先輩には弱いらしい

赤葦あかあしさいど

 朝食を終えて練習が始まった。考えなくてもいいのに、考えるのは今朝のこと。
 
佑月さんが、寝ぼけて抱きついてきた。驚いた、ただそれだけのはずなのに。それにあれは彼が悪いわけではない。寝ぼけていたのだし、意図的なものではない。そう理解しているのに、思い出すたびに心臓が落ち着かない。

 スパイク練習のトスをしてる際、向かいのコートに佑月さんの姿を見つける。自習してるはずではと、思うもその顔を見ると 少し疲れたような顔をしていて、胸がざわつく。

 佑月さんも、気にしているのだろうか。もしそうなら、申し訳ない。

「あかあしー?なんか面白いことでもあった?」
「あぁ、木兎さん、いや何でもないです」


 けれど、気にしてくれていることが、少しだけ嬉しいと思ってしまった自分に気づき、慌ててその感情を押し込めた。

 木葉さんと話している佑月さんが、時折こちらを見る。目が合うと、なぜか自分のほうがそらしてしまう。冷静でいたいのに、うまくいかないものだと頭を切り替えた。



 昼休み。体育館の隅で水を飲んでいる佑月さんが見かけた。声をかけようとした気配があったが、結局そのまま離れていった。

 話しかけられる、必要はない。むしろ、今話しかけられたら、あのときの距離の近さを思い出してしまう。それが怖いのか、期待しているのか、自分でも判断がつかない。

 午後の練習はいつも通りこなした。練習試合中、佑月さんがいるからかテンションが高い木兎さんの相手をしつつ、勝ち数を増やしていく。
 その中で、佑月さんの視線を感じる。そのたびに、胸が少しだけ温かくなる。気のせいだ、と言い聞かせても、消えてくれない。

 それから第三体育館での、自主練。何度か黒尾さんに茶化されるようにして気分が悪い場面もあったが、練習は楽しい。自主練を済ませて、急いで夕食を済ませると、部屋に戻ると佑月さんが机に向かっていた。

「……お疲れ様です」
「うん……赤葦くんも。今日は遅かったんだね」
「第三体育館で、木兎さん達と自主練してて。今、夕食はとってきましたがギリギリでした」

 声をかけると、彼は少しぎこちなく返してきた。その様子が、なんだか可愛く見えてしまい、視線を逸らす。自分のせいで気まずくさせているのだろうか。そう思うと胸が痛む。けれど、彼が自分を意識しているのだとしたら、そんな考えが浮かんでしまい、慌てて打ち消した。
 
 そんな中、木兎さんが騒ぎながら部屋に入ってきて、風呂へ向かう。自分も荷物を持って後を追った。部屋を出るとき、佑月さんが布団に倒れ込むのが見えた。

(……気にしてるのは、俺だけじゃないのかもしれない)と、そう思った瞬間、胸の奥がまた静かに揺れた。



 風呂から戻ると、部屋の灯りは机のスタンドだけがついていた。佑月さんは布団に倒れ込んだまま、薄く目を開けてこちらを見る。

「……赤葦くん、おかえり。あれ光太郎は?」

 寝起きだからか、その声が、やけに柔らかい。名前を呼ばれただけなのに、胸がじんわり熱くなる。

「ただいま、です。木兎さんは黒尾さんのとこにウノしに行きました。…佑月さん、疲れました?」
「うん。でも……赤葦くんの声聞いたら、ちょっと楽になった」

 そんなことを、当たり前みたいに言うから困る。心臓が跳ねて、呼吸が少しだけ乱れる。

「俺の声で楽になるなら……いくらでも話しますけど」

 冗談めかして言ったつもりが、思った以上に本気の声になってしまった。佑月さんは驚いたように瞬きをして、それからふっと笑う。

「……じゃあ、話しよ」

 その笑顔が、反則みたいに優しい。断れるわけがない。

「あの、朝のこと気にしないでください」

 自分から切り出すと、佑月さんは少しだけ視線を落とした。

「でも……俺が悪かったし」
「別に悪いことなんか、一つも」
「…赤葦くんが嫌じゃないなら、いいけど…」

その言い方が、まるで確認するみたいで。胸の奥がじわっと温かくなる。

「嫌じゃないですよ。……むしろ、ちょっと……」

 言いかけて、慌てて口を閉じた。嬉しかった、なんて言えるはずがない。

「むしろ?」

 佑月さんが、ゆっくりと身を起こす。距離が近い。その近さに、心臓がまた忙しくなる。

「……驚いただけです。本当に」
「そっか。……でも、起きた時見た赤葦くんの顔、ちょっと可愛かったな」
「っ……!」

 不意打ちの言葉に、思わず息が詰まる。顔が熱くなるのが自分でも分かった。

「……からかわないでください」
「からかってないよ。ほんとに、可愛かった」

 まっすぐ言われて、視線をそらすしかできない。こんなに甘い空気になるなんて、予想していなかった。

「……寝ます。これ以上起きてたら、佑月さん変なこと言いそうなので」
「なんだそりゃ、やっぱり赤葦くん面白い。…おやすみ、赤葦くん」

 布団に入ると、すぐ隣から小さな寝返りの音がした。その音だけで、また心臓が跳ねる。

「……赤葦くん」

 薄暗い部屋で、名前を呼ばれる。返事をする前に、続けて小さな声が落ちてきた。

「気使ってくれて、ありがとう。なんか、赤葦くんが居ると、俺、安心するかも」

 その言葉が、胸の奥に静かに落ちて、じんわり広がる。

「……俺もです」

 小さく返すと、隣の布団がふわりと揺れた。それだけで、妙に嬉しくなる。気にしてるのは、やっぱり俺だけじゃなかった。そう思うと、胸が甘く締めつけられた。

 また確実に近づいた距離を感じながら、静かに目を閉じた。