SEC〇Mしてますか!!伍

※※※


月を薄雲が隠した。光の無い、夜が来る。
それに男は慣れていた。むしろ暗闇は、いつでも彼の顔姿を隠してくれる己の味方であり、良き隣人だった。
──それが今はどうだ。


「っ……!!」


男は息を切らせて縁側の下に隠れた。口を両手で押さえ込む。しかし静かにしろと思えば思う程、心臓は大きく音を立て、呼吸を荒くさせた。

なんなんだ、この家は。

警察のふりをして、年寄りの家にあるものを盗みに入る。非合法だと知りながらも、その報酬の高さに目が眩んで男は仕事に手を出した。
簡単な仕事だった。年寄り相手なら、まず力で負けることはない。それに下調べだって、笑って警察のフリをするだけで信用する馬鹿ばかり。
今日もいつもの通り、上手くできる。
いつもの通り仲間と共に一芝居打って、馬鹿なやつを騙して、嗚呼ほら世界はこうも簡単だ、と内心嗤っていた。
落とし穴が掘られてる、なんてハプニングもあったが、家から出てきた女は馬鹿みたいに頭を下げるだけ。こちらを疑う素振りもない。大人しそうな若い女だったので、「夜はついでに『遊べる』な」、だなんて下卑た考えをする仲間も居たくらいだ。


「……はぁ、めんどくさぁい」


間延びした声が近くを通り過ぎた。しかしそれは男の仲間ではない。二人は既に敷地に入った瞬間、何者かに襲われて姿を消した。一瞬のことだった。
当たり前だが、そんなこと今の今まで起きたことなんて無い。SEC〇Mにしろ、ALS〇Kにしろ事が終わってから来るものだ。
もしかすると、この家は化け物の家だったのではないか?男は恐怖のあまり、あり得ない妄想を抱き始めていた。女は化物が化けた姿であり、こちらを罠にかけたのだ、と。きっとそうに違いない。でなければあり得ない。
ぎし、と上の床板が音を立てる。
誰かが上にいる。男は意味がなくとも身体を縮めた。最早流れる汗は、暑さからか恐れからか、判別が出そうもない。伝い落ちる汗の音すら、上にいる誰かに聞こえるのでは、と男は思った。

カラカラと窓が開く音がした。

ひゅ、と男の喉の奥から空気が漏れた。
女だ。女がいる。
ああ、化け物がこの上にいる。
男はどうすれば生き残れるのかを考える。この上にいる化け物は、果たして殺せるのか。胸元に忍ばせたバタフライナイフが一本。これまで、脅しでしか使ってこなかったものだ。

ぎし、と木のしなる音がする。

男の精神は、もう耐えられなかった。短絡的に、感情的に縁側下から飛び出し、懐に手を伸ばす。ぱちんとバタフライナイフの留め具をとり、縁側に佇む人影に斬り掛かった。

「随分と短絡的すぎて、つまらんな」

女だと思った。月の隠れた今、髪の長い影と女の一人暮らしという条件の元、そこに居るのは件の女だと、そう判断した。
けれど吐き出された声は低い男のものだった。
なぜ、何が、と疑問を問うこともなく、男の意識は途切れた。



※※※



「まさか、一発で意識を失うとは」

仙蔵は、伸びて動かなくなった男を足で転がす。
元々は戦意を削いで、他の仲間がいないか聞き出すつもりだった。ところが腹に入れた一発で、相手はすっかり意識を失ってしまっている。
地面に落ちたバタフライナイフを拾い上げ、興味深そうに観察していた喜八郎が言った。

「食満先輩の話では、天女さんの宝禄火矢を使えば異国ともすぐに話せる、らしいですけど、そういうものを使う動きはありませんでした。矢羽根を飛ばす素振りもなかったですし、外部との連絡は取っていないのでは?」

そうだな、と仙蔵は頷いた。

「まだ、正直あの人はこちらを警戒しているのか、どういう絡繰りがあるのか、教えてくれていないものが多い」

訊ねれば答える。ある程度、こちらへの伝わり具合を見ながら言葉を選んで説明はしてくれる。だが、時折言葉を濁されることは事実だった。伝えない方が良いと考えているのか、どうなのか、腹の中は分からない。
けれど、こちらに見せる善意は疑いようもない。
夕方も、夜も、危険があれば前に出ようとするのは、彼らの知る『天女』その人だった。

