しんべヱくんは 私の非常食として常備していたのショートブレットを全て食べさせてから風呂に送り出した。食べ物がある場所から引き離さないと危険だ、という有識者判断によるものだ。喜三太くん達が一緒に入りつつ見ててくれるらしいので私はキッチンに駆け込んで先ほど買ってきた荷物を冷蔵庫から出す。今日はこの人数で必要な量をサクサク作れて簡単なカレーだ。まずは玉ねぎを、と切り始めたところ案の定野菜の逆襲にあった。涙が出て止まらない。鼻水まで出てきた。
一度手を止めて涙と鼻水をティッシュで拭ってから、再び包丁を握るもすぐに視界が歪んだ。
「あの、何かお手伝いできることってありますか?」
キッチンの入り口から声を掛けられた。シルエット的に恐らく乱太郎くんだろう。気遣わしげな声色に、私は顔をしょぼしょぼさせたまま返した。
「こっちはダイジョーブ。片付けが終わったんなら、乱太郎くん達はきり丸くん達と居間でゆっくりしてていいよ」
「うーん……でも、お一人じゃ大変ですよ。いっぱい食べるしんべヱがいるし」
「まぁ……でも刃物扱うから、危ないよ。それに身長的にこの流し台はみんなに高すぎるでしょ」
私にとっては少し低いくらいでも、彼らかしたら十分高さがある。去年まではキッチンに小ぶりなダイニングテーブルが置いてあったが、捨ててしまったので大人数が作業できるスペースは無い。
本音を言えば腱鞘炎まっしぐらな量なので猫の手も借りたいところだ。
また手を止める。包丁をまな板の上に置いてから鼻をかめば、視線は一層厳しくなった。乱太郎くんは保健委員だと聞いた記憶があるので、もしかすると風邪かなにかだと思われているのかもしれない。
鼻をかんだちり紙をくしゃくしゃに丸め、ごみ箱に放り投げてからヒラリと手を振った。
「大丈夫、大丈夫。すぐ終わるから」
軽く手を洗ってから右手で包丁を握る。
そのはずだった。
「あ」
さく。そんな軽快な効果音が聴こえた気がする。
ジワジワと真っ白なまな板に滲む鮮紅色。それが切った玉ねぎに着く前にと、綺麗な方の手でまな板からザルに上げ、改めて右腕を高く上げて眺める。痛みは感じていなかった。アドレナリンが出ているのだろう。赤い一筋が腕を伝って床に落ちてゆくのがやけにスローモーションで見えた。
「うーん、切っちゃった!」
ハハッと笑ってからテヘペロっとキュルッと、そんなイメージでなるべく明るく伝える。目の前で流血沙汰なんてトラウマを植え付けるわけにはいかない、と思ったのだが乱太郎くん顔を大きくして叫んだ。
「き、切っちゃったじゃないですよ天女さんーーーっ!?!!」
一応弁解するならば、涙で滲んで前がよく見えていなかったわけじゃない。包丁を置いた位置を誤認していて、うっかり刃元を触ってしまっただけだ。そしてその事に驚いた弾みで手の腹で刃元を押し出すようにしてしまい、サックリ切ってしまった。よくある話だ。
「今の大声どうかしたんですか!?」
「曲者ですか!?」
私よりも慌てている乱太郎くんをなんとか宥めようとしていると、ドタドタと踏み台らしきものを抱えたまま金吾くんと庄左ヱ門くんが駆け込んできた。
そして。
「「わーーーーーーーー!!?天女さんが死んじゃうーーー!!!」」
ポタポタと血を流す私を見て、大声で叫んだ。
※※※
とんとん、とリズムよく包丁がまな板を叩く音が響く。
ジュワジュワとお肉をバターで炒める匂いが辺りに漂う。
手がちゃんと猫ちゃんになっているだろうか、うっかり熱くなった鍋に触れないだろうか、乗っている踏み台から落ちないだろうか、と心配で視線を外せない。
そんな視線が気になるのか、包丁を持っていた手を止めて金吾くんが振り返った。
「天女さん、そんなに見てなくても大丈夫ですよ」
「いやー、でもね金吾くん、やっぱり刃物と火を扱うから心配で……」
「僕も庄左ヱ門も慣れてますから。このくらいで怪我なんてしませんよ」
