だから記憶に無いんです!参

すっかり陽が落ちた住宅街は、まだ人の活気が感じられた。ちょうどゴールデンタイムというのもあり、あちこちから楽しそうな声が響いてくる。耳を澄ませばどこからか虫の音も重なった。こんな夏の夜は存外騒がしい。
 けれどそれは私からしてみれば、よくある日常のありふれた一場面だ。
 が。

「ええい!!落ち着け点P達!!!!」

右へ、左へ、上へ、下へ。家を出る前の約束は何処へやら。お買い物に着いてきた四人には、何もかもが目新しいらしく、私の腕や服を掴んだままちょこまかと動き回る。引っ張られるせいで腕も痛ければ腰も痛い。ついでに心配で心臓も痛い。ドキドキが止まらない1000%不安ってやつだ。
引率って大変だな、とその昔、お世話になった先生方の顔が頭に過る。それはもう、言葉に尽くし難い程お世話になったので。「牛乳の蓋のメンコバトルなんか知らない!」と言ってジャムの空き瓶の蓋でバトルをしかけて、心から本当に申し訳ない。

「あれ何ですか!?」
「天さんあっちのは!?」
「天さん天さん!あの光るの何!!」
「天さん言うのはお止めなさい、団蔵くん!!虎若くん!せめてお姉さんにしてくダらっしゃアっ!?!」

どん、と背中に強い衝撃。
巻き込まないように咄嗟に子ども達の手を払って、そのまま顔面から私は地面に倒れた。

「「「「天(女)さーん!?!」」」」
「せ、せめて……お姉さんに、し……な、さい……チャオズ達ッ……」

バタリと地にふせったまま、背中の上の重量物に圧迫された呼吸でツッコめば、まるで死ぬ間際のセリフのようになってしまった。けれど、別に死んではない。死んではないのに何故か子どもたちが「よくも、てん……お姉さんを!」と叫んでいる。頼むから殺すな。死んでないんだから。ちょっとおでこか腕を擦りむいただけだから。
無理やり起き上がろうとすれば、背中の上の重量物がクゥンと鳴いた。ピトリと濡れた冷たいモノが耳に触れ、荒い鼻息がうなじを擽る。
もしかして:犬
脳内サーチが叩き出す参考画像は、近所で飼われている大型犬だ。

「……ドベ助?」

恐る恐る名前を呼べばわん!と一声良いお返事。
ドベ助ことドベロニクス5世は近所の山名さん宅で飼われているドーベルマンの女の子だ。子犬の頃からよく知っている。
「ドベちゃーん!」と遠くから飼い主の山名さんマダムの声もする。

「て……お姉さん!今助けますからね!」
「あー、ゔん……だい、じょーゲフッ!!」

 腕で上半身を持ち上げた瞬間、動かないでくれと言わんばかりにドベ助の前足が良い位置に入った。ちょうど肩甲骨の隙間辺りにガスっと一撃。鍛え上げられし筋肉の塊は強い。そして鍛えられていない一般人の肉体は脆い。ほんの少しサ同会(※サバゲー同好会の略)に所属している程度の、一般通過大学生なんてそんなもの。顔を地面に、右腕を前に、左腕を胸の下にする形で再び私は地に伏せった。所謂ダイイングメッセージを残して殺された人のポーズだ。余計サスペンスが追加され、殺された感が増量されている。どうして。
 
「て、天さん!今助けますからね!?きり丸はバイトで犬の扱いに慣れているし、虎若は生物委員会に入っているから!大丈夫ですからね!!」
 
 伊助くんが必死に叫ぶ。
 
「ほーら!こっちだぞ!こっちにはいい棒があるぞー!」
「いい子だからおいでー!怖くないぞー!」
 
 きり丸くんも虎若くんも、何かしらアクションをドベ助にしているがまったくもってこの犬、動く気配が無い。なんだったら「ハン」と鼻で笑っている気がする。
 ドベ助、お前子犬の頃はそんなじゃなかっただろ。もっと素直で可愛かっただろ。
 
「田んぼのあぜ道の芹みたいに、全く死ななそうな天……お姉さんがやられるなんて……!くっそぅ……!!」

 団蔵くんが悔しそうに言う。
 だから殺すな良い子たち。あとなんだその例えは。祖父に要約すると『杉とヒノキ花粉の化身』と言われたことや、友人達からミントや、シソ、イタドリ、クズ、ミシシッピアカミミガメ、アメリカザリガニと言われたことしかないんだが。芹ってどういう意味合いでそれを使っているのか教えてくれないか。
 バタバタと足音が近づいてくる。きっとこれは山名さんマダムだ。これでドベ助もどかしてもらえるだろう。

 「ドベちゃ……キャァァぁアア!!!?」

 耳をつんざく女性の悲鳴。
 事件ですか事故ですか。いいえ、ただのドーベルマンに一撃決められた一般大学生が倒れているだけです。
 某CM風のテロップが頭の中を通り過ぎる。