「そう言えば、立花先輩」
「なんだ」
「天女さんに、勝てたんですか?」

仙蔵は苦笑しながら喜八郎に答えた。

「そういう事は聞くな」

清々しいくらい、手の内で転がされた。
ある意味、いつもの通り。学園での日々通り、といったところ。
唯一、出し抜けたのは扇霞の術を掛けられたこと。
それも、今は記憶がないからこそ意表を突けただけ。

「でも良かったですね」
「……ああ」

薄く笑みを浮かべた仙蔵に、喜八郎はやれやれと思った。
夕方のあの訪問者が怪しい事も、それの対処を天女一人で何とかしようと考えていることも、彼は分かっていた。
だから夜、あの手この手で天女を家の内に意識が向くよう仕向けた。けして外に出ないように、と。
伝七を膝の上に寝かせたのも、そうすれば子どもに甘い天女は動けなくなる。困惑してる内に押し込めば、なんとかなる。思考がそちらに向かなければいいとよく知っている。
想定外だったのは、しんべヱのイビキがうるさすぎて、外の様子を探る邪魔だったということだろう。そのせいで一人、取り逃がしたことはかなり不満だった。

「しかし、学園長の言ったものは見つからなかったな」
「『天女の羽衣』なんて、本当にあるんですかねぇ」
「分からん。そもそも、なぜ学園長はそんなことを知っているのかも、な」

『天女の羽衣』について、けして天女に悟られるな、と二人は厳命されている。
だが、天女は馬鹿に見えるが馬鹿じゃない。微兆を読むのに長けた人だ。それに悟られずにあの家を探し回るのは些か厳しい。
……恐らく学園長も、何か情報を伏せている。
天女、そして『天女の羽衣』。
繋がるようで、その二つの繋がりは見えない。
けれど、何かあるはずだ。それがきっと、短時間のみ滞在できる自分たちと、あちらで何年も過ごした天女と関係してくるのだろう。

仙蔵は顎に手を当てた。
前提とする問題の形すら、未だ掴めない。

ふと、その中で夕飯時、喜三太にナメクジを連れ帰って良いか聞かれた天女の話を思い出す。

──『だから違う所に住んでいる子を、元住んでいた場所以外に連れて行って他の子と一緒にしてしまうと困っちゃうんだ』

あれは、天女本人の経験ではないのだろうか。
仙蔵は空を見上げた。
月も、星も雲に隠れて見えない。忍びにとっては最も好都合な夜だ。
けれど、町の灯りは多い。人の気配も。木々のせせらぎは聞こえない。空気に土の匂いはほとんどせずに、変わった臭いが鼻に付く。
全てが全て、彼らの知るものとは違っている。
今、仙蔵が孤独を覚えないのは、己が一人ではないからだろう。隣には喜八郎が、少し離れた屋内には一年生三人がいる。
ならば、天女はどうだったのだろうか。
笑っている人だった。笑って、強く、逞しく、凛と立つ姿は記憶に焼き付いている。その中に世界に、一人だけという孤独を抱えていたのではないだろうか。
もしもそうならば、記憶がないのではなく……。
そこまで考えて、仙蔵は頭を振った。
答えの無い、意味の無い問いだ。

「う……」

侵入者が呻き声を上げた。呼吸は少し荒く、目覚めの兆候がある。
二人は顔を見合わせた。

「そういえば、この人たちどうします?」
「……確か羽衣を探している際に、この一帯の絵図が出てきていたな。細かくあの人が書き込んであったものを見れば、人目に付かない場所は分かるだろう」
「分かりました」
「ああ、そうだ。これ以上あの人に危険が及ばないか、裏がないか確かめよう」

スッと何処からか薬袋紙を取り出し仙蔵は悪い顔で笑った。

「尋問するんですか?」
「ほんの少し阿呆薬を使うだけだ。何、量は問題ない」






※※※



朝起きると、きっちり布団で寝ていた。睡眠薬的なものを使われたのに、アウトな事件は何も起きていなかった。家の中も乱れた形跡は無く、机の上に近所の地図が出ていたり、庭が穴ぼこだらけというだけ。直していかんかい!片付けていかんかい!とぶつくさ言いながらも布団を洗って、地図を片して、穴を埋めて、それから私は汗だくのまま地面に寝転がった。