私は台所の隅で座布団に座りながら、空いている左手で頬を掻いた。空いていない方の右手は、乱太郎くんに現在進行系で処置されている。
勿論そんな状態で料理なんてできないので、代わりに金吾くんと庄左ヱ門くんが作業を進めてくれていた。普通に立てば届かないキッチンシンクには踏み台を使うことで作業できるようにしている。
ちなみに二人が乗っている踏み台は、片している途中に見つけた祖父作のものだ。タケノコのように身長が伸びる私のために、幾つか高さを変えて作ってくれたものが物入れに入っていたらしい。二人は手伝おうとそれを出したところ、乱太郎くんの声を聞いて駆けつけてくれたとのこと。
「あ、天女さん、動かないでくださいね」
「はぁい……」
するすると包帯が巻かれてゆく。
たかが切り傷、死にやしないし絆創膏でも貼っておけば万事解決!という現代人の思考とは真逆に、小さな傷でも大事になる時代の子どもの考えはしっかりしていると感じた。むしろ包帯なんて巻かれたのは何時だろうというくらい昔に使われた記憶しかない。基本的に私の身体が頑丈すぎるのかもしれないが。
「はい!これでもう大丈夫ですよ!」
最後にキュッと結ばれた包帯はキツくもなければ緩くもない。丁度いいくらい締め付け具合だ。流石保健委員と言ったところだろう。
「ありがとうね、乱太郎くん」
「いえいえ!わたしは保健委員として当然のことをしたまでですよ!でも、天女さんあちこち怪我だらけですね……気を付けないとダメですよ!」
「あはは……」
駅でぶつけた怪我、今日買い物中にドベ助に突撃されて擦りむいた数カ所、そして今できたばかりの切り傷。数え厄年は去年だし、後厄にしてはここ数日怪我が多すぎる。
本当はこんなに不運な怪我をしないよ、と言いたかったけれど、どう見たって説得力が無いだろう。
「天女さん、そろそろ次の具材加えてもいいですか?」
庄左ヱ門くんが振り返った。お肉が少し焦げたような匂いに変わってきている気がする。
今行くから待ってね、と立ち上がり庄左ヱ門くんの肩越しに鍋の中を見れば、軽く焼き目がついていい具合だ。
「うん、じゃあ次は玉ねぎを入れて炒めようか」
「分かりました。じゃあ今持って行くので天女さんは何もしないでくださいね」
「なんだろう、気遣われてるだけなのに胸に刺さる」
金吾くんから庄左ヱ門へ野菜の入ったザルが渡る。鍋にに中身を開ければ、鍋底に落ちた水がジュワリと音を立てた。それを慣れた手つきで鍋をかき混ぜながら庄左ヱ門くんが口を開いた。
「天女って本当に僕たちのこと全部覚えてないんですね」
庄左ヱ門くんはちらりとこちらを振り返り、また鍋に視線を戻す。
「じゃあ学級委員長委員会に入っていたのも忘れてしまっているんですね」
「なんて?」
突然の新情報と本日何回か聞いた驚きのネーミングセンス委員会。どういう人がいるのか一発で分かるが、それはそれとしてひどすぎないかその名前。
そんなとんでも情報を投下した庄左ヱ門くんは涼しげな顔だ。
「待ってよ庄ちゃん!ウソは良くないよ!」
「そうだよ!それなら天女さんは体育委員会だ!」
ウソなのかい!ホントなのかい!どっちなんだい!!と脳内マッスルが叫びたがっている。
包丁とまな板を洗った金吾くんはふん、と鼻を鳴らした。
「金吾こそウソじゃないか。天女さんが体育委員会に付いて行けるわけないだろ」
「でも、裏々々々々々々山のマラソンだって一緒に行ってるよ!……七松先輩に引きづられていたけど」
「あー!それなら保健委員会だって、薬草摘みに行ってるよ!ね!天女さん!」
「ええ……ナニコレェ……」
やめて!私を取り合わないで!と言うべきか、これは。
またもや突然の状態に私は頭を抱えた。
というか裏々々々々々々山ってなんだ。裏の裏……そこまでいったら表では?あと今引きづられてたって言った??私を??170cmある人間を引き摺る??ちょっと良くわからないですね?