「うちのドベちゃんが……お孫ちゃんが……そんなッ!?」

 そう叫んだ声は間違いなく山名さんマダムだ。
 安心してください。生きてますよ。ポーズがダイイングメッセージを書きかけているポーズになっているだけで、しっかりきっかりカッチリ生きてますよ。
 こちらを本当に心配しているんだかどうかは今、私は地面しか見えていないので声で判断するしかないが。まぁ、幼少期からお世話になっている彼女がこちらを心配しないなんてことは無いだろう。恐らく。
 それより早いところドベ助をどかしてくれ、犬一匹と言っても大型犬は十分重い、と願っていると背中の重さがひょいと消えた。
 それまで押しつぶされていた肺に、一気に空気が入って目の前がチカチカする。
 それでも道のでいつまでも倒れているわけにはいかないのでよろよろと立ち上がると、ワッと四人が駆け寄ってきた。
 
「お姉さん!おでこ擦り剥いてる!?」
「大丈夫ですか!?」
「俺らのことちゃんと覚えてますか!?また忘れてないっすか!?」
「すぐ戻って手当した方が……!」
「だいじょーぶ、大丈夫。このくらい全部ほっとけば治る程度の傷だから。あと記憶はあるから問題無いから」

 わあわあと腰に引っ付く四人の頭を順番に撫でてから、私は山名さんマダムに視線を向けた。
 眉尻を下げた壮年の女性がドベ助を叱っているが、当人(犬)はそっぽを向いたまま。飼い主である山名さんマダムを見ない。
 
「やいお前!お姉さんに何するんだよ!危ないじゃないか!」

 伊助くんがドベ助に突っかかるも、聞こえませーんと言うように後ろ足で耳を搔いている。完全にこれは伊助くんを舐めている。それが目に見えるものだから、彼も余計腹が立つらしい。わなわなと指先を震わせ、苛立ちを全身で表現している。
 その肩を軽く叩いてから、私はドベ助の前にしゃがみこんだ。すると私の前側、丁度ドベ助との間に入り込むように団蔵くんが引っ付いた。右側にはきり丸くん、左側に若虎くんが立った。背中に乗ったの重みが消去法で苛立ちMaxの伊助くんだろう。
 
「こーら、ドベ助。お前危ないことしちゃダメだろ。私だから良かったものの、他の人だったら大変なことになるぞ」
「ちーっとも良かったじゃないですよ!おいコラ!お前!慰謝料請求するぞ!」
「いやきり丸くん、犬に慰謝料って……」
「だって貰えるものは貰わないと損っすよ!」
「ええ……」

 きり丸くんにそう指摘されるも、ちょっとそんな大事にはしたくない。
「おばさんもそうですよ!飼い主ならしっかりしてください!」と声を荒げる虎若くんの頭を再度撫でるとこちらが言わずとも、不満そうに口を尖らせた。
 
 「山名さんとこのマダム、今回は運よく襲われたのが私だったのでいいですけど、ドベ助の手綱はそうそう放さないでくださいね。万が一ということだってあるんですから」

 山名さんマダムはすっかり落ち込んでいた。真面目でしっかりした人だからこそ、気にしているのだろう。
 
「ほんっとうにごめんなさいね……。ドベちゃん、今までこんなことしたことなかったのに、何で……」

 子犬の頃からドベ助は随分と頭のいい子だった。不審者らしき人がいればすぐに唸るし、怪しい車を見つけたこともある。警察犬に選ばれやすい犬種らしく賢く従順。
 と、そこではたと一つの考えに思い当たる。
  
「ドベ助。お前、その……」

 言い淀んで、考え込む。
 ……いやまさかそんなね。動物は勘が良いとはいえ、そんな非現実的なこと速攻で気付くわけないよね?
 ぱちりとドベ助と視線が合った。

「ワン」

 一声鳴くと、ドベ助はパタリと尻尾を動かした。そうだよ、と聞こえた気がする。
 ドーベルマンは元々、非常に愛情や忠誠心が強い犬種とされる。そして仲間を守る意識が非常に強い。自らのテリトリーに侵入した相手には警戒心を強く向ける。つまるところ、あのダイレクトアタックはドベ助がこの子ども達から私を守るためにしたのかもしれない。所詮私は犬の言葉が理解できるエスパータイプでないので、あくまで『そんな気がする』だが。
 ひんやりしたものが背中を流れる。ひくりと私は頬を引きつらせた。

「ま、まあ、その今回は、えっと……無かったことにしてもらって……ネ!」

 三十六計逃げるに如かず。「はっはっは、それじゃあな!ドベ助!アデュー!」と捨てセリフを吐いて、私はひょっと四人を引っ付けたまま、その場をすたこらさっさと後にした。



 ドベ助と山名さんマダムから逃げた場所より、元々行く予定だった商店街まではそう距離は無かった。
 曲がって歩いてちょっと行って、また曲がればすぐのところだ。
 家を出た時とは真逆に、不貞腐れる四人を引っ張りながら歩く。ここまでの路地であれだけ騒いだなら、商店街を見れば機嫌を直してくれるだろう。

「ちぇっ……あれなら間違いなく慰謝料取れたのに……」
「うわーまだ言ってるよきり丸くん……」
「大体、天……お姉さんはお金に対して適当過ぎんですよ!わかってますか!」
「怒られるの私かい」

 くどくどくどと説教垂れるきり丸くんに、やれやれと言いった顔の他三人。出る前にも思ったが相当なものだ。
 苦笑いで流しつつ最後の曲がり角を曲がる。
 途端にパッと目の前が明るくなった。商店街のアーケードに入ったのだ。
 その明るさに四人はしばしばと目を瞬かせ、それから無意識に私の服の裾を掴んだ。
 もしかして『商店街は滅びぬ!何度でも蘇るさ!』とアーケードの天井付近に吊るされた垂れ幕の文字がインパクト強すぎたのかもしれない。
 しかし買い物をするなら、駅の反対のショッピングセンターよりもここの方が安いし近いし、なにより交番から遠い。今は探られて痛い腹しかないので。
 私は少し身をかがめると声を潜めて四人に言い聞かせる。
 
 「ここは今までの路地裏よりも人が多い場所だから、なるべく騒がないようにね?それと、私のことは『お姉さん』って呼ぶこと。設定は私の従弟ってことでよろしく。それともしはぐれたら、近くのお店の人に助けを求めればどうにかなるから。分かったかな?」
「「「「はーい!」」」」
 「軽すぎて心配しかないな」

 先ほどのこともあるし、と不安が後方で反復横跳びをしている。
 ううむ、と思いながら足を進めればすぐさま呼び止められる。
 
「あれ、お孫ちゃんじゃない……ってそのおでこどうしたの!?誰から恨みを買ったの!?」
「買ってませんが!?」

 呼び込みをしていた総菜屋のおばさんの声を皮切りに、あちこちから商店街オールドブラザー&ミセスたちが集まってくる。昔から可愛がってくれた人たちだから、怪我をした状態で行けばこうなるのは予想していた。けれどこれは予想してない。
「なんだぁ!?喧嘩したのかお前さん!」と出てきた時計屋の店主は真顔で勝ったかどうかを聞いてくるし、忍者のたまごたちは速攻馴染んでいる。なんだったら溶け込み方がえげつない。さすが忍者のたまご。
 買い物が無事に終わる頃には、おまけでもらった野菜やらを手にニコニコ満面の笑みのきり丸くんに、いろんなことを聞けたのか楽しそうな伊助くん。いつの間にか飴を握らされていた団蔵くんに、近所のポメラニアンに懐かれていた虎若くん。そして諸事情をフォローしつつ買い物をするというミッションを遂げ、更にボロボロになった私。
 
「いやーいいところっすね!先の世の人サイコー!」
「私は疲れたよ、きりラッシュ」
「えー!でもぉ、オレちゃーんと値切ったりして働きましたよ!」
「そりゃね、きり丸くん随分女の子のふりしておだてるの上手だったもんね!?お姉さんびっくりしたよ!」

 思ったよりもノリノリで、声色だって女の子らしくするものだから耳がおかしくなったかと三度、四度と見てしまった。あんなに愛想の良い女の子ロールプレイなんて、私には一生無理なので。
 すると、きり丸くんは虚を突かれたような顔で呟いた。
 
「……そっか、うん。そうだよなぁ」

 彼は足を止め、こちらをじっと見た。
 電柱の灯りに照らされた、丸い目の中に私が映っている。おでこに大きな絆創膏を張られた、情けない姿の、私が。
 ──ドクンと心臓が音を立てる。

「きり丸」

 団蔵くんがきり丸の肩に手を乗せた。
 
「大丈夫だよ、天さんだってきっと思い出せるさ」
「そうだよ。ドクタケの出城に攫われても一人でしれっと帰ってくるような自称普通の事務員さんなんだから」
「待って伊助くん何それどういうこと」
「そうそう!あ、じゃあ早く思い出せるよう照星さんのこととか佐武衆のこと話すよ!」
「虎若くんそれ誰!?知らない人増やさないで!?」

 伊助くんも虎若くんも、団蔵くんに続いてきり丸くんの肩を叩く。
 仲がいいのは良いことだと思うべきか、それともしれっと増やされた向こうでの生き恥臭漂う言葉に恐れ戦けばいいのか分からない。どうすればいいんだこの気持ち。
 悩み悩んで空を見上げれば、まだ月は低い場所で輝いている。
 夏の湿った空気が前髪を揺らす。じっとりとしたそれが余計に私を迷わせる原因かもしれないと半ば八つ当たりで責任を押し付ける。

「天さん、早いとこ天さんのお家に行きましょう!」 

 帰る、じゃない辺りなんだかこの子達にも考えていることがあるんだろうな。
 団蔵くんが私の空いている片手をとると、足を急かされる。
 
「さ!早くいかないとしんべヱが倒れちゃいますよ!」

 
 片手に買い物袋。物理的にずっしり重い荷物。
 そしてもう片手には私よりも小さな手のひら。精神的にずっしり重い。
 幾ばくかの不安の種を残しながら、まだ月は登りきらない。