「……案外、地面ってひんやりしてるんだな」

家の陰になる場所で寝転んだのは、久し振りだった。
……小さい頃は、ドベロニクス三世のところに遊びに行って、土の上で寝転んだっけ。先々代のあの子は、どうにも私を子犬として認識していた節がある。ちょっと一人で歩いていると、「子どもが一人でいるんじゃありません」と叱るようにワンワン言われたものだ。

「今日も空にはバルス雲……夏だなぁ……」

影から見上げる空は、気持ちいいくらいの青空だ。
いくら冷たいと言っても、クーラーの効いた室内程ではない。そろそろ戻るか、上半身を起こすとピンポーンとインターフォンが鳴った。
昨日の事が頭に過ぎる。最悪のことは起きなかったが、今それが起きないとは誰も言っていない。
スコップと誘導灯を手に裏から正面に回ると、そこにいたのは時計屋の親父さんだった。汗だくのまま、インターフォンを連打している。もうピンポーンというよりも『ピピピピピピ』という感じだ。

「あの、何してるんで、」
「お前!昨日の夜中どこで何していたッ!?」
「ぇ!?い、家で、寝てまし……た?」

ものすごい勢いで肩を掴まれ、取り敢えず頷きながら答える。大体間違ってはいない。
親父さんはホッとしたように額の汗を拭った。

「何か私がしでかしたと思ったんです?」
「ああ」
「即答ッ!?」
「実はな、昨日3丁目の廃ビルあるだろ?あそこで三人男が白目剥いて縛られてるのが見つかってな」
「それの犯人が私だと……?」

時計屋の親父さんは力強く頷いた。
とんでもない誤解。何をしたらそんなことを私がやれると思うのか。か弱いんだぞこちとら。見てくれ、このひ弱そうな細い腕を。

「とんでもない誤解が生まれてますけど、3人の男をそもそもそこまで運ぶのなんて、無理ですよ。車の免許もフォークリフトの免許も取って無いんですから」
「けど、ネコはあるだろうが」
「3人それで運ぶって手間すぎるじゃないですか!それに私とその人たち、何の関係も無いですよね?」
「そりゃぁな。ここらを荒らし回ってる強盗団らしいは、お前のところには来てないだろうし……」
「……ん?」

今、聞き逃してはいけない情報あったな?

「ご、強盗団だったんですか!?」
「おうよ。しかもずっとうわ言で、髪の長い女の化け物、だとか落とし穴が、とか言ってるらしい」

関係あるかこれ?脳内ジャッジがレッドカードを上げるか、グリーンーカードを上げるか悩みながらコサックダンスしている。
落とし穴はまぁ記憶にあるとして、髪の長い女も私も長いので該当する。けど、昨日は結局何も起きては……。
いや、待て。朝までぐっすりってことは、私自身に何も起きていないだけで、何かあった可能性はあるよな?
左右上下、人がいないか確かめてから、時計屋の親父さんは声を潜めて言った。

「ここだけの話、どうも様子がおかしいのはヤクをキメてるんじゃねぇかって、松永のババアが言ってるんだよ……。あの人、ヒロポンだなんだ打ってやばいことになったのを見てる世代だからよぉ。孫はそういうもん、作れるだろ?もし犯人なら隠してやっからよ」
「……いや作れませんが!?作ったらポリスメンですよそれ!!?隠すのもポリスメン案件ですよ!!?」

関係ある?とか思ったが、これは無いわ。流石に薬物案件は忍者と関係無い。
全力で首を横に振り、否定すれば親父も違うと感じたのか胸を撫で下ろし帰っていった。



なお後日、忍者について調べている最中目にした本で、『阿呆薬』なるものの記述を読み、しばらくスペースキャットになることをまだ知らない。



※※※



「何……失敗しただと!?」

ネオン街のビルの一角、その薄暗い部屋の中で、一際豪華な椅子に座っていた男は、拳を机に叩き付けた。

「あの家は、女が一人で住んでいるという話だったではないか!」
「それが分かりませんが、雇った闇バイトたちが何者かに襲われたと……」

事実を述べる秘書に、舌打ちを零し深く息を吐き出す。

「……まぁいい。今回は失敗でもまだ次がある。それにたかが女一人。その気になれば、赤子の手をひねる様に簡単に潰せるわ」