こちらがツッコミを挟む間もなく話は進む。
「体育委員会ですよね!天女さん!」
「保健委員会ですよね!天女さん!」
「学級委員長委員会ですよね!天女さん!」
「記憶に無いので保留でお願いします……」
もうどうにも止まらない。ノンストップボーイズにこちらは両手を上げ、静かに降参のポーズ。何度も言っているが、こちらは全く記憶にないんだから認知迫られても困る。
「えっと、ちなみに庄左ヱ門くんは何でその……が、学級委員会?に私が入ってるって主張してるんワケ?」
「学級委員長委員会ですよ、天女さん。あ、そろそろ野菜もいい感じですかね」
「ほんとだ。じゃあお水入れようか」
「じゃあどれくらい入れますか?ぼくがやりますよ。天女さん手を怪我してるし」
金吾くんから乱太郎くん、そして庄左ヱ門くんに水の入った計量カップがリレーの容量で渡っていく。ジャバジャバと音を立て鍋に注がれた水が薄っすら黄色みを纏って満たされていく。
「で、なんで」
グルリと庄左ヱ門くんは鍋を掻き回すと言った。
「まず天女さんは予算会議出禁でした」
「出禁!?いやそもそも予算会議って、何!?どういうこと!?」
品行方正に生きてきたので、『出禁にされた』経験なんて皆無だ。そもそも、予算会議もなんだ。新たなワードを増やさないでくれ!と願っても無常に情報は増えてゆく。
「予算会議とはその名の通り、忍術学園の各委員会の予算を決める会議です」
庄左ヱ門くんの説明に、乱太郎くんと金吾くんが拳を握りしめた。
「ただその会議を取り仕切る会計委員会は中々厳しくて……それに途中で他の委員会の妨害もあったりするんですよ。私たち保健委員もいっつもそれで大変なことになりますし……!」
「そうそう!しかも委員長の潮江文次郎先輩は厳しくて中々予算をくれないので、各委員会実力行使あるのみなんです!!」
「物騒すぎる」
会議は踊るどころか戦争じゃないか。物騒、あまりにも物騒。
詳細を聞けばバイオテロやら爆発物持ち込みまで起きているらしい。怖すぎる。
しかしそうなると疑問となのが、何でもありな会議(仮)を出禁になった私と学級委員長委員会との繋がりだ。
なんとなく脳裏に現れる『生き恥』の文字。今まさにストレッチ体操第一をしている気がする。
「その……今の流れだと私が会議を出禁になりそうな要素が分からないんだけど……」
恐る恐る問い掛けると、お玉を小皿に置いて庄左ヱ門くんがくるりとこちらを向いて腕を組んだ。
僕たちも先輩から聞いた話なんですが、と前置きをしてから言った。
「天女さんは3年連続で助っ人に行った先の予算案を、一切削らせず通してしまったんです。で、毎回取り合いになってたらしいです」
「ええ……」
予算案の通し方なんて……と思ったが、そう言えば商店街の企画会議に参加させてもらって色んな書類関連について叩き込まれたな、と思い出す。それが別の時代に通用するのかどうかは一旦置いておくが。
「そのせいで去年怪我をしたらしく、以来出禁になったそうです」
「ええぇ……」
全く持って記憶がなくて良かったのか、なんなのか。出禁にされるレベルって中々デカくないか?そんなに大きい怪我したことないから知らないけど。
うーんと痛む頭を抑えながら、無理矢理話を飲み込んだ。そうするしか現状できなかった。話が進まなくなってしまうので。
「ま、まぁ、うん。その、出禁の理由は分かった。でも、それと学級委員長委員会の繋がりってのがよく分からないんだけど」
「ああ、それはですね、『学級委員長委員会』は予選会議に参加しなくていいので、会議の間は僕たちと一緒に居たんです。あ、鍋が煮えてきましたよ」
「ほんとだ。じゃあカレールゥ入れようか」
庄左ヱ門くんに灰汁を取ってもらいつつ、金吾くんにはボウルにカレールゥを割り入れてもらう。ある程度灰汁が取れたら、ボウルに煮立った汁を入れてもらいカレールゥを溶かしてもらう。こうしないとダマができてしまい美味しくなくなってしまう。充分溶けたら今度はそれを鍋に注いであとな煮込んでおしまいだ。
「で、えっと何の話だっけ」
コンロの火を弱火にしてから話を続ける。乱太郎くんが学級委員長委員会のことですよと教えてくれた。
「僕たち学級委員長委員会は、学園長先生直下の委員会なんです」
なるほど?つまりどういうことなんだってばよ?
すると庄左ヱ門くんはふう、と呆れた顔をした。
無駄に大人ぶっちゃってこの子は、と内心思うけれど、言葉に出さないのが大人。それに仕方ない事だもの。今の私は君たちの学園事情なんて知らないんだから。
「予算が別なんです。他の委員会と違って。だから会議があると天女さんは避難してきていたんです。その時は碁や将棋を教えてくれたんですよ」
「……へ?碁?将棋?」
ぱちぱちと目を瞬かせると、横の乱太郎くんが深々と頷いた。
「天女さん、すっごく碁が強いですからね!学園長をいーっつも負かしていたし、六年生も誰一人勝てなかったんですよ!」
碁も将棋も、昔から近所の老人会の人達に教えてもらったので、プロ相手でなければそこそこはイケると思う。が、そんな飛び抜けて強いか?と問われれば答えは否。教えられる程上手いとも思えない。
ううん、と唸っていると乱太郎くんが言葉を続けた。
「だから、きり丸が今度天女さんと土井先生のどっちが強いか賭け勝負を開こうとしてて」
「なんて???」
「あれ、それ天女さんが連戦で何人抜けるかじゃなかったっけ?」
「違うよ金吾。それは早めに立ててた二回目用の企画だよ」
「そうだっけ庄左ヱ門」
「待って??」
きり丸くん、何してるんだ。人でトトるな。(※トトカルチョ[イタリア語:サッカー等スポーツの勝敗での賭け]するなの意味)
学生ならそんな賭博に手を染めるんじゃありません。しかも企画側って元締めかい君。止めなさい。今すぐ止めなさい。二回分の企画を。
「ちなみに事前オッズは6:4で少し劣勢でした」
「しかも私負けてるのかい!!知りたくなかった微妙な事実すぎるよ!?!」
庄左ヱ門くんの淡々とした追加情報に、思わず両方の拳を握り締めた。怪我したばかりの左は、少し痛かった。
「まぁ、きり丸の賭け企画は置いておいて」
「置いとくな!!」
「そういうことで、天女さんは学級委員長委員会に居ることが多々ありましたから、入っているも同然かと思います」
「聞いて!!?」
「「異議あーり!」」
乱太郎くんと金吾くんが高く手を上げた。
「さっきも言いましたけど、それなら体育委員会だって一緒に運動したりしてました!」
「保健委員会だって、薬草摘みに行ってます!」
なんでそうもあちこちの委員会に『私』は顔を出していたんだろうか。事務員をしていたと聞くから、仕事の一環もあるだろう。けれどその割には、進んで自ら関わっていたような雰囲気だ。
それにしたって忙しく過ごしていたようだけが。
「体育委員会とはよくマラソンに来てい……たのかな?」
「なんかさっきナナマツくん?が誘拐してきたとか言ってたよね?」
「それは……はい……」
目を逸らすな金吾くん。こっちを見なさい。
「あとは、その体育委員会の三年ろ組の次屋三之助先輩が迷子になった時連れてきてくれて」
「それなら会計委員会の同じ三年ろ組神崎左門先輩も迷子にならないようにって連れていたじゃない」
記憶に無いがその三年生の子は忍者として致命的では?迷子?え?学園の場所が分からなくなる?それ帰巣本能死んでない?大丈夫??
「保健委員会はもーっとちゃんと一緒にやってますからね!薬草摘みとか、手が空いている時にふんどし包帯作るのを手伝ってもらったり」
「ふん……なんて?」
横から流れるセンシティブワード。これを言ったら私がセクハラで訴えられてしまうので、即座に言葉を濁す。
すると丁度良く、鍋蓋がカタカタと揺れた。
庄左ヱ門くんが蓋を開けると、スパイシーな良い匂いが広がる。ぐう、と三人がお腹を慣らした。
話が逸れた、と私は一人胸を撫で下ろしす。子どもへのセンシティブダメ絶対。何故なら私は年上なので。
更にタイミング良く鳴り響くのはご飯が長けた時のメロディ。
「じゃあご飯にしようか」
私はカチリとコンロの火を止めた。
※※※
食事の時間は予想よりも穏やかだった。
食事量が穏やかではなかったが。
五合半炊きの炊飯器を3度動かしたのに、きれいにペロリと平らげられてしまった。成長期って恐ろしい。あとしんべヱくんのブラックホール。これでも遠慮してる方と乱太郎くん達から申告されて、私は震え上がった。
食後には最後の乱太郎くん率いるお風呂班を送り出した。
その間に襖を外して名乗りを上げてくれた用具委員の二人と三治郎くん、兵太夫くんと直す。昔祖母が買ったらしい色紙をノリで貼り付け、乾くように廊下の端に置いておく。
お風呂班が戻ってから、西瓜を持って全員で縁側に並んだ。硝子戸を開けて外の空気を入れると、湿気を含んだ涼しい風が前髪を揺らす。
「今のところ、一番はしんべヱくんだね」
「なんであんなに飛ぶんだろう」
「うーん、勢いだなぁ……」
勝手に始まった種飛ばし大会はしんべヱくんが一番だった。二番目は団蔵くん。三位決定戦は白熱しているらしく、何人かが競っている。
その様子を見守りながらチリンと揺れる風鈴に耳を澄ます。
「天さーん!ちゃんと見ててよー!」
「見てる見てる。だから公平に勝負しなよー」
渡したメジャーで、間違いが無いよう測りながらああだこうだ話している姿は結構面白い。
けど、時間ももう遅い。隣に座る喜三太くんは船を漕いでるし、他にも危うそうな子が何人かいる。
「喜三太くん、大丈夫?」
「だいりょ〜ぶでぇすよぅ」
肩を揺らしても瞼と瞼が離れない。なんだったら、近くに置いてあった麦茶用ボトルを抱えたまま、コロリと私の膝に転がってきた。
「ナメクジさぁん……」
「うーん、だめだこりゃ」
むにむにと頬を突いても反応が無い。
確か前回もこんな感じだったな。子どもらしいというか、なんというか。私がこの子たち位の年齢の時は電池が切れたみたいな寝落ちはしなかった気がするが、まぁ良しとしよう。
両手で喜三太くんを抱え上げる。ムニャと言いながら喜三太くんはアゴを私の肩に乗せると、ベストポジションだったらしく動かなくなった。
そろそろ寝るよ、と声を掛ければ、はぁいと元気な声と眠そうな声が半々返ってくる。腕の中の喜三太くんを落とさないようにしつつ、全員を室内に入れる。寝落ちしかけている子達は、まだ元気な子が引っ張ってくれたから助かった。今一人抱えている状況で、他10人を移動させるなんてことになっていたら私の腰が死んでいた。
しかし、11人も寝られるとなると客間ではスペースが到底足りない。居間と仏間を繋げないと無理だ。
ところが幸いにも先ほど修理のために襖を外していたので、あとはちゃぶ台をどかせばいいだけ。これ元気な良い子たちが引き受けてくれた。ちゃぶ台を客間へ移動させ、今度は客間の押入れから布団を引っ張り出す。勿論それだけでは布団の数が足りないので2階の祖父母の部屋からも降ろす。
客間と仏間を繋げた一室に布団を敷き詰め、蚊帳を張れば、寝る場所の確保は完了だ。あとはもうオヤスミグッドナイト。
と言いたいところだが、先程まで眠そうだった良い子達は「寝るのが勿体ない!」と今度はきゃあきゃあわぁわぁお祭り騒ぎだ。誰が何処で寝るのだ、あっちがいい、こっちはどう?と楽しそうだ。
それに水を挿すのもなんだし自室で寝よう、と静かに部屋を出ようとすると、ニコニコ笑顔の伊助くんが袖を引き留めた。
「天女さんはここですからね!」
伊助くんが指差すのは部屋の中央。布団の海のど真ん中。布団と布団の境目で絶妙に寝難そうな場所だ。トイレにも行き難い位置だった。ポジションを考えるとなんとなく、生贄か何かに見えなくもない。
「ミッドサマられるの……?私……?」
ああ祝祭よ今再び。ズンドコ踊る某奇祭映画がサッと浮かぶ。新手のイジメかと考えるも、伊助くんの顔はそんなふうな表情には思えない。
「みっど……なんです?」
「あー、今のは気にしないで。それと私は自分の部屋で寝るから考えてもらわなくて構わないよ」
「えー!せっかくだしみんなで一緒に寝ましょうよ!」
「ううん、とりあえず私お風呂入りたいなぁ」
バイトから帰ってきてからシャワーは浴びているけれど、ちゃんと洗ってない。それに外にも出てるし、このままだと明日臭う。間違いなく。
理由を話せば伊助くんはそれもそうですね、と離してくれた。おや、と思えばどうやら綺麗好きらしい。
一緒に寝るか問題はこれで一旦保留にできたので、私はサクッとお風呂に入ることにした。いつもは長風呂派だけれど、今日はカラスの行水で済ませて長い髪を乾かす。成人式に髪を結うため伸ばしているが面倒で切りたくて溜め息が出た。
やっと乾いたのでドライヤーを止めたところで、家の中が静まり返っていたのに気付いた。半袖長ジャージ姿で居間と仏間を覗き込むと、部屋の中に文字通り子どもが落ちていた。まともに一人ひとつの布団にタオルケットの組み合わせで寝ていない。全員とても前衛的な寝姿だった。
部屋全体に布団を敷き詰めているので、変な体勢の子だけ直してあげれば良いだろう。
込み上げる笑いを噛み殺しながら考える。
それから一人ひとりにちゃんとタオルケットを掛けて電気を消す。
真っ暗な部屋には静かな寝息だけが聞こえる。
私は良い子たちを踏まないように、起こさないように部屋を抜けて反対にある縁側に座った。閉じた硝子戸の向こうの夜空には、眩しいくらい綺麗な青月が昇っている。
「今日も中々大変だったなぁ……」
流石に11人の面倒を見るのは大変だった。
けど。
「面倒だ、とは思わないんだよな……」
知らないことばかりだった。
知らない私ばかりだった。
身体を屈めて膝を抱え込む。
果たして、私は彼らからの好意を受けるに値する人間なのか。彼らが望んでいる『私』なのか。証明する手立ては何も無い。
もしもそうなら、記憶があればよかった。それなら、きっと何の憂いも無く心から再会を喜べた。
手の傷がズキズキと痛む。ぐるりぐるりと無意味な考えが堂々巡り。ぐしゃりと前髪を掻き回してから再び夜空を見上げた。
「もう来ちゃ駄目だよ」
小声で呟いてから寝息の聞こえる方に顔を向けた。
私は、君達が知っている『私』なのか、本人ですら分からないんだから。
言葉には出さない。私は、ズルい人間だから。
「寝よ……」
縁側で横になり目を閉じる。疲れていたから固い床の上でも眠気がすぐにやって来た。
──ちゃんとあの子たちが帰れますように。
難しいことを全て放り投げて、眠りに落ちる間際それだけを思った。
※※※
翌朝目を覚ますと、何故か居間で寝ていた。引き摺られたような痕跡があるから、もしかするとは組の子がかなり頑張ったのかもしれない。
そしてその彼等の姿は何処にも無かった。
残されたパジャマ代わりのTシャツと、とっ散らかった布団一式。
それから消えた私の両袖。
良かった半分、何で袖?と私は遠い目をした。
等価交換にしては袖は安すぎる。袖とタイムスリップは釣り合わないだろ、と。
ぼけっと座り込んでいると、スマホが振動した。
そう言えば、昨日は帰ってきたからスマホを確認する余裕も無かった。急ぎの話が来てたら厄介だな、と思いつつ画面ロックを解除するとメッセージ関連の通知は一件のみ。あとはどうでもいいリクルートのメールなんかだ。メッセージアプリを立ち上げて、中身を見れば『明後日、畑仕事のバイトしない?』というお誘いだった。
そういえば、昨日バイト増やさないとと思ったんだっけ。ぼんやりする寝起きの頭で思い出す。
ああ、そうだった。ちゃんと子どもにはご飯を食べさせないといけないから。
「『や、り、ま、す』と。これでいっか」
送信を押してから、伸びを一つ。
「でも、もう二度と無いよね」
こんなに悩ましいこと、苦しくなること、楽しくなること。それでいい。きっとこれ以上交わるべきじゃない。
──なお、私は忘れていた。『二度あることは三度ある』ということを。