくつ笑いながら口元に人差し指を立てて見せれば、二人は訝しげに頷いた。
「あ、もしもし」
画面をタップして耳に当てる。聞こえてきたのは良く知った人の声だ。
「うん……うん?うん、うん……まじか。お大事にって伝えて。うん、分かった……うん?ちょっと考えさせて。具体的に言うと10分くらい。英語で言ったら10minutes。え、なんで英語か……?雰囲気かな。あ、スワヒリ語の方が良かった?どうでもいい……そっかぁ。あー、今ちょっと遠縁の子が来てて……うん、うん。じゃ、あとでまた」
視界の端で動くやんのかステップの猫みたいな食満くんが面白すぎる。
通話を切ってから話しても大丈夫、と伝えてもまだやんのか食満くん状態だ。めちゃくちゃ面白い。
「天女さん、今のは……?」
「電話っていう通信器具。ううんと、相手も同じものがあるならば、すぐに……ポルトガル?南蛮?とかとも殆どズレなく話せるよ」
彼らのいた時代的に一番遠いであろう場所を例に出す。確か南蛮貿易はポルトガルだった記憶がある。この時代の北海道、蝦夷地はどんな扱いだったかよく分からないし、沖縄もまだ琉球王国で交易状況がどうとまでは分からない。
勢いで選んだ例だったが、二人には通じたらしい。ぽかんと口を開けたまま、私の手元のスマホを見つめていてる。
「その……小さな光る板で?海の向こうと話せるんですか?」
食満くんが指を指す。その目は幼い子どもの様に輝いている。
「触ってみる?」
差し出せば恐る恐る手を伸ばし、それからハッと引っ込めた。やはりそれはネコチャンみたいだった。
「だ、大丈夫です!」
「ちょっと触るぐらいなら爆発しないのに」
「爆発するんですかッ!?」
内部電池に強い衝撃を与えれば爆発はする。そういうものだ。縦に首を振ると、二人は何故か慌てだす。こっちに渡してください!と言っているがそんな危険物じゃない。一応、床に叩きつけたりしなければ大丈夫と伝えれば疑うような目でスマホを見た。
軽口で爆発とか言わない方が良かったかもしれない。もうしまっとこうスマホ、とお尻のポケットにしまうと二人はギョッとした。
「そんなところにしまったらお尻が爆発しますよ!?」
「そうです!今すぐ出して!」
「しないよ!?」
このままでは埒が開かなくなってしまう。焦った私はパンと一つ手を叩いた。
「この板はそうそう爆発しません!私のお尻も!!してたまるか!さっきのちょっとしたジョークです!それで、えぇと……話は変わるけども早急に君たちに選んでほしいことができまして」
食満くんと善法寺くんは顔を見合わせると、何か空気音を交わすと座った。恐らくモールス信号の亜種だ。そう感じたのは小学生の頃、誰だってやっただろう内緒の会話が記憶にあるから。そういうのは皆通る道だろう。
何を話していたかは聞かず、私は話を進める。
「これからバイトに急遽に行かなきゃいけなくなりまして、この家で大人しく留守番してもらうか、一緒にバイト先に来てもらうか……どっちがいいかなって」
「え、バイト!?」
いやバイト、通じるんかい。カレーといいなんというか、なんとも私が知ることは同じ時代ではないような気配が所々する。まだ断定はできないが。
「ちなみに、その、なんのバイトですか……?」
善法寺くんが何故か覚悟したような顔で言う。食満くんも表情が怖い。
言っておくが、私は非合法なバイトなんて一切していない。全てクリーンでホワイトなバイト先だけだ。ちゃんと休憩とオヤツと、時間によってまかないも出る。今回はスポット的に沸いた仕事だが、その辺りは問題ないだろう。
「これから行くのは畑仕事のバイト。知り合いのお祖父さんが腰痛めちゃったらしいんだ」
医者には掛かっているよ、と伝えると善法寺くんはホッと胸を撫で下ろした。食満くんもハァと息を吐き出す。
もしかして、彼らの知る私って危ないバイトでもしてたんだろうか?いや、藪蛇は突きたくないので何も言わないでおこう。それがベスト。
すると食満くんが顎に手を当て考え込む。そしてまた空気音での秘密の会話。少しの間を開けてから、彼は言った。
「なら俺たちも手伝いますよ」
しかしそうは言われてもというのが私の本音だ。まず、知らない場所に来ているのに働かせるのは忍びない。それに何かあったら問題が大きすぎる。
即座にやんわり断ろうと口を開きかけたが、その前に善法寺くんが私の右手に分厚い手を重ねた。
「乱太郎達から、怪我をしたと聞いています。それにこの状態ではまだそこまで良くなっていないんでしょう?」
「う……」
前回うっかり切ってしまった右手の怪我は、確かにまだ完治していない。怪我の治りが早い方とは言え、傷は深く動かすたびに微かに痛んだ。それも慣れてしまっていたが、改めて指摘されるとジワジワと痛み出す。
ぐ、と唇を噛み締めると善法寺くんは畳み掛けるようにニッコリと笑みを浮かべた。
「あと、後輩がお世話になった恩返しってことで任せてください!」
善法寺くんの言葉は穏やかなはずなのに、異様な圧を感じる。逆らったらもっと怖いことになる気もする。そう、この感覚は祖母にケツをしばかれる五秒前によく似ている。頷かないと私の尻がジ・エンドになるやつだ。
「お、オネガイシマス……」
ゾワゾワ感が押さえられずカタコトで肯定を示せば、圧は消えた。
ほっと息をつくも束の間、畑作業できるような服があったか疑問が頭を過ぎる。作務衣で畑仕事は普通にやらせられるわけがない。
「この体格の2人をどうしろ……と??え、ジジイの服入る……?え……まさか最悪私の着せるしかない……??女装で誤魔化せるか?この肩幅とかを?無理じゃな……いか、って、え?ねぇ、なんでそんなやるかみたいな顔してるの??落ち着こう?任せてくれじゃないよ?自分のことに自信があるのは良いことだけどモノを選ぼう?なんでそこでイケると思うの??ねぇ??何?ニュータイプなの??」
静かにサムズアップする二人。更には「化粧道具はあるか」と訊ねてくる始末。ヤル気がすごい。そしてすごくやめて欲しい。なんか分からないけど頭痛と悪寒がするんだ。ありのままでいい。ありのままの姿でいてくれ。扉開けて〜じゃない。扉閉めて〜と勘が叫んでいる。これきっと当たる勘。ソクラテスもそう言